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翁問答 / 改訂翁問答丁亥春

孝經學庸の外はいらぬと思ふもあやまりなり、いかんとなれば時に趣く敎へ己事を得ざる勢にして皆聖賢の殘したる書なれば無用の書にあらず、學ところの書物數の多少に心をとゞむべからず、たゞ一向に聖人となるべき志を勵まし迷ひをわきまへ、自己心裏の明德を明かにする益を求むべし、聖經賢傳をきくに明徳を明かにする三益あり、觸發一つなり、栽培二つ也、印證三つ也、此三益はみな自己の憤りによつて得る所なり、平生體察の功を用ひずして憤りなくば、二六時中手に卷をすてずとも、其得所の益あるべからず若此益なくば書をよみてもよまざるにをとれり。

新字:孝経学庸の外はいらぬと思ふもあやまりなり、いかんとなれば時に趣く教へ己事を得ざる勢にして皆聖賢の残したる書なれば無用の書にあらず、学ところの書物数の多少に心をとゞむべからず、たゞ一向に聖人となるべき志を励まし迷ひをわきまへ、自己心裏の明徳を明かにする益を求むべし、聖経賢伝をきくに明徳を明かにする三益あり、触発一つなり、栽培二つ也、印証三つ也、此三益はみな自己の憤りによつて得る所なり、平生体察の功を用ひずして憤りなくば、二六時中手に巻をすてずとも、其得所の益あるべからず若此益なくば書をよみてもよまざるにをとれり。

書き下し

孝経学庸の外はいらぬと思ふもあやまりなり、いかんとなれば時に趣く教へ己事を得ざる勢にして皆聖賢の残したる書なれば無用の書にあらず、学ところの書物数の多少に心をとゞむべからず、たゞ一向に聖人となるべき志を励まし迷ひをわきまへ、自己心裏の明徳を明かにする益を求むべし、聖経賢伝をきくに明徳を明かにする三益あり、触発一つなり、栽培二つ也、印証三つ也、此三益はみな自己の憤りによつて得る所なり、平生体察の功を用ひずして憤りなくば、二六時中手に巻をすてずとも、其得所の益あるべからず若此益なくば書をよみてもよまざるにをとれり。

現代語訳

孝経・大学・中庸のほかは要らないと思うのも誤りである。なぜなら、時勢に応じた教えでやむを得ない勢いによるものであり、みな聖賢の残された書であるから、無用の書ではない。学ぶ書物の数の多少に心をとどめてはならない。ただ一向に聖人となる志を励まし、迷いをわきまえ、自分の心のうちの明徳を明らかにする益を求めるがよい。聖経賢伝を聞くことには明徳を明らかにする三つの益がある。触発が一つ、栽培が二つ、印証が三つである。この三益はみな自分の発憤によって得るところである。平生、体察の功を用いず発憤がなければ、一日中手から書巻を離さなくても、その得るところの益はないであろう。もしこの益がなければ、書を読んでも読まないのに劣る。

解説

三書だけでよいという極端も退け、十三経はみな時勢に応じて聖賢が残した有用な書だとする。大事なのは冊数ではなく、聖人となる志を励まし、明徳を明らかにする益を求めることである。藤樹は経書を聞く益を「触発」(心が呼び覚まされる)、「栽培」(善い芽を育てる)、「印証」(自分の得たものを確かめる)の三つにまとめ、それはすべて自分の憤り、すなわち発憤から得られると言う。改訂翁問答はこの言葉で閉じられる。研修も読書も、受け身では身につかない。自ら求める気持ちがあって初めて、学びは自分を変える力になる。

この章句が説くこと

発憤明徳触発学問志修養

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