導師導古典を学びたいすべての人に

翁問答 / 改訂翁問答丙戌冬

魯國の君、莊子にかたりて曰、魯國には儒者おほうして先王の道を學ものすくなし、莊子曰、魯國には儒者甚すくなし君あやまりおほしとのたまふ、魯公の曰、魯國の人過半儒服をきたり、然るをすくなしといはんや、莊子曰、儒服は儒者の裝束なり仁義は儒者の德なり、裝束は誰もきるべければ、儒服を著たる人にても仁義の心なきは儒者にあらず、只儒服を著たる凡夫なり、仁義は君子ばかりの受用する徳なれば、たとひ夷國の裝束をきたる人にても、仁義の心あるは凡夫にあらず、夷國の裝束きたる儒者なり、

新字:魯国の君、荘子にかたりて曰、魯国には儒者おほうして先王の道を学ものすくなし、荘子曰、魯国には儒者甚すくなし君あやまりおほしとのたまふ、魯公の曰、魯国の人過半儒服をきたり、然るをすくなしといはんや、荘子曰、儒服は儒者の装束なり仁義は儒者の徳なり、装束は誰もきるべければ、儒服を著たる人にても仁義の心なきは儒者にあらず、只儒服を著たる凡夫なり、仁義は君子ばかりの受用する徳なれば、たとひ夷国の装束をきたる人にても、仁義の心あるは凡夫にあらず、夷国の装束きたる儒者なり、

書き下し

魯国の君、荘子にかたりて曰、魯国には儒者おほうして先王の道を学ものすくなし、荘子曰、魯国には儒者甚すくなし君あやまりおほしとのたまふ、魯公の曰、魯国の人過半儒服をきたり、然るをすくなしといはんや、荘子曰、儒服は儒者の装束なり仁義は儒者の徳なり、装束は誰もきるべければ、儒服を著たる人にても仁義の心なきは儒者にあらず、只儒服を著たる凡夫なり、仁義は君子ばかりの受用する徳なれば、たとひ夷国の装束をきたる人にても、仁義の心あるは凡夫にあらず、夷国の装束きたる儒者なり、

現代語訳

魯の国の君が荘子に語って言った。「魯国には儒者が多いのに、先王の道を学ぶ者が少ない」。荘子は言った。「魯国には儒者はたいへん少ない。君は誤って多いとおっしゃる」。魯公は言った。「魯国の人は過半が儒服を着ている。それを少ないと言うのか」。荘子は言った。「儒服は儒者の装束であり、仁義は儒者の徳である。装束は誰でも着られるので、儒服を着た人でも仁義の心のない者は儒者ではなく、ただ儒服を着た凡夫である。仁義は君子だけが受け用いる徳であるから、たとえ異国の装束を着た人でも、仁義の心ある者は凡夫ではなく、異国の装束を着た儒者である」。

解説

改訂翁問答は、藤樹が晩年の正保三年(丙戌)の冬と翌四年(丁亥)の春に、旧稿の一部を自ら書き改めたものである。その冒頭に置かれたのが、荘子田子方篇の魯の哀公と荘子の問答である。儒服を着ている者が儒者なのではなく、仁義の徳をもつ者が儒者だという点に話の核がある。外見や肩書と、中身としての徳とを分けて見よという主張は、藤樹が若い日から繰り返した「正真の学問」と「贋の学問」の区別をあらためて鮮明にしたものである。資格や役職名と実力が一致するとは限らない。人を見るときも自分を省みるときも、装束ではなく徳を見る目が要る。

この章句が説くこと

儒者仁義荘子徳肩書学問

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る