都鄙問答 / 卷之四・學者ノ行狀心得難キヲ問ノ段
答、汝ハ德ト云コトヲ、曾テ知ラズト見ヘタリ、加樣ナル疑ハシキコトヲ、問定ラルヽハ、左モアルベキコトナリ、其學者ハ、德ニ至ルノ學問ニハアラズ、文字藝者ト云者ナリ、曰、然ラバ書物ヲ讀外ニ、學問ト云コトアリヤ、
新字:答、汝ハ徳ト云コトヲ、曽テ知ラズト見ヘタリ、加様ナル疑ハシキコトヲ、問定ラルヽハ、左モアルベキコトナリ、其学者ハ、徳ニ至ルノ学問ニハアラズ、文字芸者ト云者ナリ、曰、然ラバ書物ヲ読外ニ、学問ト云コトアリヤ、
書き下し
答ふ、汝は徳と云ふことを、曾て知らずと見へたり。加様なる疑はしきことを、問ひ定めらるゝは、左もあるべきことなり。其学者は、徳に至るの学問にはあらず、文字芸者と云ふ者なり。曰く、然らば書物を読む外に、学問と云ふことありや。
現代語訳
梅岩は答えました。「あなたは徳というものをまったく知らないように見えます。このような疑わしいことを問いただすのも無理はありません。その学者は、徳に至る学問をしているのではありません。『文字芸者』というものです。」問う人「それでは、書物を読むほかに学問というものがあるのですか。」
解説
梅岩は、その博学の人を「文字芸者」と呼びます。文字を扱う芸にたけているだけで、徳に至る学問はしていない、という厳しい評です。問う人は驚いて、書物を読む以外に学問があるのかと問い返します。梅岩自身、商家に奉公しながら独学し、小栗了雲に師事して心を知る学問に行き着いた人でした。学問を知識の蓄積ではなく人の在り方の問題として捉えるのが、石門心学の出発点です。肩書きや知識量と、仕事ぶりや人柄を混同しない見方の土台になります。
この章句が説くこと
学問徳文字心学梅岩
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