翁問答 / 下卷之末之末
これは論語に曾子臨終のとき、門弟子を呼て啓予手啓予足と云て、詩を引て不敢毀傷の心法をしめしめされたることを記せり、曾子の本意は血肉の身體髪膚をそこなひやぶらざる所を以て、天性仁孝の身體髪膚をそこなひやぶらざることをあかしめされたる事、孝經の聖謨の如し、しかるを章句の儒者、曾子の本意をさとらずして、只血肉の身體髪膚をそこなひやぶらざることなりと講說するによつて陳氏此發明あり、此語の意は全孝の心法をよく受用すれば、龍逢比干の諫てしにめされて、身體髪膚をきりやぶり、身首分裂したるも、曾子の手足を啓て一毛をもそこないやぶらざることを示しめされたるもおなじ孝行なり、もしまた全孝の心法をよく受用せざる人は、八十九十まで年老て我家のちにて病死して、毛一すじそこなはずといふとも、刀にてきられ鋸にてひかれぬる刑罰にあひたるはぢとおなじ不孝なりと云義なり、よくよく體認あるべし。
新字:これは論語に曽子臨終のとき、門弟子を呼て啓予手啓予足と云て、詩を引て不敢毀傷の心法をしめしめされたることを記せり、曽子の本意は血肉の身体髪膚をそこなひやぶらざる所を以て、天性仁孝の身体髪膚をそこなひやぶらざることをあかしめされたる事、孝経の聖謨の如し、しかるを章句の儒者、曽子の本意をさとらずして、只血肉の身体髪膚をそこなひやぶらざることなりと講説するによつて陳氏此発明あり、此語の意は全孝の心法をよく受用すれば、竜逢比干の諫てしにめされて、身体髪膚をきりやぶり、身首分裂したるも、曽子の手足を啓て一毛をもそこないやぶらざることを示しめされたるもおなじ孝行なり、もしまた全孝の心法をよく受用せざる人は、八十九十まで年老て我家のちにて病死して、毛一すじそこなはずといふとも、刀にてきられ鋸にてひかれぬる刑罰にあひたるはぢとおなじ不孝なりと云義なり、よくよく体認あるべし。
書き下し
これは論語に曽子臨終のとき、門弟子を呼て啓予手啓予足と云て、詩を引て不敢毀傷の心法をしめしめされたることを記せり、曽子の本意は血肉の身体髪膚をそこなひやぶらざる所を以て、天性仁孝の身体髪膚をそこなひやぶらざることをあかしめされたる事、孝経の聖謨の如し、しかるを章句の儒者、曽子の本意をさとらずして、只血肉の身体髪膚をそこなひやぶらざることなりと講説するによつて陳氏此発明あり、此語の意は全孝の心法をよく受用すれば、竜逢比干の諫てしにめされて、身体髪膚をきりやぶり、身首分裂したるも、曽子の手足を啓て一毛をもそこないやぶらざることを示しめされたるもおなじ孝行なり、もしまた全孝の心法をよく受用せざる人は、八十九十まで年老て我家のちにて病死して、毛一すじそこなはずといふとも、刀にてきられ鋸にてひかれぬる刑罰にあひたるはぢとおなじ不孝なりと云義なり、よくよく体認あるべし。
現代語訳
これは、論語に曾子が臨終のとき門弟子を呼んで「予が手を啓け、予が足を啓け」と言い、詩を引いて「敢えて毀傷せざる」心法を示されたことを記している。曾子の本意は、血肉の身体髪膚を損ない破らないところをもって、天性仁孝の身体髪膚を損ない破らないことを明らかにされたことであり、孝経の教えと同じである。ところが章句の儒者は曾子の本意を悟らず、ただ血肉の身体髪膚を損ない破らないことだと講釈するので、陳氏がこの解き明かしをしたのである。この語の意味は、全孝の心法をよく受け用いれば、竜逢・比干が諫めて死なれ、身体髪膚を切り破られ身首が分裂したのも、曾子が手足を開いて一毛も損なわなかったことを示されたのも、同じ孝行である。もしまた全孝の心法をよく受け用いない人は、八十九十まで年老いて自分の家で病死し、毛一筋も損なわなくても、刀で斬られ鋸で引かれる刑罰にあった恥と同じ不孝だという意味である。よくよく体認するがよい。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷中問ふ。孝にも亦大小有るか。曰く、父母をして憂へ無からしむる者は易く、父母をして之を悦ばしむる者は難し。何となれば、凡そ人の子為る者、平生身を褪めて業を勤め、亡頼の友無く、博奕せず飲酒を好まず、勇を好み闘狠して以て其の父母を危ふくせざれば、則ち以て父母の憂へを免るるに足る。然り而して未だ父母の心を悦ばしむるに足らず。苟も学を好み善に志し、身を立て家を起こし、以て其の祖業を張り、其の門楣を耀かすに足らば、而る後に父母の心、怡然驩然として、其の悦びに勝へざる者有り。孝の至りなり。父母をして憂へ無からしむること能はざる者は、以て人と為すべからず。父母をして之を悦ばしむること能はざる者は、以て子と為すべからず。勉めんかな。
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『斉家論』上予不学なれば、四書五経にさへ仮名して読み来たれり。しかるに幸ひなるかな、今日まで入れ替はり聴衆もたえず、其の中に親しき門弟もあり。今々の門弟には、文学を好める人もあれど、したしき門弟は、文質彬々は所詮及びがたしと思ふより、某が言ふ所に同心し、且つ他をも誘ひ集むる事こそ殊勝なれ。寛保元年秋の頃門弟の中来たりて云ふ、武蔵国に薪木売り長五郎といふ孝心なる者あり、江戸表はこの沙汰にて、則ち其の趣き板行にあらはれしとて見せられけり。曰く、武蔵国多摩郡府中領押立村に、長五郎といふ小百姓あり。其の身貧しく、妻にもはなれ、八十八歳になる母を養ひ、其の外子供にもせがまれながら、母を大切にやしなひ、孝をつくせしゆへ、公の御恵みにもあづかりしとなり。
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『翁問答』上卷之本然る故に此宝を能く守れば、天子は永く四海の富を保ち、諸侯は永く一国の栄華を受け、卿太夫は其家を興し、士は其名を顕はし位を上り、庶人は財穀を積み貯へて其楽をたのしめり、此宝を棄てては人間の道立ず人間の道立ざる而已ならず、天地の道も立ず、天地の道立ざる而已ならず、太虚の神化も行はれず、太虚三才宇宙鬼神造化生死悉く此宝にて包括するなり、此宝を求め学ぶを儒者の学問と云なり、生れながらにして保合し玉ふを聖人と云ふ、学問に因て保合し能く守り行ふを賢人と云なり、孔子万世の暗を照さん為めに此宝を求め学ぶ鏡に孝経を造り給ふと雖秦の代よりこのかた二千余年の間、十分に学び得たる人稀なり今大明の代に至りて、能く知り能く守る人多し、大舜は此宝を保合し給ひて、庶人の中より天子の位に登り給ふ、文王は此宝を保合し給ひて天帝の左右にまします、董永は此宝を守りて、天の織女を妻となし、呉二は此宝を守りて、宿悪の天刑をまぬがれたり、古来霊験語り尽し難し能く信仰して受用すべき事なり。
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『大和俗訓』巻之一・為学上一学問の道は、極めて広大高妙にして深奥なり。しかれども其近き所は孝弟忠信の日用常行にあり。故にいかなる愚なる者も、此道をまなびやすく、知りやすく、行ひやすし。高遠にして、あやしく異なる道にはあらず。一古の聖人すら、猶師にしたがひて学び給ふ。況や今時の凡人、学ばずしては道を知りがたし。小芸だにも、師なく習なくしてはなしがたし。況や人の道は即天地の道にて、極めて大なるをや。学んでも、まなびやう悪しければ、道を知らず。学ばずして道を得んことは、万々此理なし。
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『慎思録』巻之一子弟の輩、学を為すの道は、須らく論語孔子の教ふる所を以て法と為すべし。是れ聖門の懿訓、万世の模範なり。蓋し聖人は百世の師、天下の標準なり。其の言は乃ち万世の信なり。学者の仰慕して循守すべき所の者、豈に復た以て此に加ふる有らんや。学者須らく必ず是に由りて学ぶべし。是れ学問の成法為り。読書記誦の如きは、固より是れ子弟当務の事なり。然れども第一義と為すべからず。苟も孝弟謹信等の事を篤行して、余力有れば、則ち以て読書講習、博学審問を勤めと為すべし。須らく義理を講究し聡明を開発すべし。初学より成徳に至るまで、学を為すの法、須らく此くの如くなるべし。若し未だ孝弟忠信を以て善を為し力行して基本を立つること能はずして、徒らに博覧記誦を以て急務と為さば、是れ後世俗学口耳の習のみ。聖門人を教ふるの道に非ざるなり。
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『文武訓』文訓上是、井蛙の大海を知らざるにたとふべし。孔孟のをしへ、皆博学を以てさきとし給ふを以て、其非を知るべし。聖人の道は広大精微なり。今の人の食物の料理本、なぞなぞの本などのやうなる事にては、其道理知りがたかるべし。一詩を作り文をよむ事をきらふは、人々の生れつきによりて、其このみきらふこと、各かはれること、たとへば、上戸下戸の、酒をこのみきらふことかはれるが如くなれば、さもあらばあれ、只学問をきらふことは、心にも忌み口にもはばかるべし。いかんとなれば、学問とはなにごとぞや、おやに孝を行ひ、君に忠をなし、凡、人倫にまじはりて、義理を行はんがためなり。此道を、古の聖人のをしへおき給へるを、まなぶを云ふにあらずや。
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