翁問答 / 下卷之末之末
體充問曰、全孝の心法をよく受用仕候はゞ、艮背敵應の聖域へもいたり候はんや。師の曰、心學は凡夫より聖人に至みちなれば、全孝の心法が即ち艮背敵應の心法なり、名はかはりて實はおなじ道理なり、これを本體工夫と云なり、心法の端的は同一貫なれ共、受用する人に善信美大聖神の差別ありと得心すべし、たとへば心法は大路なり、受用する人は路をゆく人なり、路をゆく人に貴賤老幼男女達者不達者の差別あれども、路はおなじ大路なるが如し、
新字:体充問曰、全孝の心法をよく受用仕候はゞ、艮背敵応の聖域へもいたり候はんや。師の曰、心学は凡夫より聖人に至みちなれば、全孝の心法が即ち艮背敵応の心法なり、名はかはりて実はおなじ道理なり、これを本体工夫と云なり、心法の端的は同一貫なれ共、受用する人に善信美大聖神の差別ありと得心すべし、たとへば心法は大路なり、受用する人は路をゆく人なり、路をゆく人に貴賤老幼男女達者不達者の差別あれども、路はおなじ大路なるが如し、
書き下し
体充問曰、全孝の心法をよく受用仕候はゞ、艮背敵応の聖域へもいたり候はんや。師の曰、心学は凡夫より聖人に至みちなれば、全孝の心法が即ち艮背敵応の心法なり、名はかはりて実はおなじ道理なり、これを本体工夫と云なり、心法の端的は同一貫なれ共、受用する人に善信美大聖神の差別ありと得心すべし、たとへば心法は大路なり、受用する人は路をゆく人なり、路をゆく人に貴賤老幼男女達者不達者の差別あれども、路はおなじ大路なるが如し、
現代語訳
體充が問うて言った。「全孝の心法をよく受け用いましたら、艮背敵応の聖域へも至ることができましょうか」。師は言った。「心学は凡夫から聖人に至る道であるから、全孝の心法がすなわち艮背敵応の心法である。名は変わっても実は同じ道理である。これを本体工夫という。心法の要は同じ一貫したものであるが、受け用いる人には善・信・美・大・聖・神の差別があると心得るがよい。たとえば心法は大路であり、受け用いる人は路を行く人である。路を行く人には貴賤・老幼・男女・達者不達者の差別があっても、路は同じ大路であるようなものである」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『翁問答』下卷之末之末体充曰、全孝の心法をばいかやうに受用候はんや。師の曰、孝経に曰く、夫れ孝は天の経なり、地の義なり、民の行なり、天地の経にして民是に則る、又曰く、天地の性人を貴しと為す、人の行は孝より大なるは莫く、孝は父を厳ぶより大なるは莫く、父を厳ぶは天に配するより大なるは莫し、又曰く、孝悌の至りは神明に通じ、四海に光りて通ぜざる所無し、詩に曰く、西よりし東よりし南よりし北よりし、思ひて服せざる無しと、曽子曰く、夫れ孝は之を置けば天地に塞がり、之を溥くすれば四海に横たはり、諸を後世に施して朝夕無し、推して諸を東海に放りて準とし、推して諸を西海に放りて準とし、推して諸を南海に放りて準とし、推して諸を北海に放りて準とす、詩に曰く、西よりし東よりし南よりし北よりし、思ひて服せざる無しと、此の謂なり、又曰く、衆の本教を孝と曰ふ、其の行を養と曰ふ、養は能くすべきなり、敬を難しと為す、敬は能くすべきなり、安を難しと為す、安は能くすべきなり、卒を難しと為す、父母既に没して、慎みて其の身を行ひ、父母に悪名を遺さざるは、能く終ると謂ふべし、仁とは此を仁とする者なり、礼とは此を履む者なり、義とは此を宜しくする者なり、信とは此を信にする者なり、強とは此を強くする者なり、楽は此に順ふより生じ、刑は此に反するより作る、
-
『翁問答』上卷之本体充曰、さようの宝は誠に求めまほしき事に候得共、あまり広大なる道なれば、我等が分にては難及覚へ候。師の曰、それは悪しき心得にて候、広大なる故に我人の及事にて候、譬ば日月の光りは広大なるに由て、目ある程の者は普く見得るが如し、此宝も広大なる故に貴賤男女を撰ばず、幼なきも老たるも本心ある程の人は、普く守り得る道にて候、
-
『翁問答』下卷之末体充曰、見性成道の心の位を観察すること中々凡夫のおよびがたき所なり、いか様なる学問にてわきまへ知べく候や。師の曰、目にて物を見るに、高ところより見下すことは見易して分明なりひきゝ所より上を見あぐることは見えかたくして分明ならざるものなり心にて心を観察するもかくの如し、聖賢の心より狂者、狷者、凡夫の心を見たまふは、日月の万物をてらしたまふ如くなり、狂者、狷者、凡夫の心にて聖賢の心をうたがひ見るは、谷にとぼせるたいまつにて峯を見るに異ならず、しかる故に真儒の心学の外の学問にては、中々弁へ知ことなるべからず、唯真儒の心学をよく切磋琢磨して、大覚明悟の位に至りぬれば、荘子、釈迦、達磨などの心を観察すること、白昼に黒白を分つ如くなるべし、荘仏の学問をきはめたる分にては、聖賢の心を弁へしること、富士のふもとよりその嶺を仰見るが如くなり、
-
『翁問答』下卷之本体充曰、武篇のたしなみばかりを士道なりとこそそんじ候へ、明徳をあきらかにして仁義を行ふを士道なりと仰せられ候へば、世間に士道を心得たるさふらいは古来稀なるべし、しかはあれどむかしも今も士の道も立、くにも治まり候へば、むづかしき心学はさしていらざる事にて御座候はんか。師の曰、盗跖といへる盗は、世間にぬすみにましたるよき事なし、堯舜、禹、湯の仁義だては無益の事なりと高言せしと語り伝へしもあれば、まよへる凡夫はさやうの心得も尤なり、しかれどもそれは明徳といひ仁義と云名になずみて実にまよひたる不審なり明徳仁義はわれ人の本心の異名なり、此本心はいのちの根なれば、いきとしいける人間に、明徳仁義の心なきは一人もなし、親を愛するは仁なり、君に忠節を尽すは義なり、此忠孝の心をあきらかにして、正しくおこなふを明徳をあきらかにし、仁義を行ふと云、これを学ぶを心学と云也、
-
『翁問答』改訂翁問答(丁亥春)人の生付さまざまなれば文芸は極て器用にして心法の取入は無下に無器用なる人あり、此の類の人多分俗儒となれり、又文芸は無下に無器用にして、心法の取入は極て器用なる人あり、かくの如くなる人、よき先覚に従ひ聖経賢伝の講明を聞時は、文芸無器用なれば文学訓詁をおぼゆる事はならざれども、心法のとりいりは器用なるによつて、必聖経賢伝の大意主意をよく聞とりて、其明徳を明かにし君子となれり、かくあれば一文不通にても上々の学者なり、いかんとなれば文芸は道を求る筌なり、魚をうれば筌は無用のものなり。
-
『翁問答』下卷之末之末全孝の心法をよく受用して得ことあれば、其心ひろく体胖に広大高明精微中庸の神道を服膺して、人の子となりては孝に止り、人の臣下となりては忠に止り、人の親となりては慈に止り、人の君となりては仁に止り、人の兄となりては恵に止り、人の弟となりて恭に止り、人の朋友となりては信に止り、富貴に素しては富貴を行ひ、貧賤に素しては貧賤をおこない、夷狄に素しては夷狄をおこなひ、患難に素しては患難をおこなひ、境遇に意必の累なきこと水のながるゝ如く、心の安く静なる事は山の定れるが如く暴君汚吏も志を奪ことあたはず天災地妖も殺ことあたはざるものなり、もしまた聖胎純熟の時至り、脱胎神化して神聖の位に至ときは、天地と其徳をあはせ、日月と其明をあはせ、四時と其序をあはせ、鬼神と其吉凶をあはせ、四表に光被し上下に格る、しかる故に南面の位にありては帝堯の君たるなり、北面の位にありては帝舜の臣たる也、位を得ずして下にありては玄聖素王の道なり、孔子曰、夫れ聖人の徳、又何を以てか孝に加へんや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る