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翁問答 / 下卷之末之末

曾子曰戰陣無勇非孝也、此賢範の意は軍陣戰場にて武勇をはげみ、さきがけさしで軍功をなすときは、疵を被ぶり討死するが孝行なり、若武勇をはげまさず軍功をたてざるときは、縱臆病の惡名をうけずとも不孝なりといましめめされたり陳明卿曰、若有曾子之心即龍比之身首分裂、與啓手啓足一般、不然則老死牖下亦與刀鋸修辱何異

新字:曽子曰戦陣無勇非孝也、此賢範の意は軍陣戦場にて武勇をはげみ、さきがけさしで軍功をなすときは、疵を被ぶり討死するが孝行なり、若武勇をはげまさず軍功をたてざるときは、縦臆病の悪名をうけずとも不孝なりといましめめされたり陳明卿曰、若有曽子之心即竜比之身首分裂、与啓手啓足一般、不然則老死牖下亦与刀鋸修辱何異

書き下し

曽子曰戦陣無勇非孝也、此賢範の意は軍陣戦場にて武勇をはげみ、さきがけさしで軍功をなすときは、疵を被ぶり討死するが孝行なり、若武勇をはげまさず軍功をたてざるときは、縦臆病の悪名をうけずとも不孝なりといましめめされたり陳明卿曰、若し曽子の心有らば、即ち竜比の身首分裂も、手を啓き足を啓くと一般なり、然らずんば則ち牖下に老死するも亦刀鋸の修辱と何ぞ異ならん

現代語訳

曾子は「戦陣に勇なきは孝にあらず」と言った。この教えの意味は、軍陣や戦場で武勇を励まし、先駆けをして軍功を立てるときは、傷を負い討ち死にするのが孝行であり、もし武勇を励まさず軍功を立てないときは、たとえ臆病の悪名を受けなくても不孝であると戒められたのである。陳明卿は言う。「もし曾子の心があれば、関竜逢・比干の身首が分裂したのも、曾子が手を開き足を開いて見せたのと同じである。そうでなければ、窓の下で老いて死んでも、刀や鋸で辱められるのと何の違いがあろう」。

解説

礼記祭義の「戦陣無勇非孝也」を引き、戦場で命を賭して戦うことも孝であると説く。武勇を励まさない者は、たとえ臆病の悪名を免れても不孝だという厳しい戒めである。さらに明の陳明卿の言葉を引き、主君を諫めて殺された夏の関竜逢や殷の比干の最期も、臨終に手足を見せて無傷を示した曾子と、心においては同じだと並べる。逆に心を欠けば、窓の下での安らかな老死も刑死の辱めと変わらない。結果の形より、どの心で事に臨んだかが問われる。逃げずに務めを果たすこと自体が、育ててくれた人への報いになるという見方である。

この章句が説くこと

孝武勇曽子比干勇心

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