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翁問答 / 下卷之末之末

體充曰、眞實の儒道を行には名利の欲をすつるが第一の工夫なりと被仰る、尤欲心はきたなきものなれば、すてたき事にて候へども、欲をすてゝは世の中のすまひ成申まじきと存候、いかゞ。師の曰、それは佛氏偏僻の敎に、釋尊の天子の位をすて龐居士が、家財をすてしごときを無欲なりと云を聞ならひてあやまる疑なり、儒道にはその樣にすじもなくて位をすて財寶をすつるをば氣ちがひの欲なきにたとへて大にきらへり、位にあるを欲とし位をすつるを無欲とし、財寳をたくはふるを欲とし財寶をすつるを無欲なりと思ふは、いまだ明德くらくして位をこのみ財寳の貪心根のこりて、外物に凝滯して便利煉擇の私ある故なり、

新字:体充曰、真実の儒道を行には名利の欲をすつるが第一の工夫なりと被仰る、尤欲心はきたなきものなれば、すてたき事にて候へども、欲をすてゝは世の中のすまひ成申まじきと存候、いかゞ。師の曰、それは仏氏偏僻の教に、釈尊の天子の位をすて龐居士が、家財をすてしごときを無欲なりと云を聞ならひてあやまる疑なり、儒道にはその様にすじもなくて位をすて財宝をすつるをば気ちがひの欲なきにたとへて大にきらへり、位にあるを欲とし位をすつるを無欲とし、財宝をたくはふるを欲とし財宝をすつるを無欲なりと思ふは、いまだ明徳くらくして位をこのみ財宝の貪心根のこりて、外物に凝滞して便利煉択の私ある故なり、

書き下し

体充曰、真実の儒道を行には名利の欲をすつるが第一の工夫なりと被仰る、尤欲心はきたなきものなれば、すてたき事にて候へども、欲をすてゝは世の中のすまひ成申まじきと存候、いかゞ。師の曰、それは仏氏偏僻の教に、釈尊の天子の位をすて龐居士が、家財をすてしごときを無欲なりと云を聞ならひてあやまる疑なり、儒道にはその様にすじもなくて位をすて財宝をすつるをば気ちがひの欲なきにたとへて大にきらへり、位にあるを欲とし位をすつるを無欲とし、財宝をたくはふるを欲とし財宝をすつるを無欲なりと思ふは、いまだ明徳くらくして位をこのみ財宝の貪心根のこりて、外物に凝滞して便利煉択の私ある故なり、

現代語訳

體充が言う。「真実の儒道を行うには名利の欲を捨てるのが第一の工夫だとおっしゃる。もっとも欲心は汚いものなので捨てたいことではあるが、欲を捨てては世の中で暮らしが成り立たないと思うが、どうか。」師が言う。「それは仏氏の偏った教えで、釈尊が天子の位を捨て、龐居士が家財を捨てたようなことを無欲だと言うのを聞き習って誤った疑いである。儒道では、そのように筋もなく位を捨て財宝を捨てるのを、気違いの欲のなさにたとえて大いに嫌う。位にあるのを欲とし位を捨てるのを無欲とし、財宝を蓄えるのを欲とし財宝を捨てるのを無欲だと思うのは、まだ明徳が暗くて位を好み財宝を貪る心根が残り、外の物にとらわれて、便利を選り好みする私があるからである。」

解説

無欲であれというのに財産も地位も捨てたら生きていけない、という率直な疑問である。藤樹は、位や財を捨てることを無欲とみなすのは仏教の偏った見方だと退ける。出家した釈尊や、家財を捨てたと伝えられる唐の居士龐蘊の例を挙げ、筋道なく捨てることはかえって物にとらわれた心の表れだという。捨てることにこだわるのも、持つことにこだわるのと同じく外物への執着なのである。お金や地位を持つこと自体を恥じる必要はない。問われるのは、それに心が振り回されていないかどうかである。

この章句が説くこと

欲無欲明徳財執着仏教

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