翁問答 / 下卷之末
かくある故に本心の眼あきらかなる哲人は所によりて品かはる迹をすてて、何國もかはらず同一體なる心をもて評判するなり、惣じて聖人も賢人も狂者も狷者も一心にこの見性成道なれば、その心をよく觀察してその位を定なり、莊子と釋迦達磨とことば作法はちがひたれ共、その心の見性成道はおなじ位なるによつて、狂者と云佛と云名はちがひぬれども、見性成道の心はひとつなり、天竺にて佛如來とあがめ貴ぶ人の心の位は大唐にて狂者となづくる中行より下の人の心の位なり、難波のあしは伊勢のはまをぎといへる諺の意なりと得心有べし。
新字:かくある故に本心の眼あきらかなる哲人は所によりて品かはる迹をすてて、何国もかはらず同一体なる心をもて評判するなり、惣じて聖人も賢人も狂者も狷者も一心にこの見性成道なれば、その心をよく観察してその位を定なり、荘子と釈迦達磨とことば作法はちがひたれ共、その心の見性成道はおなじ位なるによつて、狂者と云仏と云名はちがひぬれども、見性成道の心はひとつなり、天竺にて仏如来とあがめ貴ぶ人の心の位は大唐にて狂者となづくる中行より下の人の心の位なり、難波のあしは伊勢のはまをぎといへる諺の意なりと得心有べし。
書き下し
かくある故に本心の眼あきらかなる哲人は所によりて品かはる迹をすてて、何国もかはらず同一体なる心をもて評判するなり、惣じて聖人も賢人も狂者も狷者も一心にこの見性成道なれば、その心をよく観察してその位を定なり、荘子と釈迦達磨とことば作法はちがひたれ共、その心の見性成道はおなじ位なるによつて、狂者と云仏と云名はちがひぬれども、見性成道の心はひとつなり、天竺にて仏如来とあがめ貴ぶ人の心の位は大唐にて狂者となづくる中行より下の人の心の位なり、難波のあしは伊勢のはまをぎといへる諺の意なりと得心有べし。
現代語訳
(師は続けた。)「このようであるから、本心の眼が明らかな哲人は、所によって品の変わる跡を捨てて、どこの国でも変わらない同一体の心をもって評判するのである。総じて聖人も賢人も狂者も狷者も、一つの心によるこの見性成道であるから、その心をよく観察してその位を定めるのである。荘子と釈迦・達磨とは言葉や作法は違うけれども、その心の見性成道は同じ位であるので、狂者と言い仏と言い名は違うけれども、見性成道の心は一つである。天竺で仏・如来とあがめ貴ぶ人の心の位は、大唐で狂者と名づける、中行より下の人の心の位である。『難波の葦は伊勢の浜荻』という諺の意味であると得心すべきである。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・修身・心に城池有り、口に門戶有り心は城池有るを要し、口は門戶有るを要す。城池有れば則ち出でず、門戶有れば則ち縱にせず。
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『呻吟語』内篇・修身・心を大にし虛にし平にし潛め定む其の心を大にして天下の物を容れ、其の心を虛にして天下の善を受け、其の心を平にして天下の事を論じ、其の心を潛めて天下の理を觀、其の心を定めて天下の變に應ず。
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