翁問答 / 下卷之末
體充曰、おなじく狂者にても巢父、許由、曾哲などは、その敎の世につたはらざるに、釋迦、達磨の敎はその生國のみならず、大唐、日本まで流布仕は何たる故にて候や。師の曰、よき不審にて候、古來此ことはりを分明にときあきらめたる人稀なり、たとへば聖人は日のごとし、狂者は星の如し、ひるは日の光つよきによつて、星ありといへどもその光見えず、夜に入て日光てらしたまはねば星の光あきらかなり、その如く許由、曾哲などの時代には堯、舜、孔子の日の光午時と輝故に、狂者の敎ありても白晝の星の如くなれば、信仰して受用する人なきによつて、狂者も敎をひろめんと思ふ意なくて、敎の法をたてず、しかる故に末代に傳ふべき法なし、
新字:体充曰、おなじく狂者にても巣父、許由、曽哲などは、その教の世につたはらざるに、釈迦、達磨の教はその生国のみならず、大唐、日本まで流布仕は何たる故にて候や。師の曰、よき不審にて候、古来此ことはりを分明にときあきらめたる人稀なり、たとへば聖人は日のごとし、狂者は星の如し、ひるは日の光つよきによつて、星ありといへどもその光見えず、夜に入て日光てらしたまはねば星の光あきらかなり、その如く許由、曽哲などの時代には堯、舜、孔子の日の光午時と輝故に、狂者の教ありても白昼の星の如くなれば、信仰して受用する人なきによつて、狂者も教をひろめんと思ふ意なくて、教の法をたてず、しかる故に末代に伝ふべき法なし、
書き下し
体充曰、おなじく狂者にても巣父、許由、曽哲などは、その教の世につたはらざるに、釈迦、達磨の教はその生国のみならず、大唐、日本まで流布仕は何たる故にて候や。師の曰、よき不審にて候、古来此ことはりを分明にときあきらめたる人稀なり、たとへば聖人は日のごとし、狂者は星の如し、ひるは日の光つよきによつて、星ありといへどもその光見えず、夜に入て日光てらしたまはねば星の光あきらかなり、その如く許由、曽哲などの時代には堯、舜、孔子の日の光午時と輝故に、狂者の教ありても白昼の星の如くなれば、信仰して受用する人なきによつて、狂者も教をひろめんと思ふ意なくて、教の法をたてず、しかる故に末代に伝ふべき法なし、
現代語訳
體充が言った。「同じく狂者でも巣父・許由・曾皙などは、その教えが世に伝わらないのに、釈迦・達磨の教えはその生国だけでなく、大唐・日本まで流布しているのは、どういうわけでしょうか」。師は言う。「よい不審である。古来この道理を明らかに説き明かした人はまれである。たとえば聖人は日のようであり、狂者は星のようである。昼は日の光が強いので、星があってもその光は見えない。夜になって日光が照らさないと、星の光は明らかである。そのように許由・曾皙などの時代には、堯・舜・孔子の日の光が真昼に輝いていたので、狂者の教えがあっても白昼の星のようであり、信仰して受用する人がいないので、狂者も教えを広めようと思う心がなく、教えの法を立てなかった。それゆえ後の世に伝えるべき法がない。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『翁問答』下卷之末すでに聖人の日の光かくれたまひ、やみの夜となりたる戦国にいでられたる、荘子はその狂見をたくましくふるまひ人におしへがきをあらはして、大唐の狂者の教の始となれり、しかれども聖人の日の光かくれたまひていまだ程遠からぬゆへに、その星の光甚しからず、これにて聖人の日の光なきやみの夜には、狂者の星の光輝ことを考しべし、大唐には聖人あまた出たまひて、三才一貫、中庸精微の教さかんに行はれたるさへ、その日の光かくれたまひたるのちは荘子のごとくなり、まして天竺には終に聖人一人もいでたまはず、開闢より釈尊の時分までやみの世の戎国なれば、釈尊狂見の教を衆生信仰すること尤なり、天竺に聖人の至教なきによつて、三才一貫中庸精微の密に悟入すること能はず、只その広大高明一偏の悟を大覚明悟なりとおもひ定、天竺戎の風俗によつて教の法を立て、衆生を教化めされたり、
-
『翁問答』下卷之末さてまた大唐も戦国の後は気運否塞によつて聖人大賢出たまはすとこやみのよとまよひたる時節に、天竺の狂者釈迦の法始て大唐に入てひろまりたり、聖人の日の光午の時と輝時節ならば、中々ひろまるまじ、その証拠は許由、曽哲にて考知べし、さてまた日本より大唐へ通路初りたる時分、大唐に仏法ひろまりたる最中なれば、うけきたりき、日本にも流布したり、元来釈迦、達磨の法を立めされたる心根は衆生のまよひてあさましきていを憐みかなしびて、色々さまざまの寓言を立、勧善懲悪のためなれば、一段殊勝なれども、その徳狂者なる上に、天竺戎の風俗を元として立たる教の法なるによつて、逸狂偏僻なることばかりなり、
-
『翁問答』下卷之末その上すゝむる所の善真実無妄の至善にあらず、三才一貫中庸精微の至道にそむきて、人極のさまたげとなること多し、聖人中庸の法さへ迹になづみぬれば、人極のさはりとなるものなれば、まして狂者偏僻の法を迹ばかりを専らと取おこなふによつて、元来釈迦達磨の心根は勧善懲悪のためなるべけれども、末流には善をやぶり、悪をすゝめ、人の心を、迷はしめること、淫声美色のごとし、これみな末代その流をくむ比丘のあやまりと云ながら、本来狂者の所見純熟せざるによつて、その教法粗糲迂濶なる故なり、釈迦も達磨もすぐれたる狂者なれば、聖人にあひめされたらば必ず中庸精微の密に悟入して、中行の位に至めさるべし、たとひ中行にいたりめされずとも、許由曽哲などの如くにありて、かく世をまどはす教の法をば立めさるまじ、聖人出世ましまさぬ戎国に生出て、その法のひろまりたること幸に似たる不幸なり。
-
『翁問答』下卷之末体充曰、巣父、許由は狂者なれ共堯舜これを斥けたまはず、曽哲原壤も狂者なれ共、孔子これ斥けたまはず候間、釈尊も狂者にて候はゞ仏法をも斥けひらくべき理なし、しかるに程子曰、老仏は皆是れ正路の蓁蕪、聖門の蔽塞、之を闢きて而る後に以て道に入るべし、又曰、仏氏の言は之を楊墨に比ぶれば、尤も理に近しと為す、所以に其の害尤も甚しと為す、学者は当に淫声美色の如くにして之を遠ざくべし、爾らずんば則ち駸々然として其の中に入らん、朱子曰、異端虚無寂滅の教、其の高きこと大学に過ぎて実無し、又曰、老仏の徒出づるに至りては、則ち弥理に近くして大いに真を乱る、又曰程夫子兄弟なる者出でて、考ふる所有るを得て以て夫の千載不伝の緒を続ぎ、拠る所有るを得て以て夫の二家似是の非を斥く、かくのごとく甚しく斥きひらきめされたるは、何たる故にて候や。
-
『翁問答』下卷之末師の曰、巣父、許由、曽哲、原壤などは、堯舜、孔子の日の光つよきによつて、その狂見の教をひろめて世教のさまたげとならず、其上惟狂克念作聖の人なるによつて斥けたまはざるなり、程子朱子の時には儒道くらくて仏道盛にひろまり、末流の比丘みだりに意見にまかせくちにまかせて、釈尊の本意にもそむきたる造言をなし、法をたてゝ世をまどはし人を誑し、すゝむるによつて、やむことを得ずしてかくの如くしりぞけひらきて、天下後世のまよひを解あきらめ召されたり、即ち孔子原壤の脛を叩て為賊と責たまふ意を祖述して、攘退めされたれば拠どころなきにあらず、仏氏の流をくむもの許由曽哲などの如く、我心にのみ狂見をまもりて世教をさまたげずば、程子朱子もさのみしりぞけひらきめさるまじ、君子は仁孝の心切なる故に、天下を汚濁に溺らし、人倫を禽獣の域にひきいれぬるを憐れみなげきて、はなはだしく攘斥めされたり、仏者の勝むことをこのむ邪心にて、儒道をそねむが如くなるにはあらず。
-
『翁問答』下卷之末体充曰、先生の教を承候へば仏は聖人より二位ほどしたなる見性成道なり、しかるに仏者曰、釈尊の仏力をもて仏弟子三人を大唐へつかはし老子孔子、顔子三聖人と化身させて、大唐の衆生を化度したまふと云儀なり、此経文にて見れば、孔子、顔子も皆釈尊の御弟子なり、加様の因縁を弁へずして、孔門の儒者みだりに仏法をしりぞくるは、さたの限りなりと高ぶりあざけり候、何とて加様なる因縁もあることにて候や。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る