翁問答 / 下卷之本
躰充曰、仰せ候理り尤にては御座候へども、つねづねいかつにたけく、腕だてのたしなみなく候はゞ、武用ぬるく候はんかと存候はいかん。師の曰、或は合戰の場、或は武篇をはたらくべき時にはたけきふるまいなくてはかなはぬ事なれども、平生無事の時は詮なき事なり、戰陣のためにとて平生無事の時、つねづねたけきふるまいをたしなみぬるは、湯の呑置とやらん愚なるたしなみなるべし、たとへば軍陣のたしなみとて平生はなさず具足冑をきるが如し、その上武藝をならひ軍法を學ぶは、武篇のたすけなれば、常のたしなみ尤なり、いかつにたけく腕立をたしなみ、人を殺す事を好むは、武篇の助になるものにあらず、却て武篇のさまたげとなるべし、其仔細はいかつにたけく腕だてをたしなむ人は、必人をあなどりかろしめて、爭ふ心甚しきによつて、必喧嘩の犬死をなし、親に憂をかけ主君の知行をぬすみて淺まし、たとひ喧嘩のはたらきけなげなりとも、かみあひの强き犬にことならず、心あらん士ははぢおそるべき事なり、
新字:体充曰、仰せ候理り尤にては御座候へども、つねづねいかつにたけく、腕だてのたしなみなく候はゞ、武用ぬるく候はんかと存候はいかん。師の曰、或は合戦の場、或は武篇をはたらくべき時にはたけきふるまいなくてはかなはぬ事なれども、平生無事の時は詮なき事なり、戦陣のためにとて平生無事の時、つねづねたけきふるまいをたしなみぬるは、湯の呑置とやらん愚なるたしなみなるべし、たとへば軍陣のたしなみとて平生はなさず具足冑をきるが如し、その上武芸をならひ軍法を学ぶは、武篇のたすけなれば、常のたしなみ尤なり、いかつにたけく腕立をたしなみ、人を殺す事を好むは、武篇の助になるものにあらず、却て武篇のさまたげとなるべし、其仔細はいかつにたけく腕だてをたしなむ人は、必人をあなどりかろしめて、争ふ心甚しきによつて、必喧嘩の犬死をなし、親に憂をかけ主君の知行をぬすみて浅まし、たとひ喧嘩のはたらきけなげなりとも、かみあひの強き犬にことならず、心あらん士ははぢおそるべき事なり、
書き下し
体充曰、仰せ候理り尤にては御座候へども、つねづねいかつにたけく、腕だてのたしなみなく候はゞ、武用ぬるく候はんかと存候はいかん。師の曰、或は合戦の場、或は武篇をはたらくべき時にはたけきふるまいなくてはかなはぬ事なれども、平生無事の時は詮なき事なり、戦陣のためにとて平生無事の時、つねづねたけきふるまいをたしなみぬるは、湯の呑置とやらん愚なるたしなみなるべし、たとへば軍陣のたしなみとて平生はなさず具足冑をきるが如し、その上武芸をならひ軍法を学ぶは、武篇のたすけなれば、常のたしなみ尤なり、いかつにたけく腕立をたしなみ、人を殺す事を好むは、武篇の助になるものにあらず、却て武篇のさまたげとなるべし、其仔細はいかつにたけく腕だてをたしなむ人は、必人をあなどりかろしめて、争ふ心甚しきによつて、必喧嘩の犬死をなし、親に憂をかけ主君の知行をぬすみて浅まし、たとひ喧嘩のはたらきけなげなりとも、かみあひの強き犬にことならず、心あらん士ははぢおそるべき事なり、
現代語訳
躰充が言った。「おっしゃる道理はもっともですが、ふだんから荒々しく猛く、腕立てのたしなみがなければ、武の働きが鈍くなるのではないかと思いますが、いかがでしょうか」。師は言う。「合戦の場や武篇を働くべき時には猛い振る舞いがなくてはならないが、平生無事の時には意味のないことである。戦陣のためだといって平生無事の時にいつも猛い振る舞いをたしなむのは、湯の呑み置きとかいう愚かなたしなみであろう。たとえば軍陣のたしなみだといって、平生も離さず具足や冑を着ているようなものである。そのうえ武芸を習い軍法を学ぶのは武篇の助けであるから、常のたしなみとしてもっともである。しかし荒々しく猛く腕立てをたしなみ、人を殺すことを好むのは武篇の助けになるものではなく、かえって武篇の妨げとなる。そのわけは、荒々しく猛く腕立てをたしなむ人は、必ず人を侮り軽んじて争う心がはなはだしいので、必ず喧嘩の犬死をし、親に憂いをかけ、主君の知行を盗むことになってあさましい。たとえ喧嘩の働きが健気であっても、噛み合いの強い犬と変わらない。心ある士は恥じ恐れるべきことである。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・義を為すは勇なり勇もし義に由らずんば、即ち徳たるに値ひせず。孔子は論語にて、其常とする、消極よりして勇の定義を下し、『義を見て為さざるは勇無きなり』と説きしが、之を積極に換言すれば、則ち『義を為すは勇なり』となる。危を求め、命を殆くし、死の口に馳する事、人の或は之を以て勇に擬するあり。武人の如きは、誤つてシェイクスピアの所謂『庶出の勇』たる、暴虎憑河、死して悔いざる者を賛すと雖、ひとり武士道は然らず、死すべからずして死するを犬死と賤めたり。水戸の義公はプラトーの名さへ耳にせざりき。されば此哲人が勇を称して、『恐るべきものと、恐るべからざるものとを弁識することなり』と云へるが如きは、固より之を学びたること無し。然るに義公は曰へり、『戦に臨んで身を捨つること難からず、田夫野人と雖、之を能くす。
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・大勇の士は沈着重厚なりされど武士道の勇に於ける観念は、ただにかくの如きに止まらず。勇の人の精神に宿るや、現はれて沈毅となり、不動となる。平静なるは勇の休息せる形にして、又た勇の平衡を得て静止せる現象なり。之に反して大胆なる行為は、其の動勢に表はれたる形なり。大勇の士は、沈着重厚なり。事に処して、其常を失はず、矢石を冒して怖れず、災危に臨んで動かず、雷霆の威に屈せず、風波の烈に驚かず、泰山前に崩るとも変ぜず、鼎釼の中にありて自から安んじ、死生の巷に立ちて自から楽めり。真の勇者は、危を踏み、死に瀕して従容詩歌を詠じ、声音筆蹟毫も平生に異ならず。人、皆之を歎称せり。けだし悠々逼らざること、かくの如きは、其心に多大の余裕あるに因らずんばあらず。
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論語・公冶長篇子曰く、「道行われず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由か。」子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、「由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し。」
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論語・陽貨篇子路曰く、「君子は勇を尚ぶか。」子曰く、「君子は義以て上と為す。君子勇有りて義無ければ乱を為し、小人勇有りて義無ければ盗を為す。」
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・生くべき時に生き死すべき時に死すされど生くべき時に生き、死すべき時に死するは真の勇なり』と。又た泰西の識者の、肉体の勇と道徳の勇とを区別するが如きは、我国人も亦たつとに之を為す。いやしくも士林に在る者は、小少より既に大勇と匹夫の勇とを弁知せざるものなかりしならん。剛毅、大胆、自若、勇猛の徳性は、青年武士の嚮往する所にして、彼等は実例に則り、実行に由り、世の最も尊尚する此徳を磨厲して、敢て人後に落ちざらんことを努めたり。孩提の児童と雖、なお母の懐に在りて、武功譚、英雄物語に耳を傾け、もし苦痛を哀訴することあらんか、母は『些少の苦痛に泣くは卑怯者』と呵し、継ぐに『戦場に出でて、腕を断たれなば何如。切腹を命ぜられなば何如』等の属語を以てしたり。
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『呻吟語』外篇・品藻・至勇は氣無し小勇は噭燥、巧勇は色笑、大勇は沉毅、至勇は氣無し。
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