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翁問答 / 下卷之本

體充曰、武篇のたしなみばかりを士道なりとこそそんじ候へ、明德をあきらかにして仁義を行ふを士道なりと仰せられ候へば、世間に士道を心得たるさふらいは古來稀なるべし、しかはあれどむかしも今も士の道も立、くにも治まり候へば、むづかしき心學はさしていらざる事にて御座候はんか。師の曰、盜跖といへる盜は、世間にぬすみにましたるよき事なし、堯舜、禹、湯の仁義だては無益の事なりと高言せしと語り傳へしもあれば、まよへる凡夫はさやうの心得も尤なり、しかれどもそれは明德といひ仁義と云名になずみて實にまよひたる不審なり明德仁義はわれ人の本心の異名なり、此本心はいのちの根なれば、いきとしいける人間に、明德仁義の心なきは一人もなし、親を愛するは仁なり、君に忠節を盡すは義なり、此忠孝の心をあきらかにして、正しくおこなふを明德をあきらかにし、仁義を行ふと云、これを學ぶを心學と云也、

新字:体充曰、武篇のたしなみばかりを士道なりとこそそんじ候へ、明徳をあきらかにして仁義を行ふを士道なりと仰せられ候へば、世間に士道を心得たるさふらいは古来稀なるべし、しかはあれどむかしも今も士の道も立、くにも治まり候へば、むづかしき心学はさしていらざる事にて御座候はんか。師の曰、盗跖といへる盗は、世間にぬすみにましたるよき事なし、堯舜、禹、湯の仁義だては無益の事なりと高言せしと語り伝へしもあれば、まよへる凡夫はさやうの心得も尤なり、しかれどもそれは明徳といひ仁義と云名になずみて実にまよひたる不審なり明徳仁義はわれ人の本心の異名なり、此本心はいのちの根なれば、いきとしいける人間に、明徳仁義の心なきは一人もなし、親を愛するは仁なり、君に忠節を尽すは義なり、此忠孝の心をあきらかにして、正しくおこなふを明徳をあきらかにし、仁義を行ふと云、これを学ぶを心学と云也、

書き下し

体充曰、武篇のたしなみばかりを士道なりとこそそんじ候へ、明徳をあきらかにして仁義を行ふを士道なりと仰せられ候へば、世間に士道を心得たるさふらいは古来稀なるべし、しかはあれどむかしも今も士の道も立、くにも治まり候へば、むづかしき心学はさしていらざる事にて御座候はんか。師の曰、盗跖といへる盗は、世間にぬすみにましたるよき事なし、堯舜、禹、湯の仁義だては無益の事なりと高言せしと語り伝へしもあれば、まよへる凡夫はさやうの心得も尤なり、しかれどもそれは明徳といひ仁義と云名になずみて実にまよひたる不審なり明徳仁義はわれ人の本心の異名なり、此本心はいのちの根なれば、いきとしいける人間に、明徳仁義の心なきは一人もなし、親を愛するは仁なり、君に忠節を尽すは義なり、此忠孝の心をあきらかにして、正しくおこなふを明徳をあきらかにし、仁義を行ふと云、これを学ぶを心学と云也、

現代語訳

體充が言った。「武篇のたしなみだけを士道だと存じておりました。明徳を明らかにして仁義を行うのを士道だとおっしゃると、世間に士道を心得た侍は古来まれでしょう。とはいえ昔も今も士の道も立ち、国も治まっておりますので、むずかしい心学はさして要らないことではないでしょうか」。師は言う。「盗跖という盗賊は、世間に盗みにまさるよいことはない、堯・舜・禹・湯の仁義立ては無益だと高言したと語り伝えられているから、迷っている凡夫がそのように心得るのももっともである。しかしそれは明徳と言い仁義と言う名にとらわれて、実を見失った不審である。明徳仁義は、われ人の本心の異名である。この本心は命の根であるから、生きとし生ける人間に明徳仁義の心のない者は一人もない。親を愛するのは仁である。君に忠節を尽くすのは義である。この忠孝の心を明らかにして正しく行うのを、明徳を明らかにし仁義を行うと言い、これを学ぶのを心学と言うのである。」

解説

體充は、心学など難しいものは士に要らないのではと問う。藤樹は、明徳や仁義という言葉を何か高尚で特別なものと思うのが誤りだと答える。明徳も仁義も、誰もが生まれながらに持つ本心の別名であり、親を愛する心が仁、主君に忠を尽くす心が義である。その当たり前の心を明らかにし、正しく行うことを学ぶのが心学だという。難しい理論を覚えることではなく、すでに持っている善い心を曇らせずに働かせる学びであるという点に、藤樹の学問の平易さと力強さがある。

この章句が説くこと

明徳仁義本心心学孝忠

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