翁問答 / 下卷之本
體充問曰、士道の吟味は、いかゞ仕りたるがよく候や。師の曰、むかし齊王の子塾と云人孟子にあふて曰、四民のうち農工商賈各々みなその所作あり、今の士を見るに酒嚢飯袋といへるが如く、輕暖の衣服をきて甘美の酒食にあけるのみにて、さしてつとめはげます所作は見えず、士たるものは何事を所作とするものにて候やとゝはれたり、孟子の曰、農工商賈にちからを勞して人を養ふを事とし、士より上は心を勞して人を治むるを事とする故に、明徳をあきらかにして、仁義を行ふが士の所作なりと答へたまひけり、しかる時は儒道が即ち士道なれば、眞儒の心學にて吟味したるがよろしく候、さなくては吟味正眞の義理にあたらぬものなり、近代甲斐の信玄は文學をもめされて、隨分吟味つよき大將なり、しかれども眞儒の心學なきによつて、軍鑑の吟味正眞の義理にあたるは少なし、よくよく體認あるべし。
新字:体充問曰、士道の吟味は、いかゞ仕りたるがよく候や。師の曰、むかし斉王の子塾と云人孟子にあふて曰、四民のうち農工商賈各々みなその所作あり、今の士を見るに酒嚢飯袋といへるが如く、軽暖の衣服をきて甘美の酒食にあけるのみにて、さしてつとめはげます所作は見えず、士たるものは何事を所作とするものにて候やとゝはれたり、孟子の曰、農工商賈にちからを労して人を養ふを事とし、士より上は心を労して人を治むるを事とする故に、明徳をあきらかにして、仁義を行ふが士の所作なりと答へたまひけり、しかる時は儒道が即ち士道なれば、真儒の心学にて吟味したるがよろしく候、さなくては吟味正真の義理にあたらぬものなり、近代甲斐の信玄は文学をもめされて、随分吟味つよき大将なり、しかれども真儒の心学なきによつて、軍鑑の吟味正真の義理にあたるは少なし、よくよく体認あるべし。
書き下し
体充問曰、士道の吟味は、いかゞ仕りたるがよく候や。師の曰、むかし斉王の子塾と云人孟子にあふて曰、四民のうち農工商賈各々みなその所作あり、今の士を見るに酒嚢飯袋といへるが如く、軽暖の衣服をきて甘美の酒食にあけるのみにて、さしてつとめはげます所作は見えず、士たるものは何事を所作とするものにて候やとゝはれたり、孟子の曰、農工商賈にちからを労して人を養ふを事とし、士より上は心を労して人を治むるを事とする故に、明徳をあきらかにして、仁義を行ふが士の所作なりと答へたまひけり、しかる時は儒道が即ち士道なれば、真儒の心学にて吟味したるがよろしく候、さなくては吟味正真の義理にあたらぬものなり、近代甲斐の信玄は文学をもめされて、随分吟味つよき大将なり、しかれども真儒の心学なきによつて、軍鑑の吟味正真の義理にあたるは少なし、よくよく体認あるべし。
現代語訳
體充が問うた。「士道の吟味は、どのようにするのがよいでしょうか」。師は言う。「昔、斉王の子の塾(墊)という人が孟子に会って言った。『四民のうち農・工・商賈はそれぞれ所作(仕事)がある。今の士を見ると、酒袋・飯袋と言うように、軽く暖かい衣服を着て、うまい酒食に飽きるだけで、これといって努め励む仕事は見えない。士たる者は何を仕事とするのですか』と問われた。孟子は『農工商賈は力を労して人を養うことを仕事とし、士より上は心を労して人を治めることを仕事とする。だから明徳を明らかにして仁義を行うのが士の仕事である』と答えられた。そうであれば儒道がすなわち士道であるから、真の儒の心学で吟味するのがよい。そうでなければ吟味は正真の義理に当たらない。近代では甲斐の信玄は文学も修められて、なかなか吟味の強い大将である。けれども真の儒の心学がないので、軍鑑の吟味が正真の義理に当たるものは少ない。よくよく体認すべきである。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『翁問答』上卷之末体充曰、士のぎんみは如何様に仕るものにて御座候や、世間の諸侯の諸士をかゝへたまふを見るに、吟味ある様には候へども、吟味のさほう定りたる事ありとはみえ申さず候、我々の見および候は、只よきひいきつてのあるものがよき士ともなされて、たかちぎやうをとり申候と存じ候は如何。師の曰、それはわるくちと云ものにて道の議論にてはなく候、君たる程の人はよくよく吟味してよき士をかゝへたくは思ひ給ひ候へども、世間の風俗悪く吟味の作法あきらかならざるゆへに心ならずぶぎんみになりもてゆくとみへたり、根本さぶらいの品上中下の三だんあり、明徳十分にあきらかに、名利私欲のわずらひなく、仁義の大勇ありて文武かね備りたるを上とす、十分に明徳はあきらかならねども財宝利欲の迷なく、功名節義を身にかへて守りぬるを中とす、おもてむきばかり義理だてをして心には財宝利欲立身をのみむさぶりゐるを下とす、此下品のくせもの沢山にときめくと見へたり、君たる人の御用心あるべきことにて候、
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『翁問答』下卷之本体充曰、武篇のたしなみばかりを士道なりとこそそんじ候へ、明徳をあきらかにして仁義を行ふを士道なりと仰せられ候へば、世間に士道を心得たるさふらいは古来稀なるべし、しかはあれどむかしも今も士の道も立、くにも治まり候へば、むづかしき心学はさしていらざる事にて御座候はんか。師の曰、盗跖といへる盗は、世間にぬすみにましたるよき事なし、堯舜、禹、湯の仁義だては無益の事なりと高言せしと語り伝へしもあれば、まよへる凡夫はさやうの心得も尤なり、しかれどもそれは明徳といひ仁義と云名になずみて実にまよひたる不審なり明徳仁義はわれ人の本心の異名なり、此本心はいのちの根なれば、いきとしいける人間に、明徳仁義の心なきは一人もなし、親を愛するは仁なり、君に忠節を尽すは義なり、此忠孝の心をあきらかにして、正しくおこなふを明徳をあきらかにし、仁義を行ふと云、これを学ぶを心学と云也、
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『翁問答』下卷之本体充曰諸大名衆道なきわたり奉公人を崇敬ましますにより、士の風きたなくなりゆく子細はいかに。師の曰、心学をよくわきまへたる士は、義理をかたく守りて、邪欲なければ、世間の作法にあやかる事なし、心学のみがきなき士は、邪なる名利にふけるものなり、今時の士心学のみがきなきものばかりなれば、商立身の上手なる士の時めくを見聞てうらやみあやかり、我も我もと真似をするにより、次第に風きたなくけがれて、士道の吟味をば古風にて、時にあはずなど云て心がけず、あさましき作法となり行きぬるは、むざとしたる手くろ士を大名衆の崇敬したまふ故なり、主君の政だによろしければ、その国の諸士人ごとにみな義士勇士となる事、倭漢ともにそのためし多し、しかるに久功の諸士をば粗略にもてなし、故なき街士をいまめかしく崇敬したまふは、物体なき事なるべし。
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段我未だ之を見ずとのたまふ。世界は広きことなれば、鼻を塞いで、不義の物を受くる士も有るべし。若し有らば、士に似て刀を指す盗人にて有らん。事を頼む者より賂をとる、壁を穿つ盗人に同じ。青砥が公事を分明に分くることは、相模守殿を思ひたてまつると云ふなれば、我が身を修め、役目を正しく勉め邪なきは、君への忠臣なり。今治世に、何ぞ不忠の士あらんや。商人も二重の利、密々の金を取るは、先祖への不孝不忠なりとしり、心は士にも劣るまじと思ふべし。商人の道と云ふとも、何ぞ士農工の道に替ること有らんや。孟子も、道は一なりとのたまふ。士農工商、ともに天の一物なり。天に二つの道有らんや。
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『都鄙問答』卷之一・武士ノ道ヲ問ノ段何をか志を尚くすと謂ふ。仁義のみ。一の罪無きを殺すは、仁に非ざるなり。其の有に非ずして之を取るは、義に非ざるなり。居悪くにか有る、仁是れなり。路悪くにか有る、義是れなり。又曰く、生を舎てて義を取る者は、此を以て患ひも辟けざる所有るなり。士たる者は、これを味はふべき所なり。又世に誤りて、武芸ばかりを以て、士の道と心得るものあり。実の志無きは、士の中に入るべきにあらず。子曰く、如し周公の才の美有りとも、驕り且つ吝かならしめば、其の余は観るに足らざるのみ、と。心正しく直ならば、他に不足ありとも、猶士と云ふべし。孔子又曰く、邦に道あれば穀す、邦に道無くして穀するは恥なり、と。然れば治世に幸ひを以て禄を得、無役にして食むは、恥づべきことなり。況や君無道にて国治まらず、然るに君を正すことあたはず、禄を貪り身を退かざるは、此れ又大なる恥なり。能々味はふべき所なり。此の志の大略を云ふ。事は士の家に入りて聞かるべし。
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『翁問答』下卷之本うまれつき勇あるものは正真の儒学をつとめて、其勇を仁義の勇となし、生れつき勇なきものも又正真の儒学をつとめて本心に具有したる仁義の勇をあきらかにせよと教たまふ義なり、此等の聖謨をよくよく体認して、武篇をたしなまんと思ふ士は、志しあるべき事なり、本来軍法軍礼武篇のたしなみ諸士の作法のおきてみな儒道の一色にして、聖人のさだめ給ふ天理なれば、士たるものが、儒道をそしり、儒学をするは士のわざならずなどいへるはまことに無下に無案内なることなれば、其はじをしるべし。
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