翁問答 / 上卷之末
體充曰、士のぎんみは如何樣に仕るものにて御座候や、世間の諸侯の諸士をかゝへたまふを見るに、吟味ある樣には候へども、吟味のさほう定りたる事ありとはみえ申さず候、我々の見および候は、只よきひいきつてのあるものがよき士ともなされて、たかちぎやうをとり申候と存じ候は如何。師の曰、それはわるくちと云ものにて道の議論にてはなく候、君たる程の人はよくよく吟味してよき士をかゝへたくは思ひ給ひ候へども、世間の風俗惡く吟味の作法あきらかならざるゆへに心ならずぶぎんみになりもてゆくとみへたり、根本さぶらいの品上中下の三だんあり、明德十分にあきらかに、名利私欲のわずらひなく、仁義の大勇ありて文武かね備りたるを上とす、十分に明德はあきらかならねども財寶利欲の迷なく、功名節義を身にかへて守りぬるを中とす、おもてむきばかり義理だてをして心には財寳利欲立身をのみむさぶりゐるを下とす、此下品のくせもの澤山にときめくと見へたり、君たる人の御用心あるべきことにて候、
新字:体充曰、士のぎんみは如何様に仕るものにて御座候や、世間の諸侯の諸士をかゝへたまふを見るに、吟味ある様には候へども、吟味のさほう定りたる事ありとはみえ申さず候、我々の見および候は、只よきひいきつてのあるものがよき士ともなされて、たかちぎやうをとり申候と存じ候は如何。師の曰、それはわるくちと云ものにて道の議論にてはなく候、君たる程の人はよくよく吟味してよき士をかゝへたくは思ひ給ひ候へども、世間の風俗悪く吟味の作法あきらかならざるゆへに心ならずぶぎんみになりもてゆくとみへたり、根本さぶらいの品上中下の三だんあり、明徳十分にあきらかに、名利私欲のわずらひなく、仁義の大勇ありて文武かね備りたるを上とす、十分に明徳はあきらかならねども財宝利欲の迷なく、功名節義を身にかへて守りぬるを中とす、おもてむきばかり義理だてをして心には財宝利欲立身をのみむさぶりゐるを下とす、此下品のくせもの沢山にときめくと見へたり、君たる人の御用心あるべきことにて候、
書き下し
体充曰、士のぎんみは如何様に仕るものにて御座候や、世間の諸侯の諸士をかゝへたまふを見るに、吟味ある様には候へども、吟味のさほう定りたる事ありとはみえ申さず候、我々の見および候は、只よきひいきつてのあるものがよき士ともなされて、たかちぎやうをとり申候と存じ候は如何。師の曰、それはわるくちと云ものにて道の議論にてはなく候、君たる程の人はよくよく吟味してよき士をかゝへたくは思ひ給ひ候へども、世間の風俗悪く吟味の作法あきらかならざるゆへに心ならずぶぎんみになりもてゆくとみへたり、根本さぶらいの品上中下の三だんあり、明徳十分にあきらかに、名利私欲のわずらひなく、仁義の大勇ありて文武かね備りたるを上とす、十分に明徳はあきらかならねども財宝利欲の迷なく、功名節義を身にかへて守りぬるを中とす、おもてむきばかり義理だてをして心には財宝利欲立身をのみむさぶりゐるを下とす、此下品のくせもの沢山にときめくと見へたり、君たる人の御用心あるべきことにて候、
現代語訳
體充が言った。「侍の吟味(人物の見極め)はどのようにするものでしょうか。世間の大名が侍を召し抱えるのを見ると、吟味しているようではありますが、吟味の作法が定まっているとは見えません。私どもの見るところでは、ただよい引き立てやつてのある者がよい侍とされて、高い知行を取っているように思いますが、いかがでしょう。」師が言った。「それは悪口というもので、道の議論ではない。主君ほどの人は、よくよく吟味してよい侍を抱えたいと思ってはいるが、世間の風俗が悪く吟味の作法が明らかでないため、心ならずも吟味が行き届かなくなっていくように見える。根本、侍の品には上中下の三段がある。明徳が十分に明らかで、名利私欲のわずらいがなく、仁義の大勇があって文武を兼ね備えた者を上とする。明徳は十分に明らかでなくても、財宝利欲の迷いがなく、功名と節義を命にかえて守る者を中とする。表向きばかり義理立てをして、心では財宝利欲や出世ばかりをむさぼっている者を下とする。この下品のくせ者がたくさん時めいているように見える。主君たる人の用心すべきことである。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『翁問答』上卷之末さて諸士を吟味するかなめ三つあり、徳と才能と功となり、三つのうちいづれにても上中下あり、徳は文武合一の明徳なり、才能は天下国家の万事をとりおこなふ文芸武芸の才智芸なり、功は或は天下国家のしをきの功をつみ、或は奉公奔走の功をなし或は天下国家の難をはらひ、或は天下国家の為になる事を始てつくり出し、あるひは大敵をほろぼし武功をたつるなど皆功なり、徳と才と功と三つを吟味の柱とさだめ、上中下のしなによつて、その分際相応の知行をあたへ、官職をさづくるが、古来さぶらいの吟味をする掟にて候、今も才と功とのとりさたは候へども、徳のさたはしる人まれなりとみえたり。
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『翁問答』下卷之本体充曰諸大名衆道なきわたり奉公人を崇敬ましますにより、士の風きたなくなりゆく子細はいかに。師の曰、心学をよくわきまへたる士は、義理をかたく守りて、邪欲なければ、世間の作法にあやかる事なし、心学のみがきなき士は、邪なる名利にふけるものなり、今時の士心学のみがきなきものばかりなれば、商立身の上手なる士の時めくを見聞てうらやみあやかり、我も我もと真似をするにより、次第に風きたなくけがれて、士道の吟味をば古風にて、時にあはずなど云て心がけず、あさましき作法となり行きぬるは、むざとしたる手くろ士を大名衆の崇敬したまふ故なり、主君の政だによろしければ、その国の諸士人ごとにみな義士勇士となる事、倭漢ともにそのためし多し、しかるに久功の諸士をば粗略にもてなし、故なき街士をいまめかしく崇敬したまふは、物体なき事なるべし。
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『翁問答』上卷之末体充曰、いま時の功と才との吟味はむかしの掟によくかなひ申候や。師の曰、功と才との名はむかしひとつにて候へども、吟味のしやうあしきゆへに、人のてくろ上手になりたるゆへか、むかしの掟にかなふ事はすくなく候。体充曰、むかしの掟はいかにおはしまし候や。師の曰、むかしの掟は、才も功も徳を根本とし徳は中和をもつて大本とす、才も功も義理にかなはねば真実の才功にあらず、さて君たる人の心がおきての鏡にて候、此鏡くもり候ては何の吟味もあやまるばかりなれば、人君の心をあきらかにして掟の鏡と定め、才と功と徳の正真贋上中下のしなさだめ、鏡のかげを照す如く、毛頭あやまりなければ、諸士のてくろおのずからなくなり、真実の徳と才と功にちからをはげまし、正真の忠節を尽すものなり、これむかしの掟の眼なり、なにほどよき掟ありても、主君のこゝろくらければ其掟用にたゝぬ物にて候へば、君たる人はぢおそるべきなり。
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『翁問答』下卷之本体充問曰、士道の吟味は、いかゞ仕りたるがよく候や。師の曰、むかし斉王の子塾と云人孟子にあふて曰、四民のうち農工商賈各々みなその所作あり、今の士を見るに酒嚢飯袋といへるが如く、軽暖の衣服をきて甘美の酒食にあけるのみにて、さしてつとめはげます所作は見えず、士たるものは何事を所作とするものにて候やとゝはれたり、孟子の曰、農工商賈にちからを労して人を養ふを事とし、士より上は心を労して人を治むるを事とする故に、明徳をあきらかにして、仁義を行ふが士の所作なりと答へたまひけり、しかる時は儒道が即ち士道なれば、真儒の心学にて吟味したるがよろしく候、さなくては吟味正真の義理にあたらぬものなり、近代甲斐の信玄は文学をもめされて、随分吟味つよき大将なり、しかれども真儒の心学なきによつて、軍鑑の吟味正真の義理にあたるは少なし、よくよく体認あるべし。
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『翁問答』下卷之本かやうの士を崇敬ありて用にたちたるためし、唐土にも我朝にても古来なき事なり、しかるに諸大名衆かの商立身のてだて上手なる人をよき士と心得て、過分の知行にて抱たまふは、さだめて国をおさめ軍を行たすけとせんとの思ひ入にて候はんか、左様の御こゝろざしにてましませば、諸葛孔明のくさぶきの陋巷へ蜀の先主の自身三たびまで、幸なりて呼出し給ふに似てその御心根は一段殊勝に候へども、人品の吟味おろかにして、過分の知行をすてたまふのみならず、士道のさまたげとなり諸士の風これによつて、日々にきたなくなりゆくこと、あさましくなげかし。
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『翁問答』下卷之末之末体充曰、先生の教を承届候へば利欲をすつることは成易く候はんが、名の欲をすてゝ世間の外聞をなにともおもはず候はゞ、気随になりて作法あしく候はんと存候、いかゞ。師の曰、よき不審にて候、名の欲は利欲にくらぶれば、一位ましていさぎよし、子細は名をこのむものは財宝をむさぶらず、命をおしまずきたなき利欲はすこしもなき故に功名の士をは中の位と定たり、性命の学に志なく、義理を専に守らざる人はせめて名の欲ありて利欲のなきがよし、真儒性命の学に志なく義理を守らざる人外聞を何ともおもはぬときは、必気随になりて作法あしく、其心潔人は狂者の風に入その心きたなきは市井の風に入ぬべし、吟味有べき事なり、しかれどもこれは心学に志なき凡夫の上の吟味なり、心学に志ある上の吟味はまた各別の吟味なり、
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