翁問答 / 下卷之本
躰充問曰、聖人賢人英雄奸雄の差別くはしく承度候。師の曰、文武合一の明德十分にあきらかにして才德千萬人にすぐれ、神明不測の妙用あるを聖人といふ、三皇、五帝禹湯、文武、周公、孔子これなり聖人に一等おとりたるを賢人と云、伊尹、傳說、太公、召公、顏子、曾子、子思、孟子孔明、王陽明など是なり、德と才は賢人に一等おとりぬれども大將の才は賢人と牛角なるを英雄といふ、管仲、樂毅、孫子、范蠡、張良など是なり、大將の才ばかり逞しく、よの才はみじかく明德のくらきを奸雄といふ、項羽韓信など是なり、義經正成などは日本にての英雄なるべし、
新字:体充問曰、聖人賢人英雄奸雄の差別くはしく承度候。師の曰、文武合一の明徳十分にあきらかにして才徳千万人にすぐれ、神明不測の妙用あるを聖人といふ、三皇、五帝禹湯、文武、周公、孔子これなり聖人に一等おとりたるを賢人と云、伊尹、伝説、太公、召公、顔子、曽子、子思、孟子孔明、王陽明など是なり、徳と才は賢人に一等おとりぬれども大将の才は賢人と牛角なるを英雄といふ、管仲、楽毅、孫子、范蠡、張良など是なり、大将の才ばかり逞しく、よの才はみじかく明徳のくらきを奸雄といふ、項羽韓信など是なり、義経正成などは日本にての英雄なるべし、
書き下し
体充問曰、聖人賢人英雄奸雄の差別くはしく承度候。師の曰、文武合一の明徳十分にあきらかにして才徳千万人にすぐれ、神明不測の妙用あるを聖人といふ、三皇、五帝禹湯、文武、周公、孔子これなり聖人に一等おとりたるを賢人と云、伊尹、伝説、太公、召公、顔子、曽子、子思、孟子孔明、王陽明など是なり、徳と才は賢人に一等おとりぬれども大将の才は賢人と牛角なるを英雄といふ、管仲、楽毅、孫子、范蠡、張良など是なり、大将の才ばかり逞しく、よの才はみじかく明徳のくらきを奸雄といふ、項羽韓信など是なり、義経正成などは日本にての英雄なるべし、
現代語訳
體充が問う。「聖人・賢人・英雄・奸雄の区別を詳しく承りたい」。師が答える。「文武合一の明徳が十分に明らかで、才徳が千万人にすぐれ、神明不測の妙用があるのを聖人という。三皇・五帝・禹・湯・文王・武王・周公・孔子がこれである。聖人に一等劣るのを賢人という。伊尹・傅説・太公・召公・顔子・曾子・子思・孟子・孔明・王陽明などがこれである。徳と才は賢人に一等劣るけれども、大将の才は賢人と互角であるのを英雄という。管仲・楽毅・孫子・范蠡・張良などがこれである。大将の才ばかりがたくましく、その他の才は乏しく、明徳の暗いのを奸雄という。項羽・韓信などがこれである。義経・正成などは日本での英雄であろう」。
解説
この章句が説くこと
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『翁問答』下卷之本聖人の才徳天地神明とおなじき故に、神明不測広大周備、言語道断なり、賢人の才徳も大かた聖人の体段そなはりぬれども、神明不測の位にいたらず、英雄は大将の才徳は賢人と同じけれども、余の才と徳とは賢人より一位おとりて英雄のかどあるなり、聖人賢人英雄この三人は、才徳の高下大小ありと雖、いづれも君子なれば治世にも乱世にも天下無双の重宝なる人なり、奸雄は敵を退治する一科の用に立つ事は賢人英雄にもおとらねども、明徳くらく邪欲ふかき故、むほん逆心の疑ひありて、味方のたのみあやうし、さて国治まりて仕置などまかせぬれば国をみだり、乱をおこすものなり、
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『翁問答』下卷之本聖人は唐土ならては生れたまはず、賢人聖人もまた世に稀なれば、世俗の心くらく奸雄の才にまよひ、心の奸賊を察すること能はず、英雄なりともてはやし国をぬすまれ天下をうばわれ給ふ天子諸侯古来おほし、よくよくめのさやをはずして御用心あるべき事なり、斯くいへばとて奸雄を棄るはひが事なり、使ひ様が大事なりといふ事にて候、
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『慎思録』巻之五心の力、之を才と謂ふ。心の善、之を徳と謂ふ。才徳兼ね全き、之を聖人と謂ふ。才徳衆に超ゆる、之を賢人と謂ふ。徳、才に勝る、之を君子と謂ふ。才、徳に勝る、之を英雄と謂ふ。徳有りて才無き、之を善人と謂ふ。才有りて徳無き、之を小人と謂ふ。才徳兼ね亡き、之を愚人と謂ふ。夫れ聖賢は得て見るべからず。君子を見ることを得ば、斯れ可なり。君子も亦得て見るべからず。善人を見ることを得ば、斯れ可なり。国家を治むる者、苟も君子と善人とを得ること能はずんば、則ち其の小人有らんよりは、寧ろ愚人有れ。古来国家を敗亡する者は、必ず小人よりす。愚人の如きは、其の力覆敗すること能はず。猶ほ小人の姦悪にして力有る者に愈れり。細かに之を論ずれば、古人は才徳衆に超ゆる者を以て亦之を君子と謂ふ。是れ徳の才に勝る者に止まらざるなり。才有りて徳無き者も、亦之を愚人と謂ふ。是れ才徳兼ね亡き者に止まらざるなり。這の二者は、通称するも亦可なり。蓋し賢人と君子とは、各指す所有りて名を異にすと雖も、然れども通称すれば則ち亦一と為すべし。愚者と小人との如きも亦然り。
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『幽夢影』巻上・無善無惡は是れ聖人無善無惡は是れ聖人(「帝力何か我に有らん」、「之を殺せども怨みず、之を利すれども庸とせず」、「直を以て怨みに報い、德を以て德に報ゆ」、「一介も與へず、一介も取らず」の類の如し)、善多く惡少きは是れ賢者(顏子の「過ちを貳びせず、不善有れば未だ嘗て知らずんばあらず」、子路の「人告ぐるに過ち有るを以てすれば則ち喜ぶ」の類の如し)、善少く惡多きは是れ庸人、惡有りて善無きは是れ小人(其の偶ま善を爲す處も、亦必ず爲にする所有り)、善有りて惡無きは是れ仙佛(其の所謂善も、亦吾が儒の所謂善に非ざるなり)。
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『翁問答』下卷之本聖人は寛裕温柔にして、ことば切迫ならざる故に、凡耳にはきゝわきまへざるものなり、霊公此聖言をきゝしりて、礼を問道を学び邪心をひるがへし、明徳をあきらかにしてのち軍法を問はれ候はゞ、必定千聖心伝の軍法の秘妙をつたへ給ふべけれども聞しらざるによつてそのあけの日さらせたまふなり、明徳十分にあきらかにして、天地と其徳をあはせ、日月と其明をあはせ、文武兼備はりたる人を聖人と云、孔子は固より聖人にてましませば、文武兼備はり給ふ事は、云に及ばざる事なり、将鑑篇に曰く、孔子の兵を用ふるは万世の師なり、又曰く、孔子夾谷の師、堂々正々、依然として五帝三王の風あり此の如くの格言をよく玩味して、孔子の神武軍法の秘妙を考へしるべし。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段曰く、汝のいへる所も一理あるなれば、何れを学ぶも外ならず。我も向後は、心のことをも工夫すべきが、然れども、孟子の性善は、愈済がたし。聖人は、知仁勇の三徳全して善なるべし。最早賢人さへ全からず。況や衆人は又劣り、それを一列に善といふは、如何なることぞや。
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