翁問答 / 下卷之本
聖人は寛裕溫柔にして、ことば切迫ならざる故に、凡耳にはきゝわきまへざるものなり、靈公此聖言をきゝしりて、禮を問道を學び邪心をひるがへし、明德をあきらかにしてのち軍法を問はれ候はゞ、必定千聖心傳の軍法の秘妙をつたへ給ふべけれども聞しらざるによつてそのあけの日さらせたまふなり、明德十分にあきらかにして、天地と其德をあはせ、日月と其明をあはせ、文武兼備はりたる人を聖人と云、孔子は固より聖人にてましませば、文武兼備はり給ふ事は、云に及ばざる事なり、將鑑篇曰、孔子用兵萬世之師也、又曰、孔子夾谷之師、堂々正々、依然五帝三王之風此の如くの格言をよく玩味して、孔子の神武軍法の秘妙を考へしるべし。
新字:聖人は寛裕温柔にして、ことば切迫ならざる故に、凡耳にはきゝわきまへざるものなり、霊公此聖言をきゝしりて、礼を問道を学び邪心をひるがへし、明徳をあきらかにしてのち軍法を問はれ候はゞ、必定千聖心伝の軍法の秘妙をつたへ給ふべけれども聞しらざるによつてそのあけの日さらせたまふなり、明徳十分にあきらかにして、天地と其徳をあはせ、日月と其明をあはせ、文武兼備はりたる人を聖人と云、孔子は固より聖人にてましませば、文武兼備はり給ふ事は、云に及ばざる事なり、将鑑篇曰、孔子用兵万世之師也、又曰、孔子夾谷之師、堂々正々、依然五帝三王之風此の如くの格言をよく玩味して、孔子の神武軍法の秘妙を考へしるべし。
書き下し
聖人は寛裕温柔にして、ことば切迫ならざる故に、凡耳にはきゝわきまへざるものなり、霊公此聖言をきゝしりて、礼を問道を学び邪心をひるがへし、明徳をあきらかにしてのち軍法を問はれ候はゞ、必定千聖心伝の軍法の秘妙をつたへ給ふべけれども聞しらざるによつてそのあけの日さらせたまふなり、明徳十分にあきらかにして、天地と其徳をあはせ、日月と其明をあはせ、文武兼備はりたる人を聖人と云、孔子は固より聖人にてましませば、文武兼備はり給ふ事は、云に及ばざる事なり、将鑑篇に曰く、孔子の兵を用ふるは万世の師なり、又曰く、孔子夾谷の師、堂々正々、依然として五帝三王の風あり此の如くの格言をよく玩味して、孔子の神武軍法の秘妙を考へしるべし。
現代語訳
聖人は寛裕温柔で、言葉が切迫しないので、凡人の耳には聞き分けられないのである。霊公がこの聖言を聞き分けて、礼を問い道を学び、邪心をひるがえして明徳を明らかにしてから軍法を問われたならば、必ず千聖が心から心へ伝えた軍法の秘奥を伝えられたであろう。しかし聞き分けなかったので、その翌日去られたのである。明徳が十分に明らかで、天地とその徳を合わせ、日月とその明を合わせ、文武を兼ね備えた人を聖人という。孔子はもとより聖人であられるから、文武を兼ね備えておられることは言うまでもない。将鑑篇に「孔子の兵を用いるのは万世の師である」とあり、また「孔子の夾谷の師は堂々正々として、依然として五帝三王の風がある」とある。このような格言をよく玩味して、孔子の神武の軍法の秘奥を考え知るがよい」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『翁問答』下卷之本体充問曰、衛の霊公、陣を孔子に問ふ、孔子対へて曰く、爼豆の事は嘗て之を聞けり、軍旅の事は未だ之を学ばざるなり、明日遂に行くと論語におはしまし候へば、孔子は軍法をばしろしめさずと存候はいかゞ。師の曰、それは以ての外の大なる心得そこない也、何もといひながら、就中軍をおこし武をもちふるには、心根と時が大事にて候、仁義の心を根として順応の時にかなひて用ゆるを仁義の師と云て、正真の軍法武篇なり、邪心欲心を本として順応の時にそむきてもちふる武篇は、強剛暴逆の師といひて盗賊おひはぎの類なり、
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『翁問答』改訂翁問答(丙戌冬)体充曰、孔子かくの如く軍法に長じたまひて、衛の霊公に伝へたまはざるはいかゞ。師の曰、兵は凶器なりといへども、君子これを用れば天下の乱を定めて、凶器かへつて宝となれり、小人是を用ふれば国をみだり天下にわざはひして凶器ますます凶器となれり、然るを霊公小人にして戦伐をこのみ強剛暴逆のいくさをたくましくせんために陳をとはれたり。
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『翁問答』下卷之本しかるに霊公無道にして戦伐をこのみ、強剛暴逆のいくさをたくまじくせんために、陣を問はれたり、此の如くの人に軍法を教へ給ふは、盗人に道を教ふるに異ならず、君子は人の悪をば成たまはぬによつて、其悪心をいましめ本心をとりたてたくおぼしめして礼をば学びたるが軍法はしらずとこたへ給ふなり、夫爼豆の事は礼法なり礼法の大目五つあり、吉礼、凶礼、軍礼、賓礼、嘉礼これなり、此うちの軍礼即ち軍法なり、既に礼法をよく学びたりと給ふ時は、軍法をよくしろしめす事は云はずして明白なり、爼豆の事と軍旅の事とを相対してかくのたまふは、仁を本とする軍法をば学びたれども、殺伐をもつぱらとつとめて本なき軍旅の事は、盗賊の業なれば未だ学ばぬとのたもふ心なり、
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『翁問答』上卷之末たとへば春夏の陽ばかりにて秋冬の陰なく、秋冬の陰ばかりにて春夏の陽なければ、万物を生成する造化成就する事なし、陰陽二気差別ありといへども、本来は同一元気の流行なる如く、元来文武同一明徳なれば武ばかりにて文なきは秋冬の陰のみにして春夏の陽なきが如し、文ばかりにて武なきは春夏の陽のみにして秋冬の陰なきが如し文は仁道の異名、武は義道の異名なり、仁と義は同じく人性の一徳なるによつて、文武も同じく一徳にして各別なるものに非ず、
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『翁問答』上卷之末仁義の徳をよく悟りて文武のさたを明らむ可し、仁にそむきたる文は、名は文なれども実は文にあらず、義にそむきたる武は、名は武なれども実は武にあらず、文武の正味を能くかみ分けざれば、心の闇いとくらく万事の障り多かるべし、さて又文武に徳と芸との本末あり、仁は文の徳にして文芸の根本なり文学、礼楽、書数は芸にして文徳の枝葉なり、義は武の徳にして武芸の根本なり、軍法、射、御、兵法などは芸にして武徳の枝葉なり、根本の徳を第一につとめ学び、枝葉の芸を第二に習ひ、本末兼備はり文武合一なるを真実の文武といひ真実の儒者といふなり、
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『翁問答』下卷之本うまれつき勇あるものは正真の儒学をつとめて、其勇を仁義の勇となし、生れつき勇なきものも又正真の儒学をつとめて本心に具有したる仁義の勇をあきらかにせよと教たまふ義なり、此等の聖謨をよくよく体認して、武篇をたしなまんと思ふ士は、志しあるべき事なり、本来軍法軍礼武篇のたしなみ諸士の作法のおきてみな儒道の一色にして、聖人のさだめ給ふ天理なれば、士たるものが、儒道をそしり、儒学をするは士のわざならずなどいへるはまことに無下に無案内なることなれば、其はじをしるべし。
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