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翁問答 / 上卷之末

精をうけたる聖賢君子は氣きよく質たゞしきゆへに自ら根本の善を失はず、粗をうけたる愚不肖は氣にごり質偏なるによつて、國のしをき道あれば根本の善を失はず、しをき無道なればそれにあやかりて根本の善を失ひ惡をなすものなり、たとへばくせなき馬をも下手がのり候へば、いろいろくせの出ずるが如し、むかし堯舜の御代には、聖人は天子の位に登り給ふ、其つぎの大賢人は宰相となりその次の賢人は諸侯となり、その次の君子は卿太夫士となり、愚痴不肖なる者は農工商の庶人となり、上てんしより下庶人に至るまで、分々相應の位に居て、それぞれの所作をつとめ、孝悌忠信五倫のみちにひたすらに力を盡し、毛頭邪欲の惡念なくすこしの不義をも行ふことなくて、天下に一人もあくにんなし、堯舜の民は比屋可封といへるは此ことなり、

新字:精をうけたる聖賢君子は気きよく質たゞしきゆへに自ら根本の善を失はず、粗をうけたる愚不肖は気にごり質偏なるによつて、国のしをき道あれば根本の善を失はず、しをき無道なればそれにあやかりて根本の善を失ひ悪をなすものなり、たとへばくせなき馬をも下手がのり候へば、いろいろくせの出ずるが如し、むかし堯舜の御代には、聖人は天子の位に登り給ふ、其つぎの大賢人は宰相となりその次の賢人は諸侯となり、その次の君子は卿太夫士となり、愚痴不肖なる者は農工商の庶人となり、上てんしより下庶人に至るまで、分々相応の位に居て、それぞれの所作をつとめ、孝悌忠信五倫のみちにひたすらに力を尽し、毛頭邪欲の悪念なくすこしの不義をも行ふことなくて、天下に一人もあくにんなし、堯舜の民は比屋可封といへるは此ことなり、

書き下し

精をうけたる聖賢君子は気きよく質たゞしきゆへに自ら根本の善を失はず、粗をうけたる愚不肖は気にごり質偏なるによつて、国のしをき道あれば根本の善を失はず、しをき無道なればそれにあやかりて根本の善を失ひ悪をなすものなり、たとへばくせなき馬をも下手がのり候へば、いろいろくせの出ずるが如し、むかし堯舜の御代には、聖人は天子の位に登り給ふ、其つぎの大賢人は宰相となりその次の賢人は諸侯となり、その次の君子は卿太夫士となり、愚痴不肖なる者は農工商の庶人となり、上てんしより下庶人に至るまで、分々相応の位に居て、それぞれの所作をつとめ、孝悌忠信五倫のみちにひたすらに力を尽し、毛頭邪欲の悪念なくすこしの不義をも行ふことなくて、天下に一人もあくにんなし、堯舜の民は比屋可封といへるは此ことなり、

現代語訳

精を受けた聖賢君子は、気が清く質が正しいので、自ずから根本の善を失わない。粗を受けた愚不肖は、気が濁り質が偏っているので、国の政治に道があれば根本の善を失わず、政治が無道であればそれに染まって根本の善を失い、悪をなすものである。たとえば、癖のない馬でも下手が乗れば、いろいろな癖が出るようなものである。昔、堯・舜の御代には、聖人は天子の位に登られ、その次の大賢人は宰相となり、その次の賢人は諸侯となり、その次の君子は卿大夫・士となり、愚痴不肖の者は農工商の庶人となり、上は天子から下は庶人に至るまで、それぞれ分に応じた位にいて、それぞれの所作を努め、孝悌忠信の五倫の道にひたすら力を尽くし、少しも邪欲の悪念がなく、わずかな不義も行うことがなくて、天下に一人も悪人がいなかった。「堯舜の民は家並みごとに封ずべし(どの家も表彰に値する)」というのは、このことである。

解説

粗を受けた人は気が濁り質が偏っているので、周りの導きしだいで善を保ちもし、失いもする。藤樹はこれを「癖のない馬も下手が乗れば癖が出る」とたとえる。悪人が多いのは人の本性が悪いからではなく、上に立つ者の政治が悪いからだというのである。堯舜の世には誰もが分に応じた位で五倫の道を尽くし、悪人が一人もいなかったという理想が示される。現代の組織でも、問題を起こす部下の多くは、指導や環境のまずさから癖を出しているのかもしれない。人を責める前に、乗り手としての自分の腕を省みたい。

この章句が説くこと

性善感化政治五倫堯舜指導

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