翁問答 / 上卷之末
根本は愚痴不肖の人も惡人にあらざれば、聖賢も愚不肖もみな善人なり、その善人のうちに精粗大小貴賤の差別あり、聖賢は善のうちの精にしてたつとく、愚不肖は善のうちの粗にしていやしきものなり、たとへば金も銀も銅もくろがねも、本來みなかねなれども、其うちに精粗貴賤の差別ありて金はかねのうちの精にしてたつとく、銅鐵は金のうちの粗にしていやしきが如し、かやうのたとへをよく體認して、人間はみな善ばかりにして惡なき本來の面目をよく觀念すべし。
新字:根本は愚痴不肖の人も悪人にあらざれば、聖賢も愚不肖もみな善人なり、その善人のうちに精粗大小貴賤の差別あり、聖賢は善のうちの精にしてたつとく、愚不肖は善のうちの粗にしていやしきものなり、たとへば金も銀も銅もくろがねも、本来みなかねなれども、其うちに精粗貴賤の差別ありて金はかねのうちの精にしてたつとく、銅鉄は金のうちの粗にしていやしきが如し、かやうのたとへをよく体認して、人間はみな善ばかりにして悪なき本来の面目をよく観念すべし。
書き下し
根本は愚痴不肖の人も悪人にあらざれば、聖賢も愚不肖もみな善人なり、その善人のうちに精粗大小貴賤の差別あり、聖賢は善のうちの精にしてたつとく、愚不肖は善のうちの粗にしていやしきものなり、たとへば金も銀も銅もくろがねも、本来みなかねなれども、其うちに精粗貴賤の差別ありて金はかねのうちの精にしてたつとく、銅鉄は金のうちの粗にしていやしきが如し、かやうのたとへをよく体認して、人間はみな善ばかりにして悪なき本来の面目をよく観念すべし。
現代語訳
根本は愚痴不肖の人も悪人ではないので、聖賢も愚不肖もみな善人である。その善人の中に、精粗・大小・貴賤の差別がある。聖賢は善の中の精であって尊く、愚不肖は善の中の粗であって卑しいものである。たとえば金も銀も銅も鉄も、本来はみな金属であるが、その中に精粗貴賤の差別があって、金は金属の中の精であって尊く、銅や鉄は金属の中の粗であって卑しいようなものである。このようなたとえをよく体認して、人間はみな善ばかりで悪のない本来の面目をよく観念すべきである。
解説
この章句が説くこと
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『翁問答』上卷之末しかれども其善にして悪なき枝葉のうちに精粗の差別あり、其うちのすぐれたる極上を精と云そのうちのくずを粗といふ、精粗の二字にて君子小人鳳凰麒麟鳶鴉などのかたちの高下をさだめ、さて精粗の人物のおこなふところを天命の本然神理のかゝみにうつして、善悪のさたをきはむるなり、本来あくといふものはなきものなれども、粗なるかたちの偏よりいで来るものなれば、悪を諸木の奇生にたとへたり、太虚のうち形あるほどのものに精粗のわかちなきものはなし日と月と星は天の精なり、辰は、天の粗なり、物を生ずる山と田畠は地の精なり、はげやまと不毛の原野は地の粗なり、聖賢君子は人の精なり、愚痴不肖は人の粗なり、鸞鳳は鳥の精なり、とび烏は鳥の粗なり、麒麟は獣の精なり、きつね狸は獣の粗なり、芝蘭はくさの精なり、名もなき野草は草の粗なり、沈香梅檀は木の精なり、雑木は木の粗なり、
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『翁問答』上卷之末体充曰、愚痴不肖も悪人にあらずと仰せられ候は、信をとりかたくおはしまし候、左候はゞいかやうなるものを悪人とは申候はんや。師の曰、聖賢のごとくに智恵のあきらかならざるを愚痴とす、聖賢の如くに才能の達せざるを不肖とす、愚痴不肖といへども良知良能あり、その良知良能を失はざれば、愚痴不肖も善人の徒なり愚痴をそのまゝ悪人と云べきことはりなし、才あるも才なきも知あるも知なきも、形気の邪欲におぼれ本心の良知をうしなふものを、おしなべて悪人とは云なれば、たとひ才智芸能すぐれたりとも、邪欲ふかくして良知くらきは悪人なり、孔子曰、如し周公の才の美有りとも、驕り且つ吝かならしめば、其の余は観るに足らざるのみ、此聖謨にてよく体認すべし、しかれども世俗は才智芸能だに達しぬれば、其心の邪正をば弁へずして君子とゆるし、才智芸能に拙なければ、小人とおとしめぬれば、愚不肖を悪人とおもへるあやまりも又むべなりとも云べきにや。
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『翁問答』上卷之末惣じて天地万物みな精はすくなく粗はおほきことはりにて候、人のかたちにて見るに、眼はかたちの精なればたゞふたつあり、毛髪はかたちの粗なればその数多し、これにて精粗の多寡をおしあきらめらるべし、さて何れのものもその物のうちにて精なる者は、その物のかなめとなり主たり、粗はその精にしたがふ者なり然るに依て人間の精をうけたる聖賢君子は愚痴不肖の主君として愚不肖をおさめて教給ふ、粗をうけたる愚不肖は聖賢君子の臣下として聖賢の下知にしたがふ、天命の本然なり、本来君は少なく臣下はおほき者なれば主君となる聖賢はすくなく臣下となる愚不肖はおほきことはり、弁へずして分明なり、
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『翁問答』上卷之末精をうけたる聖賢君子は気きよく質たゞしきゆへに自ら根本の善を失はず、粗をうけたる愚不肖は気にごり質偏なるによつて、国のしをき道あれば根本の善を失はず、しをき無道なればそれにあやかりて根本の善を失ひ悪をなすものなり、たとへばくせなき馬をも下手がのり候へば、いろいろくせの出ずるが如し、むかし堯舜の御代には、聖人は天子の位に登り給ふ、其つぎの大賢人は宰相となりその次の賢人は諸侯となり、その次の君子は卿太夫士となり、愚痴不肖なる者は農工商の庶人となり、上てんしより下庶人に至るまで、分々相応の位に居て、それぞれの所作をつとめ、孝悌忠信五倫のみちにひたすらに力を尽し、毛頭邪欲の悪念なくすこしの不義をも行ふことなくて、天下に一人もあくにんなし、堯舜の民は比屋可封といへるは此ことなり、
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『翁問答』上卷之末師の曰、よき不審にて候、それは易学をよくきはめざれば、合点ゆきかぬる所にて候へども大かたをかたり候はん、夫賢人君子鳳凰麒麟などを善とさだめ、愚痴不肖鳶狐狸などを悪とさだめ、善悪の二字にてさたし、それをそのまゝ天道におしあてがふによつて一しほうたがひまし候、先根本をよく考へ見て、さて枝葉をよく吟味したるがよく候、天道を根本として生れ出たる万物なれば、天道は人物の大父母にして根本なり、人物は天道の子孫にして枝葉なり根本の天道純粋至善なれば、その枝葉の人物もみな善にして悪なしと得心すべし、瓜づるに茄子はならぬといへるが如し、
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『翁問答』上卷之本体充問曰、世間の学問する人を見るに、さして学問のしるしといふべき益なし、かへつて形気あしく異風になる人ありと見へたり、所詮がくもんはせぬがましかと存じ候はいかが。師の曰、人間の生れつきさまざまありと雖、大体のおふわけは五品につゞまれり、聖人一品、賢人一品、知者一ひん、愚者一品、不肖者一品、凡て五品なり、この五品のうち聖人は生知安行とて学問せずして徳をしり道を行なひたもふ人なり、聖人より下は学問せざれば徳を知り道を行ふこと能はず、人間に生れて徳を知り道を行はざれば人面獣心とて形は人間なれども、心はけだものとおなじ事にて、至誠無息の神理をとりうしなひ、世俗の諺に人の皮をかぶりたる犬といへる如く、いとあさましき事なれば学問は人間第一の急務にしてなさでかなはぬことにて候へども、正真の学問はよく知ておしゆる人まれなれば、まなぶ人もすくなし、世間にとりはやす学問は多分にせにて候にせの学問をすれば何の益もなく、かへつて形気あしく異風になるものなり、学問に正真贋のわかちあることをわきまへざる人は不審も尤にて候。
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