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翁問答 / 上卷之末

體充問曰、勇に仁義の勇、血氣の勇とて二つありと承り候、いかやうなる差別にておはしまし候や。師の曰、明德の明なる君子は、義理を守り道を行ふ外には毛頭ねがふことなく、欲心の迷ひ少しもなき故に、義理をたて道を行ひ、主親の爲に命をおしまざること、破れたる履を捨つるが如くなれば、毛頭死をおそれ生をむさぼる心なし、しかる故に天地の間に何にても恐るべきものなし、千萬人の敵にあひても虎狼の狐狸に向へる如く、すこしも恐るゝ心なし、おそるゝことなきがけなげの至極にて候、明德の仁義明なればこの勇仁義のうちに自ら備はりて、あるものなるに由て仁義の勇といふ也、此の如く天下に敵なき至大なる勇なれば、また大勇とも名けたり、前に論ずる眞實の武が即ち此大勇なり、

新字:体充問曰、勇に仁義の勇、血気の勇とて二つありと承り候、いかやうなる差別にておはしまし候や。師の曰、明徳の明なる君子は、義理を守り道を行ふ外には毛頭ねがふことなく、欲心の迷ひ少しもなき故に、義理をたて道を行ひ、主親の為に命をおしまざること、破れたる履を捨つるが如くなれば、毛頭死をおそれ生をむさぼる心なし、しかる故に天地の間に何にても恐るべきものなし、千万人の敵にあひても虎狼の狐狸に向へる如く、すこしも恐るゝ心なし、おそるゝことなきがけなげの至極にて候、明徳の仁義明なればこの勇仁義のうちに自ら備はりて、あるものなるに由て仁義の勇といふ也、此の如く天下に敵なき至大なる勇なれば、また大勇とも名けたり、前に論ずる真実の武が即ち此大勇なり、

書き下し

体充問曰、勇に仁義の勇、血気の勇とて二つありと承り候、いかやうなる差別にておはしまし候や。師の曰、明徳の明なる君子は、義理を守り道を行ふ外には毛頭ねがふことなく、欲心の迷ひ少しもなき故に、義理をたて道を行ひ、主親の為に命をおしまざること、破れたる履を捨つるが如くなれば、毛頭死をおそれ生をむさぼる心なし、しかる故に天地の間に何にても恐るべきものなし、千万人の敵にあひても虎狼の狐狸に向へる如く、すこしも恐るゝ心なし、おそるゝことなきがけなげの至極にて候、明徳の仁義明なればこの勇仁義のうちに自ら備はりて、あるものなるに由て仁義の勇といふ也、此の如く天下に敵なき至大なる勇なれば、また大勇とも名けたり、前に論ずる真実の武が即ち此大勇なり、

現代語訳

體充が問うた。「勇には仁義の勇と血気の勇との二つがあると承りました。どのような違いでございますか。」師は言った。「明徳の明らかな君子は、義理を守り道を行うほかには少しも願うことがなく、欲心の迷いが少しもないので、義理を立て道を行い、主君や親のために命を惜しまないことは破れた履物を捨てるようであるから、死を恐れ生をむさぼる心がまったくない。だから天地の間に何も恐れるものがない。千万人の敵に会っても、虎や狼が狐や狸に向かうように、少しも恐れる心がない。恐れることのないのが健気の極みである。明徳の仁義が明らかであれば、この勇は仁義の中におのずから備わっているので、仁義の勇という。このように天下に敵のない至大の勇であるから、また大勇とも名づける。前に論じた真実の武が、すなわちこの大勇である。」

解説

勇気を「仁義の勇」と「血気の勇」に分けて論じる段の前半である。仁義の勇は、欲心がなく道を行うことのほかに望みがないところから生まれ、死を恐れる心がないので何者にも屈しないとされる。勇気は鍛えて身につける技能ではなく、明徳が明らかになれば仁義の中におのずから備わるものだという点が要である。『孟子』が説く大勇や浩然の気にも通じる考え方である。損得への執着が少ない人ほど、言うべきことを言い、なすべきことをなせる。勇気の源は胆力よりも欲の少なさにあるという指摘は、今も深くうなずける。

この章句が説くこと

勇大勇仁義明徳欲君子

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