導師導古典を学びたいすべての人に

翁問答 / 上卷之本

世俗は我心に眞實に思ひ入たる事は、是非善惡を分たず信成りと思へり、大いなる心得違ひなり、たとひ眞實に思入ざる事にても、義理に叶ふを信と云、眞實に思入たる事にても、道に背きたる事を人欲の僞と云ふなり、世上の人の交りを見るに、信の道に叶ひたるは稀なり、信の道にだに叶ひぬれば、互の命の用にも立つ物なり、況して通財の義あれば、財寳の用に立つ事勿論なり、然る故に友達のかたきをも討法あり、扨心友の交りは善を攻て、互に至德の靈寶を磨き明らむるが肝要なり、朋友たる者、我も人も皆眞實無妄の天道を大父母として、うまれたるものなれば、かたちをもつてみれば他人なれども、道よりみれば同胞のことはりあれば、眞實無妄の信のみちたるをまもりて、骨肉のおもひをなす、これすなはち天命の本然をのづからある道理なれば、五敎の第五に朋友有信と說たまへり。

新字:世俗は我心に真実に思ひ入たる事は、是非善悪を分たず信成りと思へり、大いなる心得違ひなり、たとひ真実に思入ざる事にても、義理に叶ふを信と云、真実に思入たる事にても、道に背きたる事を人欲の偽と云ふなり、世上の人の交りを見るに、信の道に叶ひたるは稀なり、信の道にだに叶ひぬれば、互の命の用にも立つ物なり、況して通財の義あれば、財宝の用に立つ事勿論なり、然る故に友達のかたきをも討法あり、扨心友の交りは善を攻て、互に至徳の霊宝を磨き明らむるが肝要なり、朋友たる者、我も人も皆真実無妄の天道を大父母として、うまれたるものなれば、かたちをもつてみれば他人なれども、道よりみれば同胞のことはりあれば、真実無妄の信のみちたるをまもりて、骨肉のおもひをなす、これすなはち天命の本然をのづからある道理なれば、五教の第五に朋友有信と説たまへり。

書き下し

世俗は我心に真実に思ひ入たる事は、是非善悪を分たず信成りと思へり、大いなる心得違ひなり、たとひ真実に思入ざる事にても、義理に叶ふを信と云、真実に思入たる事にても、道に背きたる事を人欲の偽と云ふなり、世上の人の交りを見るに、信の道に叶ひたるは稀なり、信の道にだに叶ひぬれば、互の命の用にも立つ物なり、況して通財の義あれば、財宝の用に立つ事勿論なり、然る故に友達のかたきをも討法あり、扨心友の交りは善を攻て、互に至徳の霊宝を磨き明らむるが肝要なり、朋友たる者、我も人も皆真実無妄の天道を大父母として、うまれたるものなれば、かたちをもつてみれば他人なれども、道よりみれば同胞のことはりあれば、真実無妄の信のみちたるをまもりて、骨肉のおもひをなす、これすなはち天命の本然をのづからある道理なれば、五教の第五に朋友有信と説たまへり。

現代語訳

世間では、自分が心に真実に思い込んだことは、是非善悪を分けずに信だと思っているが、大きな心得違いである。たとえ真実に思い込んでいないことであっても、義理にかなうのを信といい、真実に思い込んだことであっても、道に背いたことは人欲の偽りというのである。世間の人の交わりを見ると、信の道にかなっているものはまれである。信の道にさえかなえば、互いの命の役にも立つものである。まして財を融通し合う義があるので、財宝の役に立つことはもちろんである。それゆえ友だちの仇をも討つ法がある。さて心友の交わりは、善を勧め合って、互いに至徳の霊宝を磨き明らかにするのが肝要である。朋友たる者は、我も人もみな真実無妄の天道を大父母として生まれたものであるから、形から見れば他人であっても、道から見れば同胞の理があるので、真実無妄の信の道を守って骨肉の思いをなす。これがすなわち天命の本然として自ずからある道理であるから、五教の第五に「朋友信有り」と説かれた。

解説

五倫の長い問答の結びで、藤樹は信の本質を問い直す。自分が本気で思い込んだことを信と考えるのは誤りで、義理にかなうことこそが信であり、道に背くならどれほど真剣でも人欲の偽りだという。思い込みの強さと正しさを区別する、鋭い指摘である。また心友の交わりは、互いに善を勧めて至徳の霊宝を磨き合うことだとされる。人はみな天道を父母とする同胞であるから、友とは骨肉の思いで交わるべきだという結論は、全孝の心法を朋友にまで押し広げたものである。善意や熱意だけでなく、筋が通っているかを問う姿勢は、仕事上の判断にも欠かせない。

この章句が説くこと

信朋友義理五倫天道切磋琢磨

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る