翁問答 / 上卷之本
朋友は互に信を以て相交る道とす、信は僞無く義理に叶ふ德なり、友達の交りに心友面友の差別、情義の親疎樣々ありと雖、畢竟皆信の道を本とす、互の志を同じく交り親しむを心友と云ふ、志は違ひぬれ共筋目あるか、或は同鄕隣家或は同官同職などに、再々相交て親しきを面友と云、一目知る人も面友の中なり、心友面友共に情義の親疎同からず、其種々の義理に從ひて、威儀恭しく挨拶和厚にして僞無く、勿論約束等の少しも違變無きが、信の道の大體なり、
新字:朋友は互に信を以て相交る道とす、信は偽無く義理に叶ふ徳なり、友達の交りに心友面友の差別、情義の親疎様々ありと雖、畢竟皆信の道を本とす、互の志を同じく交り親しむを心友と云ふ、志は違ひぬれ共筋目あるか、或は同郷隣家或は同官同職などに、再々相交て親しきを面友と云、一目知る人も面友の中なり、心友面友共に情義の親疎同からず、其種々の義理に従ひて、威儀恭しく挨拶和厚にして偽無く、勿論約束等の少しも違変無きが、信の道の大体なり、
書き下し
朋友は互に信を以て相交る道とす、信は偽無く義理に叶ふ徳なり、友達の交りに心友面友の差別、情義の親疎様々ありと雖、畢竟皆信の道を本とす、互の志を同じく交り親しむを心友と云ふ、志は違ひぬれ共筋目あるか、或は同郷隣家或は同官同職などに、再々相交て親しきを面友と云、一目知る人も面友の中なり、心友面友共に情義の親疎同からず、其種々の義理に従ひて、威儀恭しく挨拶和厚にして偽無く、勿論約束等の少しも違変無きが、信の道の大体なり、
現代語訳
朋友は互いに信をもって交わることを道とする。信とは偽りなく義理にかなう徳である。友だちの交わりには心友と面友の区別があり、情けと義理の親疎はさまざまであるけれども、結局はみな信の道を本とする。互いの志が同じで交わり親しむのを心友という。志は違っても縁故があるか、あるいは同郷・隣家、あるいは同じ官職・同じ職業などで、たびたび交わって親しいのを面友という。一度会って知った人も面友のうちである。心友も面友も情けと義理の親疎は同じではないが、その種々の義理に従って、威儀を恭しくし、挨拶を和やかで厚くして偽りなく、もちろん約束などを少しも違えないのが、信の道の大体である。
解説
この章句が説くこと
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論語・学而篇有子曰く、「信義に近ければ、言復む可きなり。恭礼に近ければ、恥辱に遠ざかるなり。因りて其の親を失わざれば、亦宗とす可きなり。」
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『春秋左氏伝』昭公十三年 存亡の道君苟くも信有らば、諸侯貳せず、何をか患へん。之に告ぐるに文辭を以ってし、之を董すに武師を以ってせば、齊許さずと雖も、君の庸多からん。天子の老、請ふ王賦を帥ゐて、元戎十乘、以って先づ行を啟かん。遲速は唯だ君のままなり」と。叔向齊に告げて曰く、「諸侯盟を求めて、已に此に在り。今君利とせず、寡君以って請ふと為す」と。對へて曰く、「諸侯貳を討たば、則ち尋盟有り。若し皆命を用ひば、何の盟をか之れ尋めん」と。叔向曰く、「國家の敗るるは、事有りて業無ければ、事則ち經ならず。業有りて禮無ければ、經則ち序あらず。禮有りて威無ければ、序則ち共ならず。威有りて昭らかならざれば、共則ち明らかならず。明らかならずして共を棄つれば、百事終はらず、傾覆する所由なり。是の故に明王の制、諸侯をして歲ごとに聘して以って業を志し、間朝して以って禮を講じ、再朝して會して以って威を示し、再會して盟ひて以って昭明を顯さしむ。業を好に志し、禮を等に講じ、威を眾に示し、明を神に昭らかにす。古より以來、未だ之を或いは失はざるなり。存亡の道、恆に是に由りて興る。晉禮もて盟を主る、
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『韓非子』外儲說左下第三十三魯の哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く古者夔一足有りと、其れ果して信に一足有るか。」孔子対へて曰く、「不なり、夔は一足に非ざるなり。夔は忿戾悪心にして、人多く説喜せざるなり。然りと雖も、其の以て人の害を免るるを得る所以の者は、其の信を以てなり。人皆曰く、独り此の一あれば、足れり、と。夔は一足に非ざるなり、一にして足るなり。」哀公曰く、「審かに而り、固より足れり。」一に曰く、哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く夔は一足なりと、信か。」曰く、「夔は、人なり、何の故に一足ならん。彼其れ他に異なること無し、而して独り声に通ず。堯曰く、夔は一にして足れり、と。楽正と為さしむ。故に君子曰く、夔は一有り、足れり、と。一足に非ざるなり。」三。文王崇を伐ち、鳳黄の虚に至る、韈の係解く、因りて自ら結ぶ。太公望曰く、「何為れぞや。」王曰く、「上は、君と処るもの皆其の師なり。中は、皆其の友なり。下は、尽く其の使なり。今皆先君の臣なり、故に使ふべきもの無きなり。」一に曰く、晋の文公楚と戦ひ、黄鳳の陵に至る、履の係解く、因りて自ら之を結ぶ。左右曰く、「以て人を使ふべからざるか。」公曰く、「吾聞く、上は、君の与に居る所、皆其の畏るる所なり。中は、君の与に居る所、皆其の愛する所なり。下は、君の与に居る所、皆其の侮る所なり。寡人不肖なりと雖も、先君の人皆在り、是を以て之を難るなり。」季孫士を好み、終身荘にして、居処衣服常に朝廷の如し。而して季孫適ま懈り、過失有り、而して長く為すこと能はざるなり。故に客以て己を厭易すと為し、相与に之を怨み、遂に季孫を殺す。故に君子は泰を去り甚を去る。一に曰く、南宮敬子顔涿聚に問ひて曰く、「季孫孔子の徒を養ひ、朝服して与に坐する所の者十を以て数ふるに賊に遇ふは、何ぞや。」
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『五常訓』巻之五・信一子曰く、人にして信無くんば其の可なるを知らざるなり。人の心信実なるは、万事の基にして、人にまじはるの道なり。若信なければ、万事すべて、偽なれば、人にまじはりて、如何ぞ善なるべき。たとへば大車の荷車に輗なければ、牛の首に車をかくる事ならず。小車の乗車に軏なければ、車を馬にかくる事ならず。車と牛馬とは別の物なれど、輗と軏とあれば、是を以て牛馬に車をかけて引かしむべし。若此ものなくんば、何を以てか車をやるべきや。人にまじはるに信ならざるも、亦かくの如し。人と我とは、二物なり。信実を以て交はれば、互に感通して、道行はる。若信なくして人と交はらば、我人にまことなく、人我を信ぜず。彼と我と感通せず。何を以てか道行はれんや。
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『五常訓』巻之五・信一孔子曰く、信なれば則ち人任ず。信実にして、言に偽なければ、一たび約したること、其首尾たがはず。故に人たのもしく思ひて、打任せて疑はず。是人任するなり。もし信ならざれば、約ちがひて、其いへる事、朝夕にかはりて、たのもしげなし。何ぞ任せんや。凡君の、臣にまじはり、国人にまじはり、朋友の相まじはる、吏人の民に対する、皆信あるべし。信なければ、人の交の道たえて行はれず。たのみ無ければなり。
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論語・顔淵篇子貢、政を問う。子曰く、「食を足し、兵を足し、民之を信ず。」子貢曰く、「必ず已むを得ずして去らば、斯の三者に於いて何をか先にせん。」曰く、「兵を去らん。」子貢曰く、「必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於いて何をか先にせん。」曰く、「食を去らん。古より皆死有り、民信無くんば立たず。」
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