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翁問答 / 上卷之本

親と子は元來一體分身なれば、親の慈も子の孝も、本然自有の親愛なる故に、聖人五敎の始に、父子有親と說給へり、君は仁と禮とを以て、臣下を指し使ふを根本とす、仁は義理に從ひて、人を愛する徳なり、禮は位の道理に從ひて、人を敬ひ侮さる德なり、臣下貴賤大小の位種々ありて、さし使ふ道理極り無と雖、畢竟は仁禮の二德より外はなし、全孝の心法にて、天地を萬民の大父母となして見れば、我も人も人間の形ある程の者は皆兄弟、然る故に聖人は四海を一家、中國を一人と思召すとなり、吾れと人との隔を立てゝ、けわしくうとみ侮ぬるは迷へる凡夫の心なり、禀賦厚薄高下に由て、君となり臣下とはなれ、元來骨肉同胞の理あれば、たとへ我が扶持せぬ者なり共、惡み侮る可き事に在らず、況して我扶持する者は、如何にも情深く禮義正して、侮り輕しむ可からざる道理明かなり、

新字:親と子は元来一体分身なれば、親の慈も子の孝も、本然自有の親愛なる故に、聖人五教の始に、父子有親と説給へり、君は仁と礼とを以て、臣下を指し使ふを根本とす、仁は義理に従ひて、人を愛する徳なり、礼は位の道理に従ひて、人を敬ひ侮さる徳なり、臣下貴賤大小の位種々ありて、さし使ふ道理極り無と雖、畢竟は仁礼の二徳より外はなし、全孝の心法にて、天地を万民の大父母となして見れば、我も人も人間の形ある程の者は皆兄弟、然る故に聖人は四海を一家、中国を一人と思召すとなり、吾れと人との隔を立てゝ、けわしくうとみ侮ぬるは迷へる凡夫の心なり、禀賦厚薄高下に由て、君となり臣下とはなれ、元来骨肉同胞の理あれば、たとへ我が扶持せぬ者なり共、悪み侮る可き事に在らず、況して我扶持する者は、如何にも情深く礼義正して、侮り軽しむ可からざる道理明かなり、

書き下し

親と子は元来一体分身なれば、親の慈も子の孝も、本然自有の親愛なる故に、聖人五教の始に、父子有親と説給へり、君は仁と礼とを以て、臣下を指し使ふを根本とす、仁は義理に従ひて、人を愛する徳なり、礼は位の道理に従ひて、人を敬ひ侮さる徳なり、臣下貴賤大小の位種々ありて、さし使ふ道理極り無と雖、畢竟は仁礼の二徳より外はなし、全孝の心法にて、天地を万民の大父母となして見れば、我も人も人間の形ある程の者は皆兄弟、然る故に聖人は四海を一家、中国を一人と思召すとなり、吾れと人との隔を立てゝ、けわしくうとみ侮ぬるは迷へる凡夫の心なり、禀賦厚薄高下に由て、君となり臣下とはなれ、元来骨肉同胞の理あれば、たとへ我が扶持せぬ者なり共、悪み侮る可き事に在らず、況して我扶持する者は、如何にも情深く礼義正して、侮り軽しむ可からざる道理明かなり、

現代語訳

親と子はもともと一体の分身であるから、親の慈しみも子の孝も、本来自ずから備わっている親愛であるので、聖人は五教の始めに「父子親有り」と説かれた。君は仁と礼とをもって臣下を指し使うことを根本とする。仁は義理に従って人を愛する徳である。礼は位の道理に従って人を敬い侮らない徳である。臣下には貴賤大小の位がさまざまあって、指し使う道理は極まりないけれども、結局は仁と礼の二徳のほかにはない。全孝の心法によって天地を万民の大父母として見れば、われも人も人の形をした者はみな兄弟である。それゆえ聖人は四海を一家、中国を一人と思われたという。自分と人との隔てを立てて、険しく疎み侮るのは、迷った凡夫の心である。生まれつきの厚薄高下によって君となり臣下となるけれども、もともと骨肉同胞の理があるので、たとえ自分が扶持していない者であっても、憎み侮るべきではない。まして自分が扶持する者には、いかにも情け深く礼儀正しくして、侮り軽んじてはならない道理は明らかである。

解説

親子の段を結んだ後、君臣の道に移る。君は仁と礼で臣下を使うのが根本で、仁は人を愛すること、礼は人を敬い侮らないことだと定義する。注目すべきは、天地を万民の父母と見れば人はみな兄弟だという全孝の心法から、君臣の上下も生まれつきの違いにすぎず、根本は骨肉同胞だと説く点である。「四海を一家、中国を一人」は『礼記』礼運篇の言葉である。身分秩序を前提としながら、上に立つ者に人を侮らない謙虚さを求める姿勢がうかがえる。部下を持つ人が、役割の上下と人としての対等を両立させる心構えとして読める。

この章句が説くこと

仁義礼君臣全孝愛敬統率

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