日本国風抄録 / 奥書・五巻の書写と校正を終えた奥書
此五卷以常彰神主自筆本寫之于時寬延第二己巳冬十二月正校畢權禰宜從四位下度會神主經廣
新字:此五巻以常彰神主自筆本写之于時寛延第二己巳冬十二月正校畢権祢宜従四位下度会神主経広
書き下し
此の五巻、常彰神主の自筆本を以て之を写す。時に寛延第二己巳冬十二月、正校し畢る。権禰宜従四位下度會神主経廣。
現代語訳
この五巻は、常彰神主の自筆本によって書き写しました。時は寛延二年(己巳)冬十二月、校正を終えました。権禰宜従四位下、度會神主経廣。
解説
この奥書は、本書五巻が度會常彰の自筆本から書き写され、寛延二年(1749年)冬に校正を終えたことを記しています。校正を担った権禰宜の度會経廣の名も添えられており、序の延享五年(1748年)の執筆から約一年後の記録です。書き手と写し手を明記し、校正の完了を残すことで、記録の出所と信頼性が後世に伝わります。現代の組織でも、手順書や議事録に作成者・確認者・日付を残すことで、引き継ぎの質が上がります。小さな記録の習慣は、組織の信用の土台になります。
この章句が説くこと
日本国風抄録度会常彰奥書校正書写寛延
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