日本国風抄録 / 序・書かずにいられない、自国の道への思い
いにしへより、いはぬはいふにまさるといへども、おぼしきことといはぬは、げにぞはらふくるゝこゝちしける、かゝれば昔の人は物いはまほしくなれば穴をほりていひいれけん、されど其穴にいひいるゝはいかどすることともいざ知らず侍れば、せんすべなくて、たゞ筆の海にむかひて、心のすさびにまかせ、いさゝか物にかきつけてすきわざするは、いと世のもどきおひぬべきことなれど、いでや此國に生れとうまるゝ人などかやまと玉しひのなからむ、されど幼童より或はもろこし、あるは天竺の敎へをならひ、其道を尊ぶによりて、おのづからそれに化せられ、先入の者主となりて、いまさら其本たる、わが國のみちをろそかにおもふなるべし、それ難波人のあしのかり屋の住居なるにも、をのが里をよしとし、伊勢村のあまのうけ縄をくるにも、わが住浦をひくならひなるは、
新字:いにしへより、いはぬはいふにまさるといへども、おぼしきことといはぬは、げにぞはらふくるゝこゝちしける、かゝれば昔の人は物いはまほしくなれば穴をほりていひいれけん、されど其穴にいひいるゝはいかどすることともいざ知らず侍れば、せんすべなくて、たゞ筆の海にむかひて、心のすさびにまかせ、いさゝか物にかきつけてすきわざするは、いと世のもどきおひぬべきことなれど、いでや此国に生れとうまるゝ人などかやまと玉しひのなからむ、されど幼童より或はもろこし、あるは天竺の教へをならひ、其道を尊ぶによりて、おのづからそれに化せられ、先入の者主となりて、いまさら其本たる、わが国のみちをろそかにおもふなるべし、それ難波人のあしのかり屋の住居なるにも、をのが里をよしとし、伊勢村のあまのうけ縄をくるにも、わが住浦をひくならひなるは、
書き下し
いにしへより、いはぬはいふにまさるといへども、おぼしきことといはぬは、げにぞはらふくるゝこゝちしける、かゝれば昔の人は物いはまほしくなれば穴をほりていひいれけん、されど其穴にいひいるゝはいかどすることともいざ知らず侍れば、せんすべなくて、たゞ筆の海にむかひて、心のすさびにまかせ、いさゝか物にかきつけてすきわざするは、いと世のもどきおひぬべきことなれど、いでや此國に生れとうまるゝ人などかやまと玉しひのなからむ、されど幼童より或はもろこし、あるは天竺の敎へをならひ、其道を尊ぶによりて、おのづからそれに化せられ、先入の者主となりて、いまさら其本たる、わが國のみちをろそかにおもふなるべし、それ難波人のあしのかり屋の住居なるにも、をのが里をよしとし、伊勢村のあまのうけ縄をくるにも、わが住浦をひくならひなるは、
現代語訳
昔から、言わないほうが言うよりまさるとは申しますが、思うことを言わずにいるのは、まことに腹がふくれるような心地がします。そこで昔の人は、物を言いたくなると穴を掘って言い入れたといいますが、その穴に言い入れるとはどうするものか私は存じませんので、しかたなく、ただ筆の海に向かい、心の慰みにまかせて、少しばかり物に書きつけて楽しむのは、世の非難を受けそうなことですが、さて、この国に生まれた人で、大和魂のない人がいるでしょうか。けれども幼いころから、あるいは中国、あるいは天竺(インド)の教えを習い、その道を尊ぶうちに自然とそれに感化され、先入観が主となって、いまさらその根本である自分の国の道をおろそかに思うのでしょう。難波の人が芦の仮屋に住んでも、自分の里をよしとし、伊勢の海人が浮き縄をたぐるときにも、自分の住む浦を引き立てる習いであるのは、
解説
この章句が説くこと
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『日本国風抄録』・序・自国を尊ぶ心と、この書を著した願い是みな天のまゝなる性情にして、をのが父母の國をたふとび、其親を親とするのものなり、私に似て私といふべからず、佛も聖もなどか此心をにくしとおぼさむ、其道その敎へにもたがふべからず、もしわれにひとしき人ありて、吾國を國とし、他神よりはわが國神、他道よりはわが道をたふとみあふがむこゝろあらば、かたりあはさまほしく、伊勢人のひがごとをわすれ、山田原の杉村立のほとりの小亭にして、神國につきたるふるきならはしを、古書のうちよりからかへ出し、つと〱かきあつめて、これを日本國風と號く、近世のことは人の傳へ聞べきゆへにおほくはこれをもらすといへども、類にふれて、近きこともまじれるなるべし、わが邑の小さより〱に、これを見て神國をろそかにおもはず、他道にひき倒されざるたよりともならば、幸甚しかるべし、延享五年三月穀旦度會常彰書
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『明訓一班抄抄録』・序・子孫に教訓を伝える序足引の大和だましひあらむものは、朝となく夕となく、津の國のなには思はず、世の爲國のためよしあしをさたすな、道に心をも用ひ身をもつとむべくなん、そも〱此ふみはじめは吾嬬の左のおほいまうち君にさゝげんとて書つれど、世を遁れたる身には今更にやくなしと思ひなされ、はた祖宗の尊ふとき御敎訓のすぢを述むも、時にあはざらんには中〱に賢き業とふつにおもひ止りぬ、されど、これを丙丁童子にあたへむも本意なければ、聊言葉のてにをはをかえて、子孫に傳へ示すになん、源朝臣齊昭
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『日本国風抄録』・奥書・五巻の書写と校正を終えた奥書此の五巻、常彰神主の自筆本を以て之を写す。時に寛延第二己巳冬十二月、正校し畢る。権禰宜従四位下度會神主経廣。
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『直毘霊』垣内を離れて見れば古えは道という言挙げなかりし故に、古書どもに露ばかりも道々しき意も語も見えず、故舎人親王を始め奉りて、世々の識者ども、道の意をえ捉えず、唯彼の道々しきことこちたく言える、唐書の説のみ、心の底に染み着きて、其を天地の自ずからなる理と思い居る故に、すがるとは思わねども、自ずからそれにまつわれて、彼方へのみ流れゆくめり、されば異国の道を道の羽翼となるべき物と思うも、即ち其の心の彼処へ奪われつるなりけり、大方漢国の説は、彼の陰陽乾坤などをはじめ、諸皆、もと聖人どもの己が智をもて、推し量りに作り構えたる物なれば、うち聞きには、理深げに聞こゆめれども、彼が垣内を離れて外よりよく見れば、何ばかりのこともなく、中々に浅はかなることどもなりかし、されど昔も今も世人の此の垣内に迷い入りて、え出で離れぬこそ口惜しけれ、大御国の説は、神代より伝え来しままにして、いささかも人のさかしらを加えざる故に、上辺は唯浅々と聞こゆれども、実には底ひもなく、人の智のえ測らぬ、
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『海国兵談抄録』・自序・三つの軍情と著述の覚悟兵を提る者、此三軍情を能會得して、臨機應變せば、天下に橫行すべし、抑日本海國のわけと、今の清は、古の唐山に優しゆへ、日本に於て油斷なりがたきわけと、三州、各戰闘の模儀に別あるの三說は、日本前兵家の未だ發せざるところ也、其未だ發せざるわけは、世々の軍學先生皆唐山の書に本て工夫を附しゆへ、自然に唐山流に陷て却て海國は海國の兵制ある事を發明せざる故なるべし、今小子、初て是を言者は、深く患る所有て、廣く問、切に考て、此旨を得たり、此旨を得たりといふとも、尋常の世人は、口外すべからず、口外すべからざるは、謹肅なればなり、小子は直情徑行の獨夫なるゆへ、敢て忌諱を不顧、因て、ベンゴロウが事を始として、都て外寇の來り易きわけを、有のまゝに書して、却て海國肝要の武備は如此也と云事を、肉食の人々に、知しめんと欲る故、見聞する所を纂集して、此書を作爲す、是吾小子、德を不量、位を不計して、患るに海國を以てするゆへんなり、是併ら小子極て潛踰之罪を不遁ことを知、然ども人をば不可取、言をば可取、是吾小子、德と位とを不量計、此書を作爲して言を當世に危する所也、而て書成て以て躬ら珍とす、然れども小子不才也、文獻不足、此故に字々句を不成、句々章を不成、觀者、讀法に苦むべきことを恐る、然と云ども、初學の士、端を此に開て、文以て戰法を潤色し、武以テ文華を助け聞くの趣を會得し、文武相乘て、其精に至る事を得ば、即邦家を安じ海國を保護する一助なるべし、竊に是を日本武備志ト云とも、罪無ん歟、只其文の拙を以て、其意を害すること無らんことを希ふ而已、時天明六年丙午夏仙臺 林子平自序
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『日本国風抄録』・兵道・日本を武勇の国と見る神話の根拠それ日本は東方にて陽氣始て發する地にして、其氣極めて盛也、其盛なる氣を稟て生れ來る故に衆庶生質武勇なり、是水土然らしむる所なり、此國最初に出來ぬるは磤馭盧島なり、磤馭盧島は大丈夫島なり、自然と武勇を生つく國故、此號ありといふは牽强、神代卷に八千戈神、纂疏に、或兵器備足蓋軍神也、又經津主神、武甕槌神の二神有、天照大神の勅を承て葦原中國に降り、悉平定し給ふ、是軍將の權輿にて此二神始て武を唱へ給へり、且神功皇后勅に、我軍神の最上として此日本の天地と久くさかへ守らん、應神天皇勅に、吾日の本武き心あらむもの必我まへに至りてすべらみことの世々の守りとならん事を思ひねがはんものは、吾神明の直き心に清き心をうけてよこしまならんとをしりぞけて、もろ〱の人をいざなへと和論語に載、又松浦物語に和國はつはものゝ國として、ちいさけれども神のまもりつよく人の心かしこかんなりといひ、八幡愚童訓に異國の人十人に御方の共は一人ぞむかふべきと云、一書に二神天之瓊矛を以て生給ふ所の州國なれば萬國に勝れて金氣の盛なるも亦見つべしと云、如此此國元より勇武の國ゆへ兵の道不絶世々に傳り、今天下太平に卒士濱迄治れるも武氣の鎭る所なり、

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