匡正論 / 跋・写本の由来を記した跋の識語
此書は今の參政本多彈正大弼忠籌君之所著也、初鹿野信好奉君之命寫也、此書也秘而有於我逸民福田隆中先生之家塾請得而謄寫畢、于時嘉永戊申中秋八月門人 石川流謙禎祥
新字:此書は今の参政本多弾正大弼忠籌君之所著也、初鹿野信好奉君之命写也、此書也秘而有於我逸民福田隆中先生之家塾請得而謄写畢、于時嘉永戊申中秋八月門人 石川流謙禎祥
書き下し
此の書は今の参政本多弾正大弼忠籌君の著す所なり。初鹿野信好、君の命を奉じて写すなり。此の書や秘して我が逸民福田隆中先生の家塾に有り、請ひて謄写し畢る。時に嘉永戊申中秋八月、門人 石川流謙禎祥。
現代語訳
この書は、今の参政(藩の参政の職)である本多弾正大弼忠籌君の著したものです。初鹿野信好が君の命を受けて写しました。この書は秘して、私の(=我が)逸民である福田隆中先生の家塾にあり、請うて謄写し終えました。時に嘉永戊申(嘉永元年)の中秋八月、門人の石川流謙禎祥。
解説
この章句は本文ではなく、写本の来歴を記した跋です。著者は本多忠籌、初鹿野信好が命を受けて写し、さらに福田隆中の家塾に秘されていた本を請うて謄写したことが書かれています。時期は嘉永元年八月とされます。原文から分かる範囲では、著作が人から人へ書き写されて伝わったことが確かめられます。現代の組織でも、先人の知見が文書や口伝で受け継がれることで成り立っています。自分の部署の知の継承を点検する契機になります。
この章句が説くこと
『匡正論』本多忠籌跋写本初鹿野信好嘉永
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