日本伝治乱要決 / 應亂卷・補助の道具と農民を守る国の備え
卒器第十二戰格密にして殺器增加す、其本勝負決斷の用にあらず、勝負を助け、戰士の勢を增し、其業を靈利になさしむ、皆卒器の術修錬のいたす所なり、遠近によつて勝負を手びくあり、戰士の働を助るあり、勢氣を失なはしめざるあり、後來卒器其數をなすとも、此意に違ふ事あるべからず、其本明らかなる時は、其器のわざ不期して敵勢を擒制すべし、農兵第十三征拒各其用をなすといへども、專ら持國の要機なり、明將戰國の間にあつて持國に敵をうけざるは、農兵の業によつてなり、土民をして今日より鍛錬して勝負の用をなさしむるにあらず、つねに見る所子のごとくなれば、民上を見る事父母のごとし、父母の國兵をうくるの日に至て、子として誰か手を空してこれを見んや、生死をはなれてこれに趣く、其氣敵の勢を奪ふにたれり、組分正しき時は人數一連し手配また手全し、妻子群集して撫養すれば家を思ふ事なし、指揮する所皆奇兵となる、明將の活權なり、
新字:卒器第十二戦格密にして殺器增加す、其本勝負決断の用にあらず、勝負を助け、戦士の勢を增し、其業を霊利になさしむ、皆卒器の術修錬のいたす所なり、遠近によつて勝負を手びくあり、戦士の働を助るあり、勢気を失なはしめざるあり、後来卒器其数をなすとも、此意に違ふ事あるべからず、其本明らかなる時は、其器のわざ不期して敵勢を擒制すべし、農兵第十三征拒各其用をなすといへども、専ら持国の要機なり、明将戦国の間にあつて持国に敵をうけざるは、農兵の業によつてなり、土民をして今日より鍛錬して勝負の用をなさしむるにあらず、つねに見る所子のごとくなれば、民上を見る事父母のごとし、父母の国兵をうくるの日に至て、子として誰か手を空してこれを見んや、生死をはなれてこれに趣く、其気敵の勢を奪ふにたれり、組分正しき時は人数一連し手配また手全し、妻子群集して撫養すれば家を思ふ事なし、指揮する所皆奇兵となる、明将の活権なり、
書き下し
卒器第十二戰格密にして殺器增加す、其本勝負決斷の用にあらず、勝負を助け、戰士の勢を增し、其業を靈利になさしむ、皆卒器の術修錬のいたす所なり、遠近によつて勝負を手びくあり、戰士の働を助るあり、勢氣を失なはしめざるあり、後來卒器其數をなすとも、此意に違ふ事あるべからず、其本明らかなる時は、其器のわざ不期して敵勢を擒制すべし、農兵第十三征拒各其用をなすといへども、專ら持國の要機なり、明將戰國の間にあつて持國に敵をうけざるは、農兵の業によつてなり、土民をして今日より鍛錬して勝負の用をなさしむるにあらず、つねに見る所子のごとくなれば、民上を見る事父母のごとし、父母の國兵をうくるの日に至て、子として誰か手を空してこれを見んや、生死をはなれてこれに趣く、其氣敵の勢を奪ふにたれり、組分正しき時は人數一連し手配また手全し、妻子群集して撫養すれば家を思ふ事なし、指揮する所皆奇兵となる、明將の活權なり、
現代語訳
卒器第十二。戦の格が細かくなり、殺傷の器が増えました。その本は勝負を決める働きではなく、勝負を助け、戦士の勢いを増し、その業を鋭く有利にすることにあります。すべて卒器の術を修練した結果です。遠近によって勝負を手引きするもの、戦士の働きを助けるもの、勢いを失わせないものがあります。後世、卒器の数が増えても、この意に違ってはなりません。その本が明らかであれば、その器の働きは期せずして敵の勢いを捕らえ制するでしょう。農兵第十三。征(攻め)と拒(防ぎ)それぞれに働きがありますが、特に国を保つ要の機です。明将が戦国の間にあって、国を保つうえで敵に後れを取らないのは、農兵の働きによります。農民を今日から鍛えて勝負の役に立てるのではありません。常に子のように見ていれば、民が上を見ることは父母のようになります。父母の国が兵を受ける日になって、子として誰が手をこまねいて見ていられるでしょうか。生死を離れてこれに向かいます。その気は敵の勢いを奪うに足ります。組分けが正しければ人数は一つにつながり、手配もまた全うされます。妻子が集まって養い慈しめば、家を思う心配もありません。指揮するところは皆奇兵となります。これが明将の活用の権(はたらき)です。
解説

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