日本伝治乱要決 / 治基卷・臨時の権と不朽の経、法制と賞罰
臨時第十七政事は繁雜なり、萬差無量にして大量の人にあらざれば、これにあたつて諸用流通なす事あたわず、事々來るに從つて一條の法則によつて判斷せんと欲する時は、其事遲怠し其情弊塞す、たゞ考を放れて其節を失はず、我功を忘れて人情の安堵を心とする時は、節によつて亂絲を解くが如く手に從て事正しからん、不朽は經にして、臨時は權なり、經よく立ずんば權を用る所なく、權をしらざる時は經よく物に應ずるとあるべからず、法制第十八天地の間萬物あり、非情の物心なくして自然の天命に立、人は有心なり、思慮あるによつて自然の天命に立事あたわず、人君天に代つて治をなす、萬人をして自然の立場に付しむ、これを法といふ、よく時世に從て人をして當所に立しむ、これを制といふ、不朽に立を法とし、臨時に立を制といふ、治道の規矩辨ぜずんばあるべからず、賞罰第十九國に大法あり、萬人をして不朽に當所を失はしめず、しかれども人は活物なり、逸して法を犯し、窮して法に背く、其法を動さゞる者は唯賞罰の正しきにあり、愛するによつて賞するにあらず、にくむによつて罰するにあらず、法を守つて國益あり、國家のためにこれを賞す、法に背て國害あり、國家のためにこれを罰す、因玆萬人動て法による、恐れて法を犯さず、法よく立て違はざるときは、國家の治まらざる事を欲するとも得んや、
新字:臨時第十七政事は繁雑なり、万差無量にして大量の人にあらざれば、これにあたつて諸用流通なす事あたわず、事々来るに従つて一条の法則によつて判断せんと欲する時は、其事遅怠し其情弊塞す、たゞ考を放れて其節を失はず、我功を忘れて人情の安堵を心とする時は、節によつて乱糸を解くが如く手に従て事正しからん、不朽は経にして、臨時は権なり、経よく立ずんば権を用る所なく、権をしらざる時は経よく物に応ずるとあるべからず、法制第十八天地の間万物あり、非情の物心なくして自然の天命に立、人は有心なり、思慮あるによつて自然の天命に立事あたわず、人君天に代つて治をなす、万人をして自然の立場に付しむ、これを法といふ、よく時世に従て人をして当所に立しむ、これを制といふ、不朽に立を法とし、臨時に立を制といふ、治道の規矩弁ぜずんばあるべからず、賞罰第十九国に大法あり、万人をして不朽に当所を失はしめず、しかれども人は活物なり、逸して法を犯し、窮して法に背く、其法を動さゞる者は唯賞罰の正しきにあり、愛するによつて賞するにあらず、にくむによつて罰するにあらず、法を守つて国益あり、国家のためにこれを賞す、法に背て国害あり、国家のためにこれを罰す、因玆万人動て法による、恐れて法を犯さず、法よく立て違はざるときは、国家の治まらざる事を欲するとも得んや、
書き下し
臨時第十七政事は繁雜なり、萬差無量にして大量の人にあらざれば、これにあたつて諸用流通なす事あたわず、事々來るに從つて一條の法則によつて判斷せんと欲する時は、其事遲怠し其情弊塞す、たゞ考を放れて其節を失はず、我功を忘れて人情の安堵を心とする時は、節によつて亂絲を解くが如く手に從て事正しからん、不朽は經にして、臨時は權なり、經よく立ずんば權を用る所なく、權をしらざる時は經よく物に應ずるとあるべからず、法制第十八天地の間萬物あり、非情の物心なくして自然の天命に立、人は有心なり、思慮あるによつて自然の天命に立事あたわず、人君天に代つて治をなす、萬人をして自然の立場に付しむ、これを法といふ、よく時世に從て人をして當所に立しむ、これを制といふ、不朽に立を法とし、臨時に立を制といふ、治道の規矩辨ぜずんばあるべからず、賞罰第十九國に大法あり、萬人をして不朽に當所を失はしめず、しかれども人は活物なり、逸して法を犯し、窮して法に背く、其法を動さゞる者は唯賞罰の正しきにあり、愛するによつて賞するにあらず、にくむによつて罰するにあらず、法を守つて國益あり、國家のためにこれを賞す、法に背て國害あり、國家のためにこれを罰す、因玆萬人動て法による、恐れて法を犯さず、法よく立て違はざるときは、國家の治まらざる事を欲するとも得んや、
現代語訳
臨時第十七 政事は煩雑で、種類は数えきれないほど多く、大きな器量の人でなければ、これに当たって諸々の用を滞りなく通すことはできません。事が来るたびに一条の法則によって判断しようとすると、その事は遅れて怠られ、人情は塞がってしまいます。ただ、考えにとらわれず、その節を失わず、自分の功を忘れて人情の安堵を心とするときは、節に従って乱れた糸をほどくように、手に従って事は正しく運ぶでしょう。不朽は経であり、臨時は権です。経がよく立たなければ権を用いる所がなく、権を知らないときは、経がよく物事に応じるということはありえません。法制第十八 天地の間に万物があり、情のない物は心がなく、自然の天命に立っています。人は心があり、思慮があるために、自然の天命に立つことができません。人君が天に代わって治を行い、万人を自然の立場につけます。これを法といいます。よく時世に従って、人をその所に立たせます。これを制といいます。不朽に立つものを法とし、臨時に立つものを制といいます。治道の規矩は弁えなければなりません。賞罰第十九 国には大法があり、万人にその不朽の所を失わせません。けれども人は生き物です。気ままにして法を犯し、行き詰まって法に背きます。その法を動かさないものは、ただ賞罰が正しいことにあります。愛するから賞するのではなく、憎むから罰するのでもありません。法を守って国の益があれば、国家のためにこれを賞します。法に背いて国の害があれば、国家のためにこれを罰します。これによって万人は動いて法に従い、恐れて法を犯しません。法がよく立って違わないときは、国家が治まらないことを望んでも、そうはならないでしょう。
解説

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『韓非子』外儲說左下第三十三孔子曰く、「善く吏為る者は徳を樹て、吏為ること能はざる者は怨みを樹つ。槩は、量を平らかにする者なり。吏は、法を平らかにする者なり。国を治むる者は、平を失ふべからざるなり。」田子方斉より魏に之く、翟黄の軒に乗り騎駕して出づるを望み、方以て文侯と為すや、車を移し路を異にして之を避く、則ち徒だ翟黄なり。方問ひて曰く、「子奚ぞ是の車に乗るや。」曰く、「君謀りて中山を伐たんと欲す、臣翟角を薦めて謀果を得たり。且に之を伐たんとす、臣楽羊を薦めて中山抜く。中山を得て、之を治めんことを憂ふ、臣李克を薦めて中山治まる、是を以て君此の車を賜ふ。」方曰く、「寵の功に称ふこと尚ほ薄し。」秦・韓魏を攻む、昭卯西に説きて秦・韓罷む。斉・荊魏を攻む、卯東に説きて斉・荊罷む。魏の襄王之を養ふに五乗を以てす。卯曰く、「伯夷将軍を以て首陽山の下に葬らる、而して天下曰く、夫の伯夷の賢と其の仁を称せらるるとを以て、而も将軍を以て葬らるるは、是れ手足掩はれざるなり、と。今臣四国の兵を罷め、而して王乃ち臣に五乗を与ふ、此れ其の功に称ふこと、猶ほ嬴勝して蹻を履むがごとし。」
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『童子問』卷中問ふ。何を以てか賞罰能く其の功罪に当たることを得ん。曰く、賞罰各其の功罪に当たらんことを欲する者は、政を為す者の心なり。然れども賞罰各其の功罪に当たらんと欲すれば、則ち罰は必ず過ぎて、賞は必ず及ばず。罰過ぎて賞及ばざれば、則ち人心睽く。人心睽けば、則ち国危ふし。故に聖人は其の賞を過ぎて、其の罰を減ず。其の賞を過ぎて、其の罰を減ずれば、則ち賞罰自ら其の当を得。書に曰く、罪の疑はしきは惟軽くし、功の疑はしきは惟重くす。其の不辜を殺さんよりは、寧ろ不経に失せよ、と。是れなり。孔子曰く、惟仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む、と。蓋し人の善を好むは、毎に及び難く、而して人の悪を悪むは、必ず過ぎ易し。惟仁人は人を愛すること深し。故に好悪能く其の実に中る。賞罰の能く其の功罪に当たるも、亦然り。
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尚書・盤庚上古我が先王、乃の祖乃の父と暨(とも)に、胥(あひ)逸勤を及にす。予敢て非罰を動用せんや。世々爾の労を選び、予爾の善を掩はず。茲に予大いに先王を享(まつ)り、爾の祖其れ従ひて与に之を享く。福を作し災を作す、予も亦敢て非徳を動用せず。予汝に難きを告ぐ、射るの志有るが若し。汝老成人を侮ること無かれ、孤有幼を弱んずること無かれ。各々厥の居に長じ、勉めて乃の力を出し、予一人の作す猷(はかりごと)を聴け。遠邇有る無く、罪を用て厥の死を伐ち、徳を用て厥の善を彰す。邦の臧(よ)きは、惟れ汝衆なり。邦の臧からざるは、惟れ予一人佚罰有り。凡そ爾衆、其れ惟れ致し告げよ。今より後日に至るまで、各々爾の事を恭しくし、乃の位を斉へ、乃の口を度れ。罰爾の身に及ばば、悔ゆべからず。」
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『大和俗訓』巻之八・応接一事に処るには、よく思案し、しづかに行ふべし。よく思案すれば、理にそむかず。しづかに行へば、過すくなし。一下に対するに、わが心にひいき偏頗の私なかるべし。我が心に合ひたる者をばひとへに愛し、気に不合者をば偏に悪むは、是愛憎の私なり。如此すれば、人に施すに過不及ありて、公ならず。衆人は、愛過ぐれば奢る。愛せざれば恨む。是偏愛偏憎の私よりおこる。人に対し下に施すに、私なくして、其人の貴賤親疎功罪賢愚にしたがひて、与ふべきほどあたへ、与へまじきには与へず。かくの如くなれば、幸不幸なく、過不及なくして、諸人のいきどほりなし。人々其処を得て、不足のうらみなし。是平かにするなり。