韓非子 / 外儲說左下第三十三
孔子曰:「善爲吏者樹德,不能爲吏者樹怨。槩者,平量者也;吏者,平法者也。治國者,不可失平也。」田子方從齊之魏,望翟黄乘軒騎駕出,方以爲文侯也,移車異路而避之,則徒翟黄也。方問曰:「子奚乘是車也?」曰:「君謀欲伐中山,臣薦翟角而謀得果;且伐之,臣薦樂羊而中山拔;得中山,憂欲治之,臣薦李克而中山治,是以君賜此車。」方曰:「寵之稱功尚薄。」秦、韓攻魏,昭卯西說而秦、韓罷;齊、荆攻魏,卯東說而齊、荆罷。魏襄王養之以五乘。卯曰:「伯夷以將軍葬於首陽山之下,而天下曰:『夫以伯夷之賢與其稱仁,而以將軍葬,是手足不掩也。』今臣罷四國之兵,而王乃與臣五乘,此其稱功,猶嬴勝而履蹻。」
新字:孔子曰:「善為吏者樹徳,不能為吏者樹怨。槩者,平量者也;吏者,平法者也。治国者,不可失平也。」田子方従斉之魏,望翟黄乗軒騎駕出,方以為文侯也,移車異路而避之,則徒翟黄也。方問曰:「子奚乗是車也?」曰:「君謀欲伐中山,臣薦翟角而謀得果;且伐之,臣薦楽羊而中山抜;得中山,憂欲治之,臣薦李克而中山治,是以君賜此車。」方曰:「寵之称功尚薄。」秦、韓攻魏,昭卯西説而秦、韓罷;斉、荆攻魏,卯東説而斉、荆罷。魏襄王養之以五乗。卯曰:「伯夷以将軍葬於首陽山之下,而天下曰:『夫以伯夷之賢与其称仁,而以将軍葬,是手足不掩也。』今臣罷四国之兵,而王乃与臣五乗,此其称功,猶嬴勝而履蹻。」
書き下し
孔子曰く、「善く吏為る者は徳を樹て、吏為ること能はざる者は怨みを樹つ。槩は、量を平らかにする者なり。吏は、法を平らかにする者なり。国を治むる者は、平を失ふべからざるなり。」田子方斉より魏に之く、翟黄の軒に乗り騎駕して出づるを望み、方以て文侯と為すや、車を移し路を異にして之を避く、則ち徒だ翟黄なり。方問ひて曰く、「子奚ぞ是の車に乗るや。」曰く、「君謀りて中山を伐たんと欲す、臣翟角を薦めて謀果を得たり。且に之を伐たんとす、臣楽羊を薦めて中山抜く。中山を得て、之を治めんことを憂ふ、臣李克を薦めて中山治まる、是を以て君此の車を賜ふ。」方曰く、「寵の功に称ふこと尚ほ薄し。」秦・韓魏を攻む、昭卯西に説きて秦・韓罷む。斉・荊魏を攻む、卯東に説きて斉・荊罷む。魏の襄王之を養ふに五乗を以てす。卯曰く、「伯夷将軍を以て首陽山の下に葬らる、而して天下曰く、夫の伯夷の賢と其の仁を称せらるるとを以て、而も将軍を以て葬らるるは、是れ手足掩はれざるなり、と。今臣四国の兵を罷め、而して王乃ち臣に五乗を与ふ、此れ其の功に称ふこと、猶ほ嬴勝して蹻を履むがごとし。」
現代語訳
(子皐の話を聞いて)孔子は言った。「よい役人は徳を植え、よくない役人は恨みを植える。槩(ますかき)は枡の量を平らにする道具であり、役人は法を公平にする者である。国を治める者は、公平を失ってはならない。」田子方が斉から魏へ行く途中、翟黄が大夫の乗る軒車に乗り、騎馬を従えて出てくるのを遠くに見た。田子方は魏の文侯だと思い、車の向きを変えて別の道を取り、避けようとしたが、よく見ると翟黄であった。田子方は尋ねた。「あなたはどうしてこの車に乗っているのか。」翟黄は言った。「主君が中山を討つ計画を立てられたとき、私が翟角を推薦して計画がまとまりました。いよいよ討つことになったとき、私が楽羊を推薦して中山を攻め落としました。中山を得て、その治め方を案じられたとき、私が李克を推薦して中山は治まりました。それで主君がこの車を賜ったのです。」田子方は言った。「その功績に比べれば、寵遇はまだ薄いくらいだ。」秦と韓が魏を攻めたとき、昭卯が西へ行って説くと秦と韓は兵を引いた。斉と楚が魏を攻めたとき、昭卯が東へ行って説くと斉と楚は兵を引いた。魏の襄王は昭卯に五乗の車を与えて養った。昭卯は言った。「伯夷は将軍の礼で首陽山のふもとに葬られましたが、天下の人々は『伯夷ほどの賢者で仁者とたたえられた人を、将軍の礼で葬るとは、手足も覆えないほど粗末な扱いだ』と言いました。今、私は四か国の兵を引かせたのに、王は私に五乗の車しか与えない。これは功績に比べて、脚絆を巻いて草鞋を履かせるような粗末な待遇です。」
解説
関連する章句
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『韓非子』外儲說左下第三十三説は文子の直言、武子の杖を用ふると、子産の忠諫、子国の譙怒すると、梁車法を用ひて成侯璽を収むると、管仲公を以てして国人謗怨するとに在り。一。孔子衛に相たり、弟子子皐獄吏と為り、人の足を刖る、跀せらるる所の者門を守る。人に孔子を衛君に悪む者有り、曰く、「尼乱を作さんと欲す。」衛君孔子を執へんと欲す。孔子走り、弟子皆逃ぐ。子皐従ひて門を出づ、跀危之を引きて之を門下の室中に逃がす、吏追ふも得ず。夜半、子皐跀危に問ひて曰く、「吾主の法令を虧くこと能はずして親ら子の足を跀る、是れ子の仇に報ゆるの時なり、而るに子何の故に乃ち肯へて我を逃がす。我何を以て此を子に得たる。」跀危曰く、「吾が足を断たるるや、固より吾が罪之に当る、奈何ともすべからず。
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『韓非子』外儲說左上第三十二孔子曰く、「人君為る者は猶ほ盂のごときなり、民は猶ほ水のごときなり。盂方なれば水方に、盂圜なれば水圜なり。」鄒君長纓を服することを好み、左右皆長纓を服す、纓甚だ貴し。鄒君之を患ひ、左右に問ふ、左右曰く、「君服することを好めば、百姓亦多く服す、是を以て貴し。」君因りて先づ自ら其の纓を断ちて出づ、国中皆長纓を服せず。君下令して百姓の為に服度を為して以て之を禁ずること能はず、纓を断ちて出でて以て民に先んじて示す、是れ先づ戮して以て民に蒞むなり。叔向猟を賦す、功多き者は多きを受け、功少き者は少きを受く。韓の昭侯申子に謂ひて曰く、「法度甚だ行ひ易からざるなり。」申子曰く、「法は、功を見て賞を与へ、能に因りて官を受く。今君法度を設けて左右の請を聴く、此れ行ひ難き所以なり。」昭侯曰く、「吾今より以来法を行ふを知れり、寡人奚ぞ聴かん。」一日、申子其の従兄を官に仕へしめんことを請ふ。昭侯曰く、「子に学ぶ所に非ざるなり。子の謁を聴きて、子の道を敗らんか、亡た子の謁を用ひんか。」申子舎を辟けて罪を請ふ。六。晋の文公原を攻む、十日の糧を裹み、遂に大夫と十日を期す。原に至りて十日にして原下らず、金を撃ちて退き、兵を罷めて去る。士に原中より出づる者有り、曰く、「原三日にして即ち下らん。」群臣左右諫めて曰く、「夫れ原の食竭き力尽く、君姑く之を待て。」公曰く、「吾士と十日を期す、去らずんば、是れ吾が信を亡ふなり。原を得て信を失ふは、吾為さざるなり。」遂に兵を罷めて去る。原人聞きて曰く、「君の彼の如く其れ信なる有り、帰する無かるべけんや。」乃ち公に降る。衛人聞きて曰く、「君の彼の如く其れ信なる有り、従ふ無かるべけんや。」乃ち公に降る。孔子聞きて之を記して曰く、「原を攻めて衛を得たる者は、信なり。」文公箕鄭に問ひて曰く、「餓を救ふこと奈何。」対へて曰く、「信なり。」公曰く、「安んぞ信ならん。」曰く、「名に信に、事に信に、義に信なり。
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説苑・臣術田子方西河を渡り、翟黄に造く。翟黄軒車に乗り、華蓋黄金の勒を載せ、鎮簟の席を約し、此くの如き者其の駟八十乗なり。子方之を望みて以て人君と為すなり。道狭くして車を下りて之を待つ。翟黄至りて其の子方を睹る。車を下りて趨り、自ら下風に投じて曰く、「触」と。田子方曰く、「子か、吾向に子を望みて疑うらくは以て人君と為すかと。子至りて人臣なり、将た何を以て此に至るか」と。翟黄対えて曰く、「此れ皆君の以て臣に賜う所なり、三十歳を積みて故に此に至る。時に間暇を以て曠野に祖し、正に先生に逢う」と。子方曰く、「何ぞ子の車轝を賜うことの厚きや」と。翟黄対えて曰く、「昔者西河守無く、臣呉起を進む。而して西河の外、寧鄴令無く、臣西門豹を進む。而して魏に趙の患無し、酸棗令無く、臣北門可を進む。而して魏に斉の憂無し、魏中山を攻めんと欲す、臣楽羊を進めて中山抜く。魏之を治むる臣使わす無く、臣李克を進めて魏国大いに治まる。是を以て此の五大夫を進むるを以て、爵禄倍して故に此に至る」と。子方曰く、「可なり、子之を勉めよ、魏国の相子を去りて他に之かず」と。翟黄対えて曰く、「君の母弟に公孫季成なる者有り、子夏を進めて君之を師とし、段干木を進めて君之を友とし、先生を進めて君之を敬す。彼其の進むる所は師なり、友なり、敬する所なり。臣の進むる所は、皆職を守り禄を守るの臣なり、何を以て魏国の相に至らんや」と。子方曰く、「吾聞く、身賢なる者は賢なり、能く賢を進むる者も亦た賢なりと。子の五挙する者尽く賢なり、子之を勉めよ、子は其の次を終えん」と。斉の威王瑤台に遊び、成侯卿来りて事を奏す、従う車羅綺甚だ衆し。王之を望みて左右に謂いて曰く、「来る者は何を為す者ぞや」と。左右曰く、「成侯卿なり」と。王曰く、「国至って貧しきに、何ぞ出づること之盛んなるや」と。左右曰く、「人に与うる者は以て之に責むる有り、人より受くる者は以て之に易うる有り」と。王試みに其の説を問う。成侯卿至り、上謁して曰く、「忌なり」と。王応ぜず。又曰く、「忌なり」と。王応ぜず。又曰く、「忌なり」と。王曰く、「国至って貧しきに、何ぞ出づること之盛んなるや」と。成侯卿曰く、「其の死罪を赦し、臣をして其の説を言うを得しめよ」と。王曰く、「諾」と。対えて曰く、「忌田居子を挙げて西河と為して秦梁弱し、忌田解子を挙げて南城と為して楚人羅綺を抱きて朝す、忌黔涿子を挙げて冥州と為して燕人牲を給し趙人盛を給す、忌田種首子を挙げて即墨と為して斉に於いて足究す、忌北郭刁勃子を挙げて大士と為して九族益々親しみ、民益々富む、此の数良人を挙ぐれば、王枕して臥するのみ、何ぞ国の貧しきを患えんや」と。
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『韓非子』外儲說左上第三十二曰く、「寧ろ度を信ずとも、自ら信ずること無きなり。」四。王登中牟の令と為り、上りて襄主に言ひて曰く、「中牟に士の中章・胥己と曰ふ者有り、其の身甚だ修まり、其の学甚だ博し、君何ぞ之を挙げざる。」主曰く、「子之に見えよ、我将に中大夫と為さんとす。」相室諫めて曰く、「中大夫は、晋の重列なり、今功無くして受くるは、晋臣の意に非ず。君其れ之を耳にして未だ之を目にせざるか。」襄主曰く、「我登を取る、既に之を耳にして之を目にせり。登の取る所、又之を耳にして之を目にせば、是れ人を耳目すること絶えて已む無し。」王登一日にして二中大夫を見えしめ、之に田宅を予ふ。中牟の人其の田耘を棄て、宅圃を売りて文学に随ふ者、邑の半ばなり。叔向坐に御す、平公事を請ふ、公腓痛み足痺れ転筋して敢て坐を壊らず。晋国之を聞き、皆曰く、「叔向は賢者なり、平公之を礼し、転筋して敢て坐を壊らず。」晋国の仕を辞し託して叔向を慕ふ者、国の錘なり。鄭県の人に屈公なる者有り、敵を聞きて、恐れ、因りて死す。恐れ已みて、因りて生く。趙の主父李疵をして中山の攻むべきや不やを視しむ。還りて報じて曰く、「中山伐つべきなり。君亟やかに伐たずんば、将に斉・燕に後れんとす。」主父曰く、「何の故に攻むべき。」李疵対へて曰く、「其の君巌穴の士を見ることを好み、蓋を傾け車を与にして以て窮閭隘巷の士に見ゆる所の者十を以て数へ、礼を伉して布衣の士に下る者百を以て数ふ。」君曰く、「子の言を以て論ずれば、是れ賢君なり、安んぞ攻むべけんや。」疵曰く、「然らず。
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『韓非子』外儲說左下第三十三一。罪を以て誅を受くれば、人上を怨まず、跀危子皐を生かす。功を以て賞を受くれば、臣君を徳とせず、翟璜右契を操りて軒に乗る。襄王知らず、故に昭卯五乗にして屩を履む。上任を過さず、臣能を誣ひざれば、即ち臣将に夫の少室周と為らんとす。二。勢を恃みて信を恃まず、故に東郭牙管仲を議す。術を恃みて信を恃まず、故に渾軒文公を非る。故に有術の主は、賞を信にして以て能を尽くさしめ、罰を必にして以て邪を禁ず、駮行有りと雖も、必ず利する所を得。簡主の陽虎に相たらしむる、哀公の一足を問ふ。三。臣主の理を失へば、則ち文王自ら履きて矜る。朝燕の処を易へざれば、則ち季孫終身荘にして賊に遇ふ。四。禁ずる所を利し、利する所を禁ずれば、神と雖も行はれず。罪する所を誉め、賞する所を毀れば、堯と雖も治まらず。夫れ門を為りて入らしめず、利を委ねて進ましめざるは、乱の産ずる所以なり。斉侯左右を聴かず、魏主誉むる者を聴かずして、明察羣臣を照らせば、則ち鉅も金銭を費さず、孱も璧を用ひず。西門豹復た鄴を治めんことを請ふ、以て之を知るに足る。猶ほ盗嬰児の裘を矜ると跀危子の衣を栄とするがごとし。子綽左右に画く、蟻を去り蠅を駆る。安んぞ桓公の官を索むるを憂ふると宣主の馬を臞するを患ふること無きを得んや。五。臣卑倹を以て行ひと為せば、則ち爵以て賞を観すに足らず。寵光節無ければ、則ち臣下侵偪す。説は苗賁皇の献伯を非り、孔子の晏嬰を議するに在り。故に仲尼管仲と孫叔敖とを論ず。而して出入の容変ずるは、陽虎の言其の臣を見るなり。而して簡主の人臣に応ずるや主術を失ふ。朋党相和し、臣下欲を得れば、則ち人主孤なり。羣臣公に挙げ、下相和せざれば、則ち人主明なり。陽虎将に趙武の賢、解狐の公と為らんとす、而して簡主以て枳棘と為す、国に教ふる所以に非ざるなり。六。公室卑ければ則ち直言を忌み、私行勝てば則ち公功少なし。
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『韓非子』內儲說上七術第三十過ち有るも罪せず、功無くして賞を受くれば、亡ぶと雖も、亦可ならずや」と。斉国厚葬を好み、布帛は衣衾に尽き、材木は棺椁に尽く。桓公之を患ひ、以て管仲に告げて曰く、「布帛尽くれば則ち以て蔽ひと為す無く、材木尽くれば則ち以て守備と為す無し。而るに人の厚葬すること休まず、之を禁ずること奈何」と。管仲対へて曰く、「凡そ人の為す有るや、之を名とするに非ざれば、則ち之を利とするなり」と。是に於て乃ち令を下して曰く、「棺椁度に過ぐる者は其の尸を戮し、夫の喪に当たる者を罪す」と。夫れ死を戮すれば名無く、喪に当たる者を罪すれば利無し。人何の故にか之を為さんや。衛の嗣君の時、胥靡有りて魏に逃れ、因りて襄王の后の為に病を治す。衛の嗣君之を聞き、人をして五十金を以て之を買はんことを請はしむ。五たび反るも魏王予へず、乃ち左氏を以て之に易へんとす。群臣左右諫めて曰く、「夫れ一都を以て胥靡を買ふは、可ならんや」と。王曰く、「子の知る所に非ざるなり。夫れ治に小無く、乱に大無し。法立たずして誅必ならずんば、十の左氏有りと雖も益無きなり。法立ちて誅必ならば、十の左氏を失ふと雖も害無きなり」と。魏王之を聞きて曰く、「主治めんと欲して之に聴かざるは、不祥なり」と。因りて載せて往き、徒だ之を献ず。三。斉王、文子に問ひて曰く、「国を治むること何如」と。対へて曰く、「夫れ賞罰の道為る、利器なり。君固く之を握り、以て人に示すべからず。臣の如き者の若きは、猶ほ獣鹿のごときなり、唯だ薦草にのみ就く」と。越王、大夫文種に問ひて曰く、「吾呉を伐たんと欲す、可ならんか」と。対へて曰く、「可なり。吾が賞は厚くして信、罰は厳にして必なり。君之を知らんと欲せば、何ぞ試みに宮室を焚かざる」と。是に於て遂に宮室を焚く。人之を救ふ莫し。乃ち令を下して曰く、「人の火を救ひて死する者は、死敵の賞に比し、火を救ひて死せざる者は、勝敵の賞に比し、火を救はざる者は、降北の罪に比す」と。人の其の体に塗り濡衣を被て火に走る者、左に三千人、右に三千人。此れ必勝の勢ひを知るなり。呉起、魏の武侯の為に西河の守と為る。秦に小亭有りて境に臨む。呉起之を攻めんと欲す。去らずんば、則ち甚だ田者を害す。之を去らんとすれば、則ち以て甲兵を徴するに足らず。