無門関 / 第三十五則 倩女離魂
【無門曰】若向者裏悟得真底。便知出殼入殼。如宿旅舍。其或未然。切莫亂走。驀然地水火風一散。如落湯螃蟹七手八腳。那時莫言。不道。【頌曰】雲月是同 溪山各異 萬福萬福 是一是二
新字:【無門曰】若向者裏悟得真底。便知出殼入殼。如宿旅舎。其或未然。切莫乱走。驀然地水火風一散。如落湯螃蟹七手八脚。那時莫言。不道。【頌曰】雲月是同 渓山各異 万福万福 是一是二
書き下し
無門曰く、若し者裏(しゃり)に向かって真底を悟得せば、便ち知らん、殻を出でて殻に入ること、旅舎に宿るが如くなることを。其れ或いは未だ然らずんば、切に乱走すること莫れ。驀然(まくねん)として地水火風一散せば、湯に落つる螃蟹(ぼうかい)の七手八脚するが如し。那時(なじ)、言ふこと莫れ、道(い)はずと。頌に曰く、雲月是れ同じ、渓山各々異なり。万福万福、是れ一か是れ二か。
現代語訳
無門は言う。もしここで本物を悟ることができたなら、殻を出て殻に入る(生まれ変わる)ことが、旅の宿に泊まるようなものだと分かるだろう。もしまだそうでないなら、決してむやみに走り回ってはならない。突然、地・水・火・風(身体を作る四大)がばらばらに散ったとき、熱湯に落ちた蟹が七本の手と八本の足をばたつかせるようなことになる。そのときになって、教えてもらわなかったなどと言うな。頌に言う。雲と月は同じ、谷と山はそれぞれ異なる。めでたい、めでたい。これは一つか、二つか。
解説
本則で五祖法演は「倩女は魂が離れた、どちらが本物か」と問う。唐の伝奇『離魂記』で、倩娘は恋人と駆け落ちして五年暮らしたが、実家では病床の倩娘が寝たきりだった。帰郷すると二人の倩娘は一つに合わさったという。無門は、ここで本物を悟れば、生まれて死ぬことは宿を替えるのと変わらないと言う。悟らぬまま死に臨めば、茹で蟹のようにもがくことになると脅す。頌の「雲と月は同じ、谷と山は別々」は、一つとも二つとも言える在り方を示す。仕事の自分と家庭の自分、どちらが本当の自分かと悩む人は多い。どちらかを偽物と決めつける前に、その問いの立て方を疑ってみる余地がある。
関連する章句
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『無門関』第三十五則 倩女離魂五祖、僧に問ひて云く、「倩女(せんにょ)離魂す。那箇(なこ)か是れ真底(しんてい)」。
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