無門関 / 第二十八則 久響龍潭
【無門曰】德山未出關時。心憤憤口悱悱。得得來南方。要滅卻教外別傳之旨。及到澧州路上。問婆子買點心。婆云。大德車子內是甚麼文字。山云。金剛經抄疏。婆云。只如經中道。過去心不可得。見在心不可得。未來心不可得。大德要點那箇心。德山被者一問。直得口似匾檐。然雖如是。未肯向婆子句下死卻。遂問婆子。近處有甚麼宗師。婆云。五里外有龍潭和尚。及到龍潭納盡敗闕。可謂是前言不應後語。龍潭大似憐兒不覺醜。見他有些子火種。郎忙將惡水。驀頭一澆澆殺。冷地看來一場好笑。【頌曰】聞名不如見面 見面不如聞名 雖然救得鼻孔 爭奈瞎卻眼睛
新字:【無門曰】徳山未出関時。心憤憤口悱悱。得得来南方。要滅却教外別伝之旨。及到澧州路上。問婆子買点心。婆云。大徳車子内是甚麼文字。山云。金剛経抄疏。婆云。只如経中道。過去心不可得。見在心不可得。未来心不可得。大徳要点那箇心。徳山被者一問。直得口似匾檐。然雖如是。未肯向婆子句下死却。遂問婆子。近処有甚麼宗師。婆云。五里外有竜潭和尚。及到竜潭納尽敗闕。可謂是前言不応後語。竜潭大似憐児不覚醜。見他有些子火種。郎忙将悪水。驀頭一澆澆殺。冷地看来一場好笑。【頌曰】聞名不如見面 見面不如聞名 雖然救得鼻孔 争奈瞎却眼睛
書き下し
無門曰く、徳山未だ関を出でざる時、心憤憤(ふんぷん)、口悱悱(ひひ)として、得得として南方に来たり、教外別伝の旨を滅却せんと要す。澧州の路上に到るに及んで、婆子に問うて点心を買はんとす。婆云く、「大徳の車子の内は是れ甚麼(なん)の文字ぞ」。山云く、「金剛経の抄疏」。婆云く、「只だ経中に道ふが如きんば、過去心不可得、見在心不可得、未来心不可得と。大徳、那箇(いずれ)の心にか点ぜんと要す」。徳山、者(こ)の一問を被りて、直に口、匾檐(へんたん)に似たることを得たり。是の如くなりと然雖(いえど)も、未だ肯(あ)へて婆子の句下に向かって死却せず。遂に婆子に問ふ、「近処に甚麼の宗師か有る」。婆云く、「五里の外に龍潭和尚有り」。龍潭に到るに及んで敗闕(はいけつ)を納れ尽くす。謂つべし、是れ前言、後語に応ぜずと。龍潭、大いに児を憐れんで醜きことを覚えざるに似たり。他の些子(しゃし)の火種有るを見て、郎忙(ろうぼう)として悪水を将(も)って、驀頭(まくとう)に一澆(いちぎょう)に澆殺す。冷地に看来たれば一場の好笑なり。頌に曰く、名を聞かんよりは面を見んに如かず。面を見んよりは名を聞かんに如かず。鼻孔を救ひ得たりと雖然(いえど)も、争奈(いかん)せん眼睛を瞎却(かっきゃく)することを。
現代語訳
無門は言う。徳山がまだ故郷の蜀を出ないうちは、胸は憤りでいっぱい、口は言いたいことで詰まり、意気込んで南方へやって来て、「教えの外に別に伝える」という禅の主張を叩き潰すつもりでいた。澧州(れいしゅう、今の湖南省北部)への道の途中で、老婆に点心(軽食)を買おうとした。老婆が言った。「お坊さま、背負っている箱の中は何の書物か」。徳山「『金剛経』の注釈書だ」。老婆「その経の中には、過去の心はつかめない、現在の心はつかめない、未来の心はつかめない、とあるそうだ。お坊さまは、どの心に点じよう(点心を食べよう)というのか」。徳山はこの一問を受けて、口が天秤棒のように真一文字にふさがってしまった。それでも、老婆の一言の下で死にきる気にはなれず、老婆に問うた。「この近くにどんな師家がいるか」。老婆「五里先に龍潭和尚がいる」。龍潭のもとに着くと、徳山はすっかり負けを認めた。先に言ったことと後に言ったことが合わない、とはこのことだ。龍潭のほうも、わが子かわいさに醜さに気づかない親のようなものだ。相手にわずかな火種があるのを見るや、あわてて汚れ水をつかみ、頭からざぶりと浴びせて消してしまった。冷静に眺めれば、とんだ笑いぐさである。頌に言う。名を聞くより顔を見るほうがよい。顔を見るより名を聞くほうがよい。鼻の穴(本来の面目)は救い得たとしても、どうして眼の玉をつぶしてしまったのか。
解説
関連する章句
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『無門関』第二十八則 久響龍潭龍潭、德山の請益して夜に抵(いた)るに因る。潭云く、「夜深けたり、子(し)何ぞ下り去らざる」。山遂に珍重して簾を揭げて出づ。外面の黑きを見て卻回して云く、「外面黑し」。潭乃ち紙燭を點じて度與(どよ)す。山接せんと擬す。潭便ち吹き滅す。山此に於て忽然として省有り。便ち禮を作す。潭云く、「子箇の甚麼(なん)の道理をか見る」。山云く、「某甲今日より去(のち)、天下の老和尚の舌頭を疑はず」。明日に至りて龍潭陞堂して云く、「可中(かちゅう)に箇の漢有り、牙は劍樹の如く、口は血盆に似たり。一棒に打てども頭を回らさず。他時異日、孤峰頂上に向かって吾が道を立てん」。山遂に疏抄を取り、法堂の前に於て一炬の火を將(も)って、提起して云く、「諸の玄辨を窮むるも、一毫を太虛に致(お)くが若し。世の樞機を竭(つ)くすも、一滴を巨壑(きょがく)に投ずるに似たり」。疏抄を將って便ち燒く。是に於て禮辭す。
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『無門関』第十三則 德山托缽德山一日缽を托して堂を下る。雪峰の問ふを見る、「者(こ)の老漢、鐘未だ鳴らず鼓未だ響かざるに、缽を托して甚(いづ)れの處に向かひてか去る」。山便ち方丈に回る。峰、巖頭に舉似(こじ)す。頭云く、「大小の德山、未だ末後の句を會せず」。山聞きて、侍者をして巖頭を喚び來らしめ、問ひて曰く、「汝老僧を肯(うべな)はざるか」。巖頭密かに其の意を啟(もう)す。山乃ち休し去る。明日陞座するに、果たして尋常と同じからず。巖頭僧堂前に至り、掌を拊(う)ち大笑して云く、「且(まさ)に喜ぶ、老漢末後の句を會するを得たり。他後天下の人、伊(かれ)を奈何(いかん)ともせず」。
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『無門関』第十三則 德山托缽無門曰く、若し是れ末後の句ならば、巌頭も徳山も倶に未だ夢にも見ざること在り。撿点し将ち来たれば、好し一棚の傀儡に似たり。頌に曰く、最初の句を識得すれば、便ち末後の句を会す。末後と最初と、是れ者の一句にあらず。
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『無門関』第三十一則 趙州勘婆趙州、僧の婆子に問ふに因る、「臺山の路は甚(いづ)れの處に向かひてか去る」。婆云く、「驀直(まくじき)に去れ」。僧纔(わづ)かに行くこと三五步。婆云く、「好箇の師僧、又た恁麼(いんも)にし去る」。後に僧有りて州に舉似す。州云く、「我れ去きて爾(なんぢ)が與に這(こ)の婆子を勘過せん」。明日便ち去きて亦た是の如く問ふ。婆も亦た是の如く答ふ。州歸りて眾に謂ひて曰く、「臺山の婆子、我れ爾が與に勘破し了(おは)れり」。
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『無門関』第十五則 洞山三頓雲門、洞山參ずる次(ついで)に因る。門問ひて曰く、「近ごろ甚(いづ)れの處をか離る」。山云く、「查渡(さと)」。門曰く、「夏は甚れの處に在りしか」。山云く、「湖南の報慈」。門曰く、「幾時か彼(かしこ)を離る」。山云く、「八月二十五」。門曰く、「汝に三頓の棒を放(ゆる)す」。山明日に至りて卻って上りて問訊す、「昨日和尚の三頓の棒を放すを蒙る。知らず、過(とが)は甚麼(いづれ)の處にか在る」。門曰く、「飯袋子(はんたいす)、江西湖南、便ち恁麼(いんも)にし去るか」。山、此に於て大悟す。
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『臨済録』示衆是れ爾が目前歴歴底、一箇の形段勿くして孤明なる、是れ這箇、説法聴法を解す。若し是の如く見得せば、便ち祖仏と別ならず。但だ一切時中、更に間断すること莫かれ。触目皆な是なり。秖だ情生ずれば智隔たり、想変ずれば体殊なるが為に、所以に三界に輪回して種種の苦を受く。若し山僧が見処に約せば、甚深ならざる無く、解脱せざる無し。道流、心法は形無くして、十方に通貫す。眼に在っては見と曰い、耳に在っては聞と曰い、鼻に在っては香を嗅ぎ、口に在っては談論し、手に在っては執捉し、足に在っては運奔す。本と是れ一精明、分かれて六和合と為る。一心既に無なれば、随処に解脱す。山僧与麼に説く、意、什麼の処にか在る。秖だ道流が一切馳求して、心歇むこと能わず、他の古人の閑機境に上るが為なり。道流、山僧が見処を取らば、報化仏の頭を坐断し、十地満心も猶お客作児の如く、等妙二覚は枷を担い鎖を帯ぶる漢、羅漢辟支は猶お廁穢の如く、菩提涅槃は驢を繋ぐ橛の如し。何を以てか此の如くなる。秖だ道流が三祇劫の空なることに達せざるが為に、所以に此の障礙有り。若し是れ真正の道人ならば、終に是の如くならず。但だ能く縁に随って旧業を消し、任運に衣裳を著け、行かんと要すれば即ち行き、坐せんと要すれば即ち坐し、一念心も仏果を希求すること無し。何に縁ってか此の如くなる。古人云く、『若し業を作して仏を求めんと欲せば、仏は是れ生死の大兆なり。』大徳、時光惜しむべし。秖だ傍家に波波地に禅を学び道を学び、名を認め句を認め、仏を求め祖を求め善知識を求めて意度せんと擬す。錯ること莫かれ。道流、爾秖だ一箇の父母有り、更に何物をか求めん。爾自ら返照し看よ。古人云く、『演若達多、頭を失却す。求心歇む処、即ち無事。』大徳、且く平常なることを要す、模様を作すこと莫かれ。一般の好悪を識らざる禿奴有り、便即ち神を見、鬼を見、東を指し西を劃し、晴を好み雨を好む。是の如きの流は尽く須らく債を抵し、閻老の前に向かって熱鉄丸を呑む日有るべし。好人家の男女、這の一般の野狐精魅に著けられて、便即ち揑怪す。瞎屢生、飯銭を索めらるる日有らん。」師、衆に示して云く、
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