無門関 / 第二十七則 不是心佛
【無門曰】南泉被者一問。直得揣盡家私。郎當不少。【頌曰】叮嚀損君德 無言真有功 任從滄海變 終不為君通
新字:【無門曰】南泉被者一問。直得揣尽家私。郎当不少。【頌曰】叮嚀損君徳 無言真有功 任従滄海変 終不為君通
書き下し
無門曰く、南泉、者(こ)の一問を被(こうむ)りて、直に家私を揣(はか)り尽くすことを得たり。郎当(ろうとう)少なからず。頌に曰く、叮嚀(ていねい)は君が徳を損ず。無言、真に功有り。任従(さもあらばあれ)滄海は変ずとも、終に君が為に通ぜじ。
現代語訳
無門は言う。南泉はこの一問を受けて、家の財産をすっかり量って見せてしまった。まったく、だらしのないことはなはだしい。頌に言う。丁寧に説きすぎれば、かえって君の徳を損なう。言葉にしないところにこそ、真の功がある。たとえ大海が桑畑に変わろうとも、決して君のために説き明かしはしない。
解説
本則で南泉普願は「人に説かない法」を問われ、「心でもない、仏でもない、物でもない」と答えた。無門はこれを、たった一問で家の蔵を全部開けて見せた、だらしない振る舞いだと叱る。説かない法を説いてしまった矛盾を突いているのである。だが叱っているようでいて、南泉が惜しまず手の内を見せた親切を、裏から認めてもいる。頌はさらに踏み込み、丁寧すぎる説明は相手の徳を損ない、無言にこそ功があると言い切る。職場でも、答えを先回りして全部渡す上司の下では、部下が自分で考える機会が失われる。どこまで言い、どこで口をつぐむかは、教える側の力量そのものである。
関連する章句
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