無門関 / 第二十一則 雲門屎橛
【無門曰】雲門可謂。家貧難辨素食。事忙不及草書。動便將屎橛來。撐門拄戶。佛法興衰可見。【頌曰】閃電光 擊石火 眨得眼 已蹉過
新字:【無門曰】雲門可謂。家貧難弁素食。事忙不及草書。動便将屎橛来。撐門拄戸。仏法興衰可見。【頌曰】閃電光 撃石火 眨得眼 已蹉過
書き下し
無門曰く、雲門謂つべし、家貧にして素食を弁じ難く、事忙しくして草書するに及ばずと。動もすれば便ち屎橛を将ち来たって、門を撐え戸を拄う。仏法の興衰見つべし。頌に曰く、閃電光、撃石火。眼を眨得すれば、已に蹉過す。
現代語訳
無門は言う。雲門(唐末の禅僧、雲門文偃)は、家が貧しくて精進料理もろくに用意できず、忙しくて草書で走り書きする暇もない、と言うべきだ。ともすればすぐに糞かきべらを持ち出して、門を支え戸を支えようとする。これで仏法の興るか衰えるかが見て取れる。頌に言う。稲妻の光、火打ち石の火花。まばたきする間に、もう通り過ぎている。
解説
僧に「仏とは何か」と問われ、雲門が「乾屎橛」、乾いた糞かきべらと答えた第二十一則への評唱である。仏を最も汚れたものに喩えた答えは、仏を尊いものとして祭り上げる心を一撃で断つ。無門は、雲門は貧しくてまともな料理も出せず、忙しくて字を崩す暇もないから、手近な糞かきべらで門を支えている、と皮肉る。粗末な道具で禅門を支えているところに仏法の興廃が見えるという言い方は、けなしながら称える無門独特の筆法である。頌の「閃電光、撃石火」は、考えている間に答えは過ぎ去るという禅の速さを示す。仕事でも、立派な言葉や資料を整えている間に機を逸することがある。手元にある粗末な道具で即座に応じる力が、しばしば組織を支える。
関連する章句
-
『無門関』第二十一則 雲門屎橛雲門、僧の問ふに因る、「如何なるか是れ佛」。門云く、「乾屎橛(かんしけつ)」。
-
『無門関』第三十九則 雲門話墮無門曰く、若し者裏に向かって雲門の用処の孤危なるを見得し、者の僧、甚(なん)に因ってか話堕(わだ)すと見得せば、人天の与(ため)に師と為るに堪へん。若也(も)し未だ明らめずんば、自救不了(じぐふりょう)。頌に曰く、急流に釣を垂る、餌を貪る者は著く。口縫(こうほう)纔(わず)かに開けば、性命喪却す。
-
『無門関』第三十則 即心即佛無門曰く、若し能く直下(じきげ)に領略し得去らば、仏衣を著(き)、仏飯を喫し、仏話を説き、仏行を行ず、即ち是れ仏なり。是の如くなりと然雖も、大梅、多少の人を引いて、錯って定盤星(じょうばんじょう)を認めしむ。争(いか)でか知らん、箇の仏の字を説けば三日口を漱ぐことを。若し是れ箇の漢ならば、「即心是仏」と説くを見て、耳を掩(おお)うて便ち走らん。頌に曰く、青天白日、切に忌む尋覓(じんみゃく)することを。更に如何と問はば、贓(ぞう)を抱いて屈と叫ぶ。
-
『無門関』第二十二則 迦葉剎竿無門曰く、若し者裏に向かって一転語を下し得て親切ならば、便ち霊山の一会儼然として未だ散ぜざることを見ん。其れ或いは未だ然らずんば、毘婆尸仏早く心を留むるも、直に而今に至るまで妙を得ず。頌に曰く、問処は答処の親しきに何如ぞ、幾人か此に於いて眼に筋を生ず。兄呼べば弟応じて家醜を揚ぐ、陰陽に属せず別に是れ春。
-
『無門関』第七則 趙州洗缽無門曰く、趙州口を開いて胆を見わし、心肝を露出す。者の僧、事を聴いて真ならず、鐘を喚んで甕と作す。頌に曰く、只だ分明に極まるが為に、翻って所得をして遅からしむ。早く灯は是れ火なることを知らば、飯熟して已に多時。
-
『無門関』第三十九則 雲門話墮雲門、僧の問ふに因る、「光明寂照して河沙に遍し」。一句未だ絕えざるに、門遽(にはか)に曰く、「豈に是れ張拙秀才の語にあらずや」。僧云く、「是なり」。門云く、「話墮せり」。後來死心(しじん)、拈じて云く、「且く道へ、那裏か是れ者の僧の話墮する處」。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る