碧巌録 / 第八十三則
雲門大師。出八十餘員善知識。遷化後七十餘年。開塔觀之。儼然如故。他見地明白。機境迅速。大凡垂語別語代語。直下孤峻。只這公案。如擊石火。似閃電光。直是神出鬼沒。慶藏主云。一大藏教還有這般說話麼。如今人多向情解上作活計。道佛是三界導師四生慈父。既是古佛。為什麼却與露柱相交。若恁麼會。卒摸索不著。有者喚作無中唱出。殊不知宗師家說話。絕意識絕情量。絕生死絕法塵。入正位更不存一法。爾纔作道理計較。便纏脚纏手。且道他古人意作麼生。但只使心境一如。好惡是非。撼動他不得。便說有也得無也得。有機也得無機也得。到這裏拍拍是令。五祖先師道。大小雲門元來膽小。若是山僧。只向他道第八機。他道。古佛與露柱相交。是第幾機。一時間且向目前包裹。僧問。未審意旨如何。門云。一條絛三十文買。他有定乾坤底眼。既無人會。後來自代云。南山起雲北山下雨。且與後學通箇入路。所以雪竇只拈他定乾坤處教人見。若纔犯計較露箇鋒鋩。則當面蹉過。只要原他雲門宗旨。明他峻機。所以頌出云。
新字:雲門大師。出八十余員善知識。遷化後七十余年。開塔観之。儼然如故。他見地明白。機境迅速。大凡垂語別語代語。直下孤峻。只這公案。如撃石火。似閃電光。直是神出鬼没。慶蔵主云。一大蔵教還有這般説話麼。如今人多向情解上作活計。道仏是三界導師四生慈父。既是古仏。為什麼却与露柱相交。若恁麼会。卒摸索不著。有者喚作無中唱出。殊不知宗師家説話。絶意識絶情量。絶生死絶法塵。入正位更不存一法。爾纔作道理計較。便纏脚纏手。且道他古人意作麼生。但只使心境一如。好悪是非。撼動他不得。便説有也得無也得。有機也得無機也得。到這裏拍拍是令。五祖先師道。大小雲門元来胆小。若是山僧。只向他道第八機。他道。古仏与露柱相交。是第幾機。一時間且向目前包裹。僧問。未審意旨如何。門云。一条絛三十文買。他有定乾坤底眼。既無人会。後来自代云。南山起雲北山下雨。且与後学通箇入路。所以雪竇只拈他定乾坤処教人見。若纔犯計較露箇鋒鋩。則当面蹉過。只要原他雲門宗旨。明他峻機。所以頌出云。
書き下し
雲門大師、八十余員の善知識を出す。遷化の後七十余年、塔を開いて之を観るに、儼然として故の如し。他の見地明白にして、機境迅速なり。大凡そ垂語・別語・代語、直下に孤峻なり。只だ這の公案、石火を撃つが如く、閃電光に似たり、直に是れ神出鬼没なり。慶蔵主云く、「一大蔵教に還た這般の説話有りや」と。如今の人、多く情解上に向つて活計を作して道ふ、「仏は是れ三界の導師、四生の慈父なり。既に是れ古仏ならば、什麼と為てか却つて露柱と相交はる」と。若し恁麼に会せば、卒に摸索不著ならん。有る者は喚んで無中に唱出すと作す。殊に知らず、宗師家の説話は、意識を絶し情量を絶し、生死を絶し法塵を絶し、正位に入つて更に一法をも存せざることを。爾纔かに道理計較を作さば、便ち脚を纏ひ手を纏はん。且く道へ、他の古人の意作麼生。但だ只だ心境一如ならしむれば、好悪是非、他を撼動し得ず。便ち有と説くも也た得、無と説くも也た得、有機も也た得、無機も也た得。這裏に到つては拍拍是れ令なり。五祖先師道ふ、「大小の雲門、元来胆小なり。若し是れ山僧ならば、只だ他に向つて第八機と道はん」と。他道ふ、「古仏と露柱と相交はる、是れ第幾機ぞ」と。一時間且く目前に向つて包裹す。僧問ふ、「未審、意旨如何」。門云く、「一条の絛、三十文にて買ふ」。他に乾坤を定むる底の眼有り。既に人の会する無し、後来自ら代はりて云く、「南山に雲を起こし、北山に雨を下す」と。且く後学の与に箇の入路を通ず。所以に雪竇只だ他の乾坤を定むる処を拈じて人をして見せしむ。若し纔かに計較を犯して箇の鋒鋩を露はさば、則ち当面に蹉過せん。只だ他の雲門の宗旨を原ね、他の峻機を明らめんことを要す。所以に頌出して云く、
現代語訳
雲門大師は八十余人の善知識を世に出した。亡くなって七十余年後に塔を開いて見ると、遺体は生前のままおごそかであった。その見地は明白で、はたらきは迅速である。およそ垂語・別語・代語のどれも、すぐさま高く険しい。この公案などは、火打ち石の火花、稲妻の光のようで、まさに神出鬼没である。慶蔵主は「一切経の中に、こんな説き方があるだろうか」と言った。いまの人の多くは感情的な理解の上で暮らしを立て、「仏は三界の導師、あらゆる生き物の慈父である。古仏であるなら、なぜ柱と交わるのか」と言う。そのように理解するなら、ついに手探りしても届かない。ある者は、無の中から唱え出したものだと言う。宗師家の言葉は、意識を絶ち情の推し量りを絶ち、生死を絶ち、心の対象としての塵を絶ち、正位に入ってもはや一法も残さないものだと、まるで知らないのだ。君たちが少しでも理屈を立てて計らえば、たちまち手足をからめ取られる。さあ言ってみよ、古人の意はどうか。ただ心と境とを一つにすれば、好き嫌いや是非は彼を揺るがすことができない。そうなれば有と説いてもよく、無と説いてもよく、機があってもよく、機がなくてもよい。ここに至っては、一つ一つの拍子がすべて命令である。五祖先師は「さすがの雲門も、もともと肝が小さい。わしなら、ただ第八機と言ってやるのに」と言った。雲門は「古仏と露柱が交わる、第何番目の機か」と言い、ひとまず目の前でくるみ込んだのである。僧が「いったいどういう意味ですか」と問うと、雲門は「一本の紐を三十文で買った」と言った。雲門には天地を定める眼がある。誰も分からなかったので、後に自ら代わって「南の山に雲が起こり、北の山に雨が降る」と言い、ひとまず後学のために入り口を開いてやった。だから雪竇は、雲門が天地を定める処だけを取り上げて人に見せる。少しでも計らいを犯して切っ先を見せれば、目の前ですれ違ってしまう。ただ雲門の宗旨をたずね、その険しい機を明らかにしたいのだ。だから頌に出して言う。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第八十三則挙す。雲門、衆に示して云く、「古仏と露柱と相交はる、是れ第幾機ぞ」。自ら代はりて云く、「南山に雲を起こし、北山に雨を下す」。
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『碧巌録』第二十七則凡そ言を出し気を吐くには、須らく是れ鉗の如く鋏の如く、鉤有り鎖有るべし。須らく是れ相続して断えずして始めて得べし。這の僧の問処に宗旨有り、雲門の答処も亦然り。雲門は尋常三句を以て人を接す、此れは是れ極則なり。雪竇の這の公案を頌する、大龍の公案を頌するに相類す。「三句辨ずべし」、一句の中に三句を具す。若し辨得せば則ち三句の外に透出す。「一鏃空を遼かにす」、鏃は乃ち箭鏃なり。射得て太だ遠し、須らく是れ急に眼を著けて看て始めて得べし。若也見得て分明ならば、以て一句の下に大千沙界を開展すべし。此に到って頌し了って、雪竇余才有り、所以に展開して頌出して道ふ、「大野、涼飈颯颯、長天、疎雨濛濛」と。且く道へ、是れ心か是れ境か、是れ玄か是れ妙か。古人道ふ、「法法隠蔵せず、古今常に顕露す」と。他問ふ、「樹凋み葉落つる時如何」。雲門道ふ、「体露金風」。雪竇の意は只だ一境と作す。如今眼前、風拂拂地、是れ東南の風にあらずんば、便ち是れ西北の風。直に須らく便ち恁麼に会して始めて得べし。爾若し更に禅道の会を作さば、便ち交渉没し。「君見ずや、少林に久しく坐して未だ帰らざる客」。達磨未だ西天に帰らざる時、九年面壁して静悄悄地。且く道へ、是れ樹凋み葉落つるか、且く道へ、是れ体露金風か。若し這裏に向かって、尽古今の凡聖、乾坤大地を打して一片と成さば、方に雲門・雪竇の的的たる為人の処を見ん。「静かに熊耳の一叢叢に依る」。熊耳は即ち西京嵩山の少林なり。前山も也た千叢万叢、後山も也た千叢万叢。諸人什麼の処に向かってか見る。還た雪竇の為人の処を見るや。也た是れ霊亀の尾を曳くなり。
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『碧巌録』第八十五則大雄の宗派の下に四庵主を出す。大梅・白雲・虎渓・桐峯なり。看よ他の両人、恁麼に眼親しく手辨ず。且く道へ、誵訛什麼の処にか在る。古人の一機一境、一言一句、然も出でて時に臨むに在りと雖も、若し是れ眼目周正ならば、自然に活鱍鱍地なり。雪竇拈じて人をして邪正を識り得失を辨ぜしむ。然も此の如くなりと雖も、他の達人の分上に在つては、得失に処すと雖も、却つて得失無し。若し得失を以て他の古人を見ば、則ち没交渉なり。如今の人、須らく是れ各各窮めて得失無き処に到り、然る後に得失を以て人を辨ずべし。若し一向に言句を揀択する処に去いて心を用ゐば、又た幾時にか了ずることを得去らん。見ずや、雲門大師道ふ、「行脚の漢、只だ空しく州に遊び県に猟して、只だ閑言語を提搦せんと欲すること莫れ。老和尚の口の動くを待つて、便ち禅を問ひ道を問ひ、向上向下、如何若何と、大巻に抄し将ち去り、築いて肚皮裏に向つて卜度し、到る処の火炉の辺に三箇五箇、頭を聚めて口を挙し、喃喃地として便ち道ふ、『這箇は是れ公才の語、這箇は是れ身に就いて打出する語、這箇は是れ事上に道ふ底の語、這箇は是れ体裏の語』と。爾が屋裏の老爺老娘に体せよ。飯を噇却し了つて、只管に夢を説き、便ち道ふ、我れ仏法を会し了れりと。将に知るべし、恁麼の行脚、驢年にか休歇することを得去らん」と。
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『碧巌録』第八則如今の人問著すれば、便ち言句下に向つて咬嚼し、眉毛上に活計を作す。看よ他の屋裏の人、自然に他の行履の処を知る。千変万化、節角聱訛、著著出身の路有り、便ち能く此の如く他と酬唱す。此の語若し奇特無くんば、雲門・保福・長慶の三人、咂咂地に他と酬唱して什麼をか作さん。保福云く、「賊と作る人心虚なり」。只だ此の語に因つて、適来の許多の情解を説くことを惹き得たり。且く道へ、保福の意作麼生。切に忌む句下に向つて他の古人を覓むることを。爾若し情を生じ念を起さば、則ち爾が眼睛を換へん。殊に知らず、保福一転語を下して、翠巌の脚跟を截断することを。長慶云く、「生ぜり」。人多く道ふ、「長慶翠巌の脚跟に随つて転ず、所以に生ぜりと道ふ」と。且得没交渉。知らず、長慶自ら他の見解を出して生ぜりと道ふことを。各おの出身の処有り。我且く爾に問ふ、是れ什麼の処か是れ生ずる処。一に作家の面前に、金剛王宝剣を直下に便ち用ふるに似たり。若し能く常流の見解を打破し、得失是非を截断せば、方に長慶の他と酬唱する処を見ん。雲門云く、「関」。妨げず奇特なることを。只だ是れ参じ難し。雲門大師、多く一字禅を以て人に示す。一字の中と雖も、須らく三句を具すべし。看よ他の古人、機に臨んで酬唱す、自然に今時の人と逈かに別なり。此れは乃ち句を下す底の様子なり。他此の如く道ふと雖も、意決して那裏に在らず。既に那裏に在らずんば、且く道へ、什麼の処にか在る。也た須らく子細に自ら参じて始めて得べし。若し是れ明眼の人ならば、照天照地底の手脚有つて、直下に八面玲瓏たらん。雪竇他の一箇の関字の為に、他の三箇を和して、穿つて一串と作して頌出す。
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『碧巌録』第八十八則後に僧有り、雲門に挙似す。門便ち他の意を会して云く、「汝礼拝せよ」。僧礼拝して起つ。門、拄杖を以て挃く。這の僧退後す。門云く、「汝は是れ患盲にあらず」。復た喚ぶ、「近前し来れ」。僧近前す。門云く、「汝は是れ患聾にあらず」。乃ち云く、「会すや」。僧云く、「会せず」。門云く、「汝は是れ患啞にあらず」。其の僧此に於て省有り。当時若し是れ箇の漢ならば、他の「礼拝せよ」と道ふを等ちて、便ち与に禅床を掀倒せん。豈に許多の葛藤有るを見んや。且く道へ、雲門と玄沙と会する処、是れ同か是れ別か。他の両人の会する処、都て只だ一般なり。看よ他の古人出で来つて千万種の方便を作す、意は鉤頭上に在り。多少の苦口ぞ、只だ諸人をして各各此の一段の事を明らめしめんとす。五祖老師云く、「一人は説き得て却つて会せず、一人は却つて会して説き得ず。二人若し来参せば、如何が他を辨じ得ん。若し這の両人を辨じ得ずんば、管取す人の為に粘を解き縛を去ること得ざること在り。若し辨じ得ば、纔かに入門を見て、我れ便ち草鞋を著けて爾が肚裏に向つて走ること幾遭し了らん。猶自ほ省みずんば、什麼の碗をか討めて出で去らん」と。且く盲聾瘖啞の会を作すこと莫くんば好し。若し恁麼に計較せば、所以に道ふ、「眼に色を見ること盲に如き等しく、耳に声を聞くこと聾に如き等し」と。又た道ふ、「満眼に色を視ず、満耳に声を聞かず。文殊は常に目に触れ、観音は耳根を塞ぐ」と。這裏に到つて、眼に見ること盲の如くに相似、耳に聞くこと聾の如くに相似て、方に能く玄沙の意と多くを争はず。諸人還た盲聾瘖啞底の漢子の落処を識るや。看取せよ、雪竇の頌に云く、
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『碧巌録』第十五則雲門は是れ這般の人、善く能く同死同生す。宗師人の為にするは、須らく此の如くなるに至るべし。曲彔木床の上に據りて坐し、捨得して爾をして打破せしめ、爾が虎鬚を捋づるを容す。也た須らく是れ這般の田地に到りて始めて得べし。七事を具して随身し、以て同生同死すべし。高き者は之を抑へ、下き者は之を挙げ、足らざる者は之に与ふ。孤峰に在る者は、救ひて荒草に入らしめ、荒草に落つる者は、救ひて孤峰に処らしむ。爾若し鑊湯炉炭に入らば、我も也た鑊湯炉炭に入らん。其の実他無し、只だ爾が与に粘を解き縛を去り、釘を抽き楔を抜き、籠頭を脱却し、角馱を卸却せんことを要す。平田和尚に一頌有りて最も好し。霊光昧まさず、万古の徽猷。此の門に入り来たらば、知解を存すること莫かれ。別別。擾擾怱怱たり水裏の月。妨げず出身の路有り、亦た活人の機有ることを。雪竇拈じ了りて、人をして自ら去きて生機を明悟せしむ。他の語句に随ふこと莫かれ。爾若し他に随はば、正に是れ擾擾怱怱たる水裏の月なり。如今作麼生か平穏を得去らん。一著を放過す。
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