碧巌録 / 第二十一則
問佛未出世時如何。牛頭未見四祖時如何。斑石內混沌未分時如何。父母未生時如何。雲門道。從古至今。只是一段事。無是無非。無得無失。無生與未生。古人到這裏。放一綫道有出有入。若是未了底人。扶籬摸壁。依草附木。或教他放下。又打入莽莽蕩蕩荒然處去。若是得底人。二六時中。不依倚一物。雖不依倚一物。若露一機一境。作麼生摸索他。這僧問道。蓮花未出水時如何。智門云。蓮花。便只攔問一答。不妨奇特。諸方皆謂之顛倒語。那裏如此。不見嵒頭道。常貴未開口已前。猶較些子。古人露機處。已是漏逗了也。如今學者。不省古人意。只管去。理論出水與未出水。有什麼交涉。不見僧問智門。如何是般若體。門云。蚌含明月。僧云如何是般若用。門云。兔子懷胎。看他如此對答。天下人討他語脈不得。或有人問夾山道。蓮花未出水時如何。只對他道。露柱燈籠。且道與蓮花是同是別。出水後如何。對他道。杖頭挑日月。脚下太泥深。爾且道是不是。且莫錯認定盤星。雪竇忒殺慈悲。打破人情解。所以頌出。
新字:問仏未出世時如何。牛頭未見四祖時如何。斑石内混沌未分時如何。父母未生時如何。雲門道。従古至今。只是一段事。無是無非。無得無失。無生与未生。古人到這裏。放一綫道有出有入。若是未了底人。扶籬摸壁。依草附木。或教他放下。又打入莽莽蕩蕩荒然処去。若是得底人。二六時中。不依倚一物。雖不依倚一物。若露一機一境。作麼生摸索他。這僧問道。蓮花未出水時如何。智門云。蓮花。便只攔問一答。不妨奇特。諸方皆謂之顛倒語。那裏如此。不見嵒頭道。常貴未開口已前。猶較些子。古人露機処。已是漏逗了也。如今学者。不省古人意。只管去。理論出水与未出水。有什麼交渉。不見僧問智門。如何是般若体。門云。蚌含明月。僧云如何是般若用。門云。兔子懐胎。看他如此対答。天下人討他語脈不得。或有人問夾山道。蓮花未出水時如何。只対他道。露柱灯籠。且道与蓮花是同是別。出水後如何。対他道。杖頭挑日月。脚下太泥深。爾且道是不是。且莫錯認定盤星。雪竇忒殺慈悲。打破人情解。所以頌出。
書き下し
「仏未だ出世せざる時如何」、「牛頭未だ四祖に見えざる時如何」、「斑石内に混沌未だ分かれざる時如何」、「父母未生の時如何」と問ふ。雲門道ふ、「古より今に至るまで、只だ是れ一段の事なり。是無く非無く、得無く失無く、生と未生と無し」と。古人這裏に到って、一綫の道を放って、出有り入有り。若し是れ未了底の人ならば、籬を扶け壁を摸し、草に依り木に附く。或いは他をして放下せしむれば、又莽莽蕩蕩として荒然たる処に打入し去る。若し是れ得底の人ならば、二六時中、一物にも依倚せず。一物にも依倚せずと雖も、若し一機一境を露はさば、作麼生か他を摸索せん。這の僧問うて道ふ、「蓮花未だ水を出でざる時如何」。智門云く、「蓮花」。便ち只だ攔問一答す、妨げず奇特なることを。諸方皆之を顛倒語と謂ふ。那裏か此の如くならん。見ずや、巌頭道ふ、「常に未だ口を開かざる已前を貴ぶ」と。猶ほ些子に較れり。古人機を露はす処、已に是れ漏逗し了れり。如今の学者、古人の意を省みず、只管に去って水を出づると未だ水を出でざるとを理論す、什麼の交渉か有らん。見ずや、僧、智門に問ふ、「如何なるか是れ般若の体」。門云く、「蚌、明月を含む」。僧云く、「如何なるか是れ般若の用」。門云く、「兎子懐胎す」。看よ、他の此の如く対答するを。天下の人、他の語脈を討ね得ず。或いは人有りて夾山に問うて道はん、「蓮花未だ水を出でざる時如何」。只だ他に対して道はん、「露柱燈籠」と。且く道へ、蓮花と是れ同か是れ別か。「水を出でて後如何」。他に対して道はん、「杖頭に日月を挑げ、脚下太だ泥深し」と。爾且く道へ、是か不是か。且く定盤星を錯認すること莫れ。雪竇忒殺だ慈悲にして、人の情解を打破す。所以に頌出す。
現代語訳
「仏がまだ世に出ないときはどうか」「牛頭がまだ四祖に会わないときはどうか」「斑石の中で混沌がまだ分かれないときはどうか」「父母がまだ生まれないときはどうか」と人は問う。雲門は言った。「昔から今に至るまで、ただ一つの事である。是もなく非もなく、得もなく失もなく、生と未生の別もない」と。古人はここに至って、一筋の道を開き、出ることも入ることもできるようにした。まだ悟っていない人は、垣根にすがり壁を手探りし、草に頼り木にしがみつく。手放させれば、今度は果てしなく茫漠とした荒れ野に入り込んでしまう。悟った人なら、一日中、何ものにも寄りかからない。何ものにも寄りかからないとはいえ、ひとたび一つの働き、一つの境地を示せば、誰がそれを手探りできようか。この僧は「蓮の花がまだ水を出ないときはどうですか」と問い、智門は「蓮の花だ」と言った。正面から遮るように一問一答したのは、実に見事である。諸方ではみなこれを逆さまの言葉と言うが、どうしてそうであろうか。見たことがないか。巌頭は「常に口を開く前を尊ぶ」と言った。それでもまだ少しはましである。古人が働きを示したところは、すでに漏れ出てしまっている。今の学ぶ者は、古人の意図を顧みず、ひたすら水を出たか出ないかを議論するが、何の関わりがあろうか。見たことがないか。ある僧が智門に「般若の本体とは何ですか」と問うと、智門は「ハマグリが明月を含む」と言った。「般若の働きとは何ですか」と問うと、「兎が子を宿す」と言った。見よ、このように答えるさまを。天下の人は彼の言葉の筋道をたどることができない。もし誰かがこの夾山の私に「蓮の花がまだ水を出ないときはどうか」と問えば、ただ「露柱と燈籠だ」と答えよう。さあ言え、それは蓮の花と同じか別か。「水を出た後はどうか」と問われたら、「杖の先に日月を掲げ、足もとはひどく泥が深い」と答えよう。お前たちよ、言ってみよ、これは正しいか正しくないか。秤の目盛りを見誤ってはならない。雪竇はたいへん慈悲深く、人の情による理解を打ち破った。だから頌を作ったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第二十一則智門若し是れ機に応じ物に接せば、猶ほ些子に較れり。若し是れ衆流を截断せば、千里万里。且く道へ、這の蓮花、水を出づると未だ水を出でざると、是れ一か是れ二か。若し恁麼に見得せば、爾に箇の入処有ることを許さん。是の如くなりと雖然も、若し是れ一と道はば、顢頇の仏性、儱侗の真如なり。若し是れ二と道はば、心境未だ忘ぜず、解路上に落在して走る、什麼の歇む期か有らん。且く道へ、古人の意作麼生。其の実許多の事無し。所以に投子道ふ、「爾但だ名言数句に著すること莫れ。若し諸事を了ぜば、自然に著せず、即ち許多の位次の不同無し。爾一切法を摂するも、一切法は爾を摂し得ず。本得失無く、夢幻の如し。許多の名目、強ひて他の与に名字を安立すべからず。爾諸人を誑諕して得んや。爾諸人問ふが故に、所以に言有り。爾若し問はずんば、我をして爾に向かって什麼をか道はしめて即ち得ん。一切の事、皆是れ爾が将ち得来たるなり。都て我が事に干らず」と。
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『碧巌録』第二十一則蓮花荷葉、君に報じて知らしむ、水を出づると未だ出でざる時と何如。江北江南、王老に問へ、一狐疑し了って一狐疑す。智門は本是れ浙人なり。得得として川に入りて香林に参ず。既に徹して、却って回りて隋州の智門に住す。雪竇は是れ他の的子なり。見得すること好く、玄を窮め妙を極む。直に道ふ、「蓮花荷葉、君に報じて知らしむ、水を出づると未だ出でざる時と何如」と。這裏人の直下に便ち会せんことを要す。山僧道はん、「未だ水を出でざる時如何」、「露柱燈籠」。「水を出でて後如何」、「杖頭に日月を挑げ、脚下太だ泥深し」。爾且く定盤星を錯認すること莫れ。如今の人の人の言句を咬む者、甚麼の限りか有らん。爾且く道へ、水を出づる時は是れ什麼の時節ぞ、未だ水を出でざる時は是れ什麼の時節ぞ。若し這裏に向かって見得せば、爾が親しく智門に見ゆることを許さん。雪竇道ふ、爾若し見ずんば、「江北江南、王老に問へ」と。雪竇の意に道ふ、爾只管に江北江南に去って、尊宿に水を出づると未だ水を出でざるとを問ふ。江南に両句を添へ得、江北に両句を添へ得て、一重に一重を添へ、展転して疑ひを生ず。且く道へ、何れの時か疑はざることを得去らん。野狐の多疑なるが如し。氷凌の上を行くに、以て水声を聴き、若し鳴らずんば方に河を過ぐべし。参学の人若し一狐疑し了って一狐疑せば、幾時か平穏なることを得去らん。
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『碧巌録』第二十一則古人道ふ、「仏性の義を識らんと欲せば、当に時節因縁を観ずべし」と。見ずや、雲門挙す、僧、霊雲に問ふ、「仏未だ出世せざる時如何」。雲、払子を竪起す。僧云く、「出世の後如何」。雲亦払子を竪起す。雲門云く、「前頭は打著し、後頭は打不著」。又云く、「出と不出とを説かず、何処にか伊が問ふ時節有らん」と。古人の一問一答は、時に応じ節に応じて、許多の事無し。爾若し言を尋ね句を逐はば、了に交渉無し。爾若し能く言中に言を透得し、意中に意を透得し、機中に機を透得して、放ちて閑閑地ならしめば、方に智門の答話の処を見ん。
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『碧巌録』第二十一則挙す。僧、智門に問ふ、「蓮花未だ水を出でざる時如何」。智門云く、「蓮花」。僧云く、「水を出でて後如何」。門云く、「荷葉」。
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『碧巌録』第二十五則又云く、「眼裏に須弥山を著け得、耳裏に大海水を著け得。一般の漢有って、人の商量を受く。祖仏の言教、龍の水を得るが如く、虎の山に靠るに似たり。却って須らく鉢嚢を挑起し、拄杖を横担すべし。亦是れ一員の無事の道人なり」。復た云く、「恁麼も也た得ず、不恁麼も也た得ず。然る後交渉没し。三員の無事の道人の中、一人を選んで師と為さんと要す」。正に是れ這般の生鉄鋳就底の漢なり。何が故ぞ。或いは悪境界に遇ひ、或いは奇特の境界に遇ふも、他の面前に到れば、悉く皆夢の如くに相似たり。六根有ることを知らず、亦旦暮有ることを知らず。直饒ひ這般の田地に到るも、切に忌む寒灰死火を守って、黒漫漫の処に打入し去ることを。也た須らく是れ転身の一路有って始めて得べし。見ずや、古人道ふ、「寒巌に異草の青きを守ること莫れ。白雲に坐却せば宗妙ならず」と。所以に蓮華峰庵主道ふ、「他の途路に力を得ざるが為なり」と。直に須らく是れ千峰万峰に去って始めて得べし。且く道へ、什麼を喚んでか千峰万峰と作す。雪竇只だ他の「楖栗横に担って人を顧みず、直に千峰万峰に入り去る」と道ふを愛す。所以に頌出す。且く道へ、什麼の処に向かってか去る。還た去処を知り得る者有りや。「落花流水太だ茫茫」。落花紛紛、流水茫茫、閃電の機、眼前是れ什麼ぞ。「眉毛を剔起して何れの処にか去る」。雪竇什麼と為てか也た他の去処を知らざる。只だ山僧適来払子を挙すと道ふが如き、且く道へ、即今什麼の処にか在る。爾諸人若し見得せば、蓮華峰庵主と同参ならん。其れ或いは未だ然らずんば、三条椽下、七尺単前に、試みに去って参詳し看よ。
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『碧巌録』第八十三則雲門大師、八十余員の善知識を出す。遷化の後七十余年、塔を開いて之を観るに、儼然として故の如し。他の見地明白にして、機境迅速なり。大凡そ垂語・別語・代語、直下に孤峻なり。只だ這の公案、石火を撃つが如く、閃電光に似たり、直に是れ神出鬼没なり。慶蔵主云く、「一大蔵教に還た這般の説話有りや」と。如今の人、多く情解上に向つて活計を作して道ふ、「仏は是れ三界の導師、四生の慈父なり。既に是れ古仏ならば、什麼と為てか却つて露柱と相交はる」と。若し恁麼に会せば、卒に摸索不著ならん。有る者は喚んで無中に唱出すと作す。殊に知らず、宗師家の説話は、意識を絶し情量を絶し、生死を絶し法塵を絶し、正位に入つて更に一法をも存せざることを。爾纔かに道理計較を作さば、便ち脚を纏ひ手を纏はん。且く道へ、他の古人の意作麼生。但だ只だ心境一如ならしむれば、好悪是非、他を撼動し得ず。便ち有と説くも也た得、無と説くも也た得、有機も也た得、無機も也た得。這裏に到つては拍拍是れ令なり。五祖先師道ふ、「大小の雲門、元来胆小なり。若し是れ山僧ならば、只だ他に向つて第八機と道はん」と。他道ふ、「古仏と露柱と相交はる、是れ第幾機ぞ」と。一時間且く目前に向つて包裹す。僧問ふ、「未審、意旨如何」。門云く、「一条の絛、三十文にて買ふ」。他に乾坤を定むる底の眼有り。既に人の会する無し、後来自ら代はりて云く、「南山に雲を起こし、北山に雨を下す」と。且く後学の与に箇の入路を通ず。所以に雪竇只だ他の乾坤を定むる処を拈じて人をして見せしむ。若し纔かに計較を犯して箇の鋒鋩を露はさば、則ち当面に蹉過せん。只だ他の雲門の宗旨を原ね、他の峻機を明らめんことを要す。所以に頌出して云く、
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