無門関 / 第十五則 洞山三頓
【無門曰】雲門當時便與本分草料。使洞山別有生機一路。家門不致寂寥。一夜在是非海裏。著到直待天明。再來又與他注破。洞山直下悟去。未是性燥。且問諸人。洞山三頓棒合喫不合喫。若道合喫。草木叢林皆合喫棒。若道不合喫。雲門又成誑語。向者裏明得。方與洞山出一口氣。【頌曰】獅子教兒迷子訣 擬前跳躑早翻身 無端再敘當頭著 前箭猶輕後箭深
新字:【無門曰】雲門当時便与本分草料。使洞山別有生機一路。家門不致寂寥。一夜在是非海裏。著到直待天明。再来又与他注破。洞山直下悟去。未是性燥。且問諸人。洞山三頓棒合喫不合喫。若道合喫。草木叢林皆合喫棒。若道不合喫。雲門又成誑語。向者裏明得。方与洞山出一口気。【頌曰】獅子教児迷子訣 擬前跳躑早翻身 無端再敘当頭著 前箭猶軽後箭深
書き下し
無門曰く、雲門、当時便ち本分の草料を与えて、洞山をして別に生機一路有らしめば、家門寂寥を致さざらん。一夜是非の海裏に在って著到し、直に天明を待って、再来するに又た他の与に注破す。洞山直下に悟り去るも、未だ是れ性燥ならず。且く諸人に問う、洞山の三頓の棒、合に喫すべきか合に喫すべからざるか。若し合に喫すべしと道わば、草木叢林皆な合に棒を喫すべし。若し合に喫すべからずと道わば、雲門又た誑語を成す。者裏に向かって明らめ得ば、方に洞山の与に一口の気を出さん。頌に曰く、獅子児を教う迷子の訣、前まんと擬して跳躑すれば早く翻身す。端無くも再び叙べて当頭に著く、前箭は猶お軽く後箭は深し。
現代語訳
無門は言う。雲門(唐末の禅僧、雲門文偃)はあの時すぐに本来の飼い葉を与えて、洞山(雲門の弟子、洞山守初)に別の生きた道を開かせたので、雲門の家門は寂れずに済んだ。洞山は一晩じゅう是非の海の中でもがき、夜明けを待ってまたやって来ると、雲門はさらに彼のために解き明かしてやった。洞山はその場で悟ったが、それでもまだ利発とは言えない。さて諸君に問う。洞山の三頓の棒(六十棒の打擲)は、食らうべきだったのか、食らうべきでなかったのか。もし食らうべきだと言うなら、草も木も林もみな棒を食らうべきことになる。もし食らうべきでないと言うなら、雲門は嘘をついたことになる。ここを明らかにできれば、はじめて洞山のために一息つかせてやれるだろう。頌に言う。獅子が子を教えるには子を迷わせる秘訣がある。前に飛びかかろうとして跳ねれば、すぐに身を翻す。思いがけず二度目に説いてやって、真正面に命中させた。初めの矢はまだ軽かったが、後の矢は深く刺さった。
解説
関連する章句
-
『無門関』第十五則 洞山三頓雲門、洞山參ずる次(ついで)に因る。門問ひて曰く、「近ごろ甚(いづ)れの處をか離る」。山云く、「查渡(さと)」。門曰く、「夏は甚れの處に在りしか」。山云く、「湖南の報慈」。門曰く、「幾時か彼(かしこ)を離る」。山云く、「八月二十五」。門曰く、「汝に三頓の棒を放(ゆる)す」。山明日に至りて卻って上りて問訊す、「昨日和尚の三頓の棒を放すを蒙る。知らず、過(とが)は甚麼(いづれ)の處にか在る」。門曰く、「飯袋子(はんたいす)、江西湖南、便ち恁麼(いんも)にし去るか」。山、此に於て大悟す。
-
『無門関』第十八則 洞山三斤無門曰く、洞山老人、些かの蚌蛤禅を参得して、纔かに両片を開いて、肝腸を露出す。然も是の如くなりと雖も、且く道え、甚れの処に向かってか洞山を見ん。頌に曰く、突出す麻三斤、言親しく意更に親し。来たって是非を説く者、便ち是れ是非の人。
-
『無門関』第十七則 國師三喚無門曰く、国師三たび喚んで、舌頭地に堕つ。侍者三たび応じて、光を和して吐出す。国師年老い心孤にして、牛頭を按じて草を喫せしむ。侍者未だ肯えて承当せず、美食も飽人の餐に中らず。且く道え、那裏か是れ他の辜負する処。国清くして才子貴く、家富んで小児嬌る。頌に曰く、鉄枷無孔人の担うことを要す、累児孫に及んで等閑ならず。門を撐え并びに戸を拄えんと欲得せば、更に須らく赤脚にして刀山に上るべし。
-
『無門関』第十三則 德山托缽德山一日缽を托して堂を下る。雪峰の問ふを見る、「者(こ)の老漢、鐘未だ鳴らず鼓未だ響かざるに、缽を托して甚(いづ)れの處に向かひてか去る」。山便ち方丈に回る。峰、巖頭に舉似(こじ)す。頭云く、「大小の德山、未だ末後の句を會せず」。山聞きて、侍者をして巖頭を喚び來らしめ、問ひて曰く、「汝老僧を肯(うべな)はざるか」。巖頭密かに其の意を啟(もう)す。山乃ち休し去る。明日陞座するに、果たして尋常と同じからず。巖頭僧堂前に至り、掌を拊(う)ち大笑して云く、「且(まさ)に喜ぶ、老漢末後の句を會するを得たり。他後天下の人、伊(かれ)を奈何(いかん)ともせず」。
-
『無門関』第十三則 德山托缽無門曰く、若し是れ末後の句ならば、巌頭も徳山も倶に未だ夢にも見ざること在り。撿点し将ち来たれば、好し一棚の傀儡に似たり。頌に曰く、最初の句を識得すれば、便ち末後の句を会す。末後と最初と、是れ者の一句にあらず。
-
『無門関』第十六則 鐘聲七條無門曰く、大凡参禅学道は、切に忌む声に随い色を逐うことを。縦使い声を聞いて道を悟り、色を見て心を明らむるも、也た是れ尋常なり。殊に知らず、衲僧家は声に騎り色を蓋い、頭頭上に明らかに、著著上に妙なることを。然も是の如くなりと雖も、且く道え、声の耳畔に来たるか、耳の声辺に往くか。直饒い響寂双び忘ずるも、此に到って如何か話会せん。若し耳を将て聴かば応に会し難かるべし、眼処に声を聞いて方に始めて親し。頌に曰く、会すれば則ち事同一家、会せざれば万別千差。会せざれば事同一家、会すれば則ち万別千差。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る