夢中問答集 / 『夢中問答集』教外別伝は思い込みか(三)
諸臣一同にそしり申しける間太子仰せて云く、さらば此の墓をほり破りて棺を外へ捨つべし、諸臣御墓をほりて御棺をあけて見ければ、入滅の時太子のおくりてきせ奉り玉ひける御衣ばかり殘りて御體は見へさせ玉はず、諸臣皆奇特の想をなしてもとのごとく御棺をおさめ奉らる、其の御はか今も存せり、解脫上人其の上に塔を立て大師と太子との兩つの御影を安置し給へり、太子の說法明眼論をつくらせ給ふ。其の中に云く、南天の祖師朕にしめしていはく速に生死をいでんと思はゞ根本一乘を學すべし。一乘の正義といへるは佛心なり、又云く南天の祖師佛法を分けて二種とす、敎內敎外是れなりと云云。達磨大師は南天の香至國の王子也、この故に南天祖師となづく、我が朝の佛法は、聖德太子始めて流布しおはします、禪宗若しいたづらごとならば何の故にか、かやうに達磨大師を崇敬しましまされや。傳敎大師諸宗について界畔を論じ給ひしかども、禪宗においては一言も勝劣の批判なし、弘法大師十住心論を作りて顯密の界畔を分別し、乃至外道二乘の敎までも事はり給ひしかども、禪宗をばひはんし給はず、是れ則ち敎外の宗旨は、義理の分別にあづからざる事をさとりまします故なり、智證大師の禪宗は諸宗の攝にあらずと仰られたるも此の意なり、智覺大師の云く、敎の中に禪あることをしらざるは敎者にあらず、禪の中に敎ある事をしらざるは禪者にあらずと云云。敎者の禪をそしるは禪をしらざるのみにあらず、敎をもしらざる故なり、禪者の敎をそしるは敎をしらざるのみにあらず、禪をもしらざる故なり、天台大師の文字の法師暗證の禪師と、仰せられたるはかやうの人の事なり、忠國師の云く、禪宗の學者よろしく佛語に遵ふべし、了義の大乘はみな自心の源をきはむ、不了義の者はあひあらそふ師子身中の虫のごとしと云云。律部の中には佛弟子も、一日に一時のいとまを費やして外道の法を習ふべし、若し其の法門をしらざれば、彼が見解に墮する事をしらざる謬りあり、又かれが法門をしらざれば、彼が見解を破することあたはずと云云。然らば則ち敎者も禪をそしらんと思ひ玉はゞ先づ禪の知識に參じて、此の宗旨を悟り玉ふべし、禪者も又敎をそしりたく思ひ玉はゞ、先づ諸の敎門の源底をつくして解了せらるべし。若し爾らば諍論自然にやむべし、若したがひにしらずして面をあかめ音をあらくして、諍論何れの時か勝負を決する事あらんや、談論の勝負は決する事なくして、謗法の罪業はかならず招き玉ふべし、無益なることのこれよりまされるはあるべからず。
新字:諸臣一同にそしり申しける間太子仰せて云く、さらば此の墓をほり破りて棺を外へ捨つべし、諸臣御墓をほりて御棺をあけて見ければ、入滅の時太子のおくりてきせ奉り玉ひける御衣ばかり残りて御体は見へさせ玉はず、諸臣皆奇特の想をなしてもとのごとく御棺をおさめ奉らる、其の御はか今も存せり、解脱上人其の上に塔を立て大師と太子との両つの御影を安置し給へり、太子の説法明眼論をつくらせ給ふ。其の中に云く、南天の祖師朕にしめしていはく速に生死をいでんと思はゞ根本一乗を学すべし。一乗の正義といへるは仏心なり、又云く南天の祖師仏法を分けて二種とす、教内教外是れなりと云云。達磨大師は南天の香至国の王子也、この故に南天祖師となづく、我が朝の仏法は、聖徳太子始めて流布しおはします、禅宗若しいたづらごとならば何の故にか、かやうに達磨大師を崇敬しましまされや。伝教大師諸宗について界畔を論じ給ひしかども、禅宗においては一言も勝劣の批判なし、弘法大師十住心論を作りて顕密の界畔を分別し、乃至外道二乗の教までも事はり給ひしかども、禅宗をばひはんし給はず、是れ則ち教外の宗旨は、義理の分別にあづからざる事をさとりまします故なり、智証大師の禅宗は諸宗の摂にあらずと仰られたるも此の意なり、智覚大師の云く、教の中に禅あることをしらざるは教者にあらず、禅の中に教ある事をしらざるは禅者にあらずと云云。教者の禅をそしるは禅をしらざるのみにあらず、教をもしらざる故なり、禅者の教をそしるは教をしらざるのみにあらず、禅をもしらざる故なり、天台大師の文字の法師暗証の禅師と、仰せられたるはかやうの人の事なり、忠国師の云く、禅宗の学者よろしく仏語に遵ふべし、了義の大乗はみな自心の源をきはむ、不了義の者はあひあらそふ師子身中の虫のごとしと云云。律部の中には仏弟子も、一日に一時のいとまを費やして外道の法を習ふべし、若し其の法門をしらざれば、彼が見解に堕する事をしらざる謬りあり、又かれが法門をしらざれば、彼が見解を破することあたはずと云云。然らば則ち教者も禅をそしらんと思ひ玉はゞ先づ禅の知識に参じて、此の宗旨を悟り玉ふべし、禅者も又教をそしりたく思ひ玉はゞ、先づ諸の教門の源底をつくして解了せらるべし。若し爾らば諍論自然にやむべし、若したがひにしらずして面をあかめ音をあらくして、諍論何れの時か勝負を決する事あらんや、談論の勝負は決する事なくして、謗法の罪業はかならず招き玉ふべし、無益なることのこれよりまされるはあるべからず。
書き下し
諸臣一同にそしり申しける間太子仰せて云く、さらば此の墓をほり破りて棺を外へ捨つべし、諸臣御墓をほりて御棺をあけて見ければ、入滅の時太子のおくりてきせ奉り玉ひける御衣ばかり殘りて御體は見へさせ玉はず、諸臣皆奇特の想をなしてもとのごとく御棺をおさめ奉らる、其の御はか今も存せり、解脫上人其の上に塔を立て大師と太子との兩つの御影を安置し給へり、太子の說法明眼論をつくらせ給ふ。其の中に云く、南天の祖師朕にしめしていはく速に生死をいでんと思はゞ根本一乘を學すべし。一乘の正義といへるは佛心なり、又云く南天の祖師佛法を分けて二種とす、敎內敎外是れなりと云云。達磨大師は南天の香至國の王子也、この故に南天祖師となづく、我が朝の佛法は、聖德太子始めて流布しおはします、禪宗若しいたづらごとならば何の故にか、かやうに達磨大師を崇敬しましまされや。傳敎大師諸宗について界畔を論じ給ひしかども、禪宗においては一言も勝劣の批判なし、弘法大師十住心論を作りて顯密の界畔を分別し、乃至外道二乘の敎までも事はり給ひしかども、禪宗をばひはんし給はず、是れ則ち敎外の宗旨は、義理の分別にあづからざる事をさとりまします故なり、智證大師の禪宗は諸宗の攝にあらずと仰られたるも此の意なり、智覺大師の云く、敎の中に禪あることをしらざるは敎者にあらず、禪の中に敎ある事をしらざるは禪者にあらずと云云。敎者の禪をそしるは禪をしらざるのみにあらず、敎をもしらざる故なり、禪者の敎をそしるは敎をしらざるのみにあらず、禪をもしらざる故なり、天台大師の文字の法師暗證の禪師と、仰せられたるはかやうの人の事なり、忠國師の云く、禪宗の學者よろしく佛語に遵ふべし、了義の大乘はみな自心の源をきはむ、不了義の者はあひあらそふ師子身中の虫のごとしと云云。律部の中には佛弟子も、一日に一時のいとまを費やして外道の法を習ふべし、若し其の法門をしらざれば、彼が見解に墮する事をしらざる謬りあり、又かれが法門をしらざれば、彼が見解を破することあたはずと云云。然らば則ち敎者も禪をそしらんと思ひ玉はゞ先づ禪の知識に參じて、此の宗旨を悟り玉ふべし、禪者も又敎をそしりたく思ひ玉はゞ、先づ諸の敎門の源底をつくして解了せらるべし。若し爾らば諍論自然にやむべし、若したがひにしらずして面をあかめ音をあらくして、諍論何れの時か勝負を決する事あらんや、談論の勝負は決する事なくして、謗法の罪業はかならず招き玉ふべし、無益なることのこれよりまされるはあるべからず。
現代語訳
諸臣はそろって太子を非難した。太子は仰せられた。それならこの墓を掘り破って、棺を外へ捨てよ、と。諸臣が墓を掘って棺を開けて見ると、入滅の時に太子が贈って着せ申し上げた御衣だけが残っていて、御体はお見えにならなかった。諸臣はみな不思議の思いをなし、元のように棺を納め申し上げた。その御墓は今も存している。解脱上人がその上に塔を立てて、大師と太子の二つの御影を安置なさった。太子は説法して、明眼論をお作りになった。その中にいう。南天の祖師が私に示して言った。速やかに生死を出ようと思うなら、根本の一乗を学ぶべきである、と。一乗の正義というのは仏心である、と。またいう。南天の祖師は仏法を分けて二種とする。教内と教外がこれである、と。達磨大師は南天の香至国の王子である。そのため南天の祖師と名づける。わが国の仏法は、聖徳太子が初めて広められた。禅宗がもし無駄ごとであるなら、どうしてこのように達磨大師を崇敬なさっただろうか。 伝教大師は諸宗について境界を論じられたが、禅宗については一言も勝劣の批評をなさらなかった。弘法大師は十住心論を作って顕教・密教の境界を区別し、さらに外道・二乗の教えまで論じ分けられたが、禅宗は批判されなかった。これはつまり、教外の宗旨は義理の分別にあずからないことを悟っておられたからである。智証大師が禅宗は諸宗に含まれないと仰せられたのも、この意味である。智覚大師はいう。教えの中に禅があることを知らないのは教者ではない。禅の中に教えがあることを知らないのは禅者ではない、と。教者が禅を謗るのは、禅を知らないだけでなく、教えをも知らないからである。禅者が教えを謗るのは、教えを知らないだけでなく、禅をも知らないからである。天台大師が文字の法師、暗証の禅師と仰せられたのは、このような人のことである。忠国師はいう。禅宗の学者はまさに仏語に従うべきである。了義の大乗はみな自心の源を究める。不了義の者は互いに争う。獅子の身中の虫のようなものである、と。律部の中には、仏弟子も一日に一時の暇を費やして、外道の法を習うべきである、もしその法門を知らなければ、彼の見解に堕ちることを知らない誤りがある、また彼の法門を知らなければ、彼の見解を破ることができない、とある。そうであれば教者も、禅を謗ろうと思われるなら、まず禅の師匠に参じて、この宗旨を悟られるべきである。禅者もまた教えを謗りたいと思われるなら、まず諸々の教門の源底を尽くして理解されるべきである。もしそうなら、争論は自然とやむはずである。もし互いに知らないで、顔を赤くし声を荒げて争論しても、いつ勝負が決まることがあろうか。談論の勝負は決まることなく、法を謗る罪業は必ず招くことになる。これ以上に無益なことはない。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
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