夢中問答集 / 『夢中問答集』神の御心は正直にあり
神は皆佛菩薩の垂迹なり、いかでか實に法師をにくみ給ふ事あらんや。さればそのかみ高僧の中に入給へる人もありきと云々寳殿の邊までは法師もくるしからじと申しゝ程に、次日內宮へ參じて、社壇のありさまを拜見すれば、古崖苔をかさね大木枝をかはして、幾歲の靑黃をか經ぬらんと昔を見るこゝちせり。高岳勢つらなり清川流みなぎりて、本朝ならぬ國土までもつゞけるかと奥ふかきけしきなり。社壇其中にあり、地を平かにひかれたる事もなし、たゞさかりなる山すがたのまゝなり。寳殿はかやぶきにして、椽も皆すぐなり、鳥居の蓋もそらされず、御供の米はたゞ三杵つくばかりなり。神官、巫女及び參詣の貴賤言語をもいたさず、行步も亦つゝしめり、是卽淳素正直の風體を諸人にしめされ、內外清淨の利益を萬世にほどこし給ふよしなり。かくばかりありがたき神明の御慧にあづかれるかゐもなく、榮華にほこり、名利にはしりて淳素正直の風體にそむき、內外清淨の利益にもれなん事はあさましからずや。八幡大菩薩、昔豐前國宇佐宮に神とあらはれさせ給ひて後、一百十年ありて山城國男山にうつらせ給ひし時、行敎和尙の三衣のたもとに三尊の靈像を現じ給ひき、今男山の御殿におさめ奉るしるしの箱と申すは是なり。弘法大師御對面の時は僧形を現じ給ひき、大師其御影をうつし給ふ。大菩薩また自ら大師の御影をうつせさ給ひき。其兩御影は高雄の神護寺におさめ奉れり。是卽衆生を誘引して佛法に歸依し、生死を出離せしめんための瑞相なり。男山に放生會とて毎年八月一日より十五日に至るまで所々に人をつかはして、百萬喉の魚を買ふて山下の小河に放つて其善根の供養のため、二十五日の早朝に御輿山下へくだらせ給ふ。其時祠官法會を行ひ、伶人妓樂を奏す。神輿山上よりをりさせ給ふ時は、社司祠官等各衣服をかざりて供奉す。其よそほひまことに嚴重なり。法會終はつて還御ならせ給ふ時は、さきの儀式にはひきかへて祠官等の供奉人皆美服をぬぎて、淨衣を著し、白杖をつき、わらうつをはきて送り奉る。ひとへに葬禮の儀式なり。是れ卽朝には紅顏ありて世路にほこれども、暮には白骨となりて郊原にくちぬといへる理をしめし給へりと申傳へたり。大菩薩は正直の首にやどり給はんといふ御誓あり。正直と申に淺深あり、虛妄の見をはなれて眞正の道をさとれる眞實正直の人なり。それまではなけれども無常の理をしりて、名をもとめず、利をむさばらず、仁義の道をまなびて物をころさず、理をまげずば是れ又正直の人なり。放生會の儀式はしかしながら衆生を誘引して、かやうの正直の道に入らしめんとの方便なり。貴賤道俗大菩薩を仰ぎ奉らざる人はなし。然れ共若し此正直の道に入給はずば、たとひ貴人高僧の御首なりとも、大菩薩のやどらせ給ふ事あるべからず。いはんや餘人をや、伊勢八幡の御事のみかゝるにはあらず、其餘の諸神逆順の方便ことなりといへども、哀憐の旨趣は同かるべし。朝夕のふるまひはみな神慮にそむきながら、我いのる事のかなはぬと恨み奉ることは、ひかめるにあらずや。
新字:神は皆仏菩薩の垂迹なり、いかでか実に法師をにくみ給ふ事あらんや。さればそのかみ高僧の中に入給へる人もありきと云々宝殿の辺までは法師もくるしからじと申しゝ程に、次日内宮へ参じて、社壇のありさまを拝見すれば、古崖苔をかさね大木枝をかはして、幾歳の青黄をか経ぬらんと昔を見るこゝちせり。高岳勢つらなり清川流みなぎりて、本朝ならぬ国土までもつゞけるかと奥ふかきけしきなり。社壇其中にあり、地を平かにひかれたる事もなし、たゞさかりなる山すがたのまゝなり。宝殿はかやぶきにして、椽も皆すぐなり、鳥居の蓋もそらされず、御供の米はたゞ三杵つくばかりなり。神官、巫女及び参詣の貴賤言語をもいたさず、行歩も亦つゝしめり、是即淳素正直の風体を諸人にしめされ、内外清浄の利益を万世にほどこし給ふよしなり。かくばかりありがたき神明の御慧にあづかれるかゐもなく、栄華にほこり、名利にはしりて淳素正直の風体にそむき、内外清浄の利益にもれなん事はあさましからずや。八幡大菩薩、昔豊前国宇佐宮に神とあらはれさせ給ひて後、一百十年ありて山城国男山にうつらせ給ひし時、行教和尚の三衣のたもとに三尊の霊像を現じ給ひき、今男山の御殿におさめ奉るしるしの箱と申すは是なり。弘法大師御対面の時は僧形を現じ給ひき、大師其御影をうつし給ふ。大菩薩また自ら大師の御影をうつせさ給ひき。其両御影は高雄の神護寺におさめ奉れり。是即衆生を誘引して仏法に帰依し、生死を出離せしめんための瑞相なり。男山に放生会とて毎年八月一日より十五日に至るまで所々に人をつかはして、百万喉の魚を買ふて山下の小河に放つて其善根の供養のため、二十五日の早朝に御輿山下へくだらせ給ふ。其時祠官法会を行ひ、伶人妓楽を奏す。神輿山上よりをりさせ給ふ時は、社司祠官等各衣服をかざりて供奉す。其よそほひまことに厳重なり。法会終はつて還御ならせ給ふ時は、さきの儀式にはひきかへて祠官等の供奉人皆美服をぬぎて、浄衣を著し、白杖をつき、わらうつをはきて送り奉る。ひとへに葬礼の儀式なり。是れ即朝には紅顔ありて世路にほこれども、暮には白骨となりて郊原にくちぬといへる理をしめし給へりと申伝へたり。大菩薩は正直の首にやどり給はんといふ御誓あり。正直と申に浅深あり、虚妄の見をはなれて真正の道をさとれる真実正直の人なり。それまではなけれども無常の理をしりて、名をもとめず、利をむさばらず、仁義の道をまなびて物をころさず、理をまげずば是れ又正直の人なり。放生会の儀式はしかしながら衆生を誘引して、かやうの正直の道に入らしめんとの方便なり。貴賤道俗大菩薩を仰ぎ奉らざる人はなし。然れ共若し此正直の道に入給はずば、たとひ貴人高僧の御首なりとも、大菩薩のやどらせ給ふ事あるべからず。いはんや余人をや、伊勢八幡の御事のみかゝるにはあらず、其余の諸神逆順の方便ことなりといへども、哀憐の旨趣は同かるべし。朝夕のふるまひはみな神慮にそむきながら、我いのる事のかなはぬと恨み奉ることは、ひかめるにあらずや。
書き下し
神は皆佛菩薩の垂迹なり、いかでか實に法師をにくみ給ふ事あらんや。さればそのかみ高僧の中に入給へる人もありきと云々寳殿の邊までは法師もくるしからじと申しゝ程に、次日內宮へ參じて、社壇のありさまを拜見すれば、古崖苔をかさね大木枝をかはして、幾歲の靑黃をか經ぬらんと昔を見るこゝちせり。高岳勢つらなり清川流みなぎりて、本朝ならぬ國土までもつゞけるかと奥ふかきけしきなり。社壇其中にあり、地を平かにひかれたる事もなし、たゞさかりなる山すがたのまゝなり。寳殿はかやぶきにして、椽も皆すぐなり、鳥居の蓋もそらされず、御供の米はたゞ三杵つくばかりなり。神官、巫女及び參詣の貴賤言語をもいたさず、行步も亦つゝしめり、是卽淳素正直の風體を諸人にしめされ、內外清淨の利益を萬世にほどこし給ふよしなり。かくばかりありがたき神明の御慧にあづかれるかゐもなく、榮華にほこり、名利にはしりて淳素正直の風體にそむき、內外清淨の利益にもれなん事はあさましからずや。八幡大菩薩、昔豐前國宇佐宮に神とあらはれさせ給ひて後、一百十年ありて山城國男山にうつらせ給ひし時、行敎和尙の三衣のたもとに三尊の靈像を現じ給ひき、今男山の御殿におさめ奉るしるしの箱と申すは是なり。弘法大師御對面の時は僧形を現じ給ひき、大師其御影をうつし給ふ。大菩薩また自ら大師の御影をうつせさ給ひき。其兩御影は高雄の神護寺におさめ奉れり。是卽衆生を誘引して佛法に歸依し、生死を出離せしめんための瑞相なり。男山に放生會とて毎年八月一日より十五日に至るまで所々に人をつかはして、百萬喉の魚を買ふて山下の小河に放つて其善根の供養のため、二十五日の早朝に御輿山下へくだらせ給ふ。其時祠官法會を行ひ、伶人妓樂を奏す。神輿山上よりをりさせ給ふ時は、社司祠官等各衣服をかざりて供奉す。其よそほひまことに嚴重なり。法會終はつて還御ならせ給ふ時は、さきの儀式にはひきかへて祠官等の供奉人皆美服をぬぎて、淨衣を著し、白杖をつき、わらうつをはきて送り奉る。ひとへに葬禮の儀式なり。是れ卽朝には紅顏ありて世路にほこれども、暮には白骨となりて郊原にくちぬといへる理をしめし給へりと申傳へたり。大菩薩は正直の首にやどり給はんといふ御誓あり。正直と申に淺深あり、虛妄の見をはなれて眞正の道をさとれる眞實正直の人なり。それまではなけれども無常の理をしりて、名をもとめず、利をむさばらず、仁義の道をまなびて物をころさず、理をまげずば是れ又正直の人なり。放生會の儀式はしかしながら衆生を誘引して、かやうの正直の道に入らしめんとの方便なり。貴賤道俗大菩薩を仰ぎ奉らざる人はなし。然れ共若し此正直の道に入給はずば、たとひ貴人高僧の御首なりとも、大菩薩のやどらせ給ふ事あるべからず。いはんや餘人をや、伊勢八幡の御事のみかゝるにはあらず、其餘の諸神逆順の方便ことなりといへども、哀憐の旨趣は同かるべし。朝夕のふるまひはみな神慮にそむきながら、我いのる事のかなはぬと恨み奉ることは、ひかめるにあらずや。
現代語訳
神はみな仏菩薩が姿を変えて現れたものである。どうして本当に法師を憎まれることがあろうか。だから昔、高僧の中には神殿に入られた人もいた、とも言う。宝殿のあたりまでは法師が来てもかまわないでしょうと申したところ、翌日内宮に参って、社殿の様子を拝見すると、古い崖には苔が重なり、大木は枝を交わし、幾年の青と黄(木の葉の移ろい)を経てきたのだろうと、昔を見る心地がした。高い峰が連なり、清らかな川が流れ満ち、わが国ではない国土までも続いているかと思われるほど、奥深い景色である。社壇はその中にあって、地を平らにならした様子もなく、ただ盛んな山の姿のままである。宝殿は萱葺きで、垂木もみな削らずまっすぐなままである。鳥居の笠木も反らせていない。お供えの米は、わずか三度杵をつく程度である。神官、巫女、そして参詣の貴賤も、言葉を発することなく、歩みも慎んでいる。これは、飾り気のない素朴で正直な風体を人々に示し、内外の清浄の利益を万世に施されるためである。 これほどありがたい神明のお恵みにあずかりながら、その甲斐もなく、栄華に誇り、名利に走って、素朴で正直な風体に背き、内外清浄の利益から漏れることはあさましいことではないか。 八幡大菩薩は、昔、豊前国の宇佐宮に神として現れられて後、百十年ののち、山城国の男山に遷られた。そのとき行教和尚の三衣の袂に三尊の霊像を現された。今、男山の御殿に納め奉る印の箱というのはこれである。弘法大師にお会いになったときは僧の姿を現され、大師はそのお姿を写された。大菩薩もまた自ら大師の姿をお写しになった。この二つの御影は高雄の神護寺に納められている。これは衆生を誘引して仏法に帰依させ、生死から離れさせるための瑞相である。 男山では放生会といって、毎年八月一日から十五日に至るまで、所々に人を遣わし、百万尾の魚を買って山の下の小川に放つ。その善根の供養のために、二十五日の早朝に御輿が山の下に降りられる。そのとき祠官が法会を行い、楽人が楽を奏する。神輿が山上から降りられるときは、社司や祠官たちがそれぞれ衣服を飾ってお供をする。その装いは実に厳重である。法会が終わって還御なさるときは、先の儀式とは打って変わって、祠官たちお供の人は皆、美しい服を脱いで浄衣を着、白い杖をつき、藁沓を履いてお送りする。まったく葬礼の儀式である。これは、朝には紅顔で世の道に誇っても、夕べには白骨となって野にくちる、という理を示されたものと申し伝えられている。 大菩薩は、正直の頭に宿ろう、という御誓いがある。正直と言っても、浅い深いがある。虚妄の見を離れて真正の道を悟った、真実の正直の人がある。そこまでいかなくても、無常の理を知って、名を求めず、利をむさぼらず、仁義の道を学んで物を殺さず、道理を曲げないなら、これもまた正直の人である。放生会の儀式は、まさに衆生を誘引して、こうした正直の道に入らせようとする方便である。身分の高い者も低い者も、僧も俗も、大菩薩を仰ぎ奉らない人はいない。しかしもしこの正直の道に入られないなら、たとえ貴人や高僧の頭であっても、大菩薩がお宿りになることはない。まして他の人はなおさらである。伊勢や八幡の御ことだけがこうなのではなく、その他の諸神も、逆縁や順縁の方便は異なっていても、哀れみの趣旨は同じであろう。朝夕のふるまいはみな神の思し召しに背きながら、自分の祈ることが叶わないと恨み申し上げるのは、ひがんだことではないか。
解説

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