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神皇正統記 / 巻二 第十六代 応神天皇

其故にや行教和尚には弥陀三尊の形にてみえさせ給けり。光明袈裟の上にうつらせまし〳〵けるを頂戴して、男山には安置し申けりとぞ。神明の本地を云ことはたしかならぬたぐひおほけれど、大菩薩の応迹は昔よりあきらかなる証拠おはしますにや。或は又、「昔於霊鷲山説妙法華経。」とも、或は弥勒なりとも、大自在王菩薩なりとも託宣し給。中にも八正の幡をたてゝ、八方の衆生を済度し給本誓を、能々思入てつかうまつるべきにや。天照太神もたゞ正直をのみ御心とし給へる。神鏡を伝へまし〳〵しことの起は、さきにもしるし侍ぬ。又雄略天皇二十二年の冬十一月に、伊勢の神宮の新嘗のまつり、夜ふけてかたへの人々罷出て後、神主物忌等ばかり留たりしに、皇太神・豊受の太神、倭姫命にかゝりて託宣し給しに、「人はすなはち天下の神物なり。心神をやぶることなかれ。神はたるゝに祈祷を以て先とし、冥はくはふるに正直を以て本とす。」とあり。同二十三年二月、かさねて託宣し給しに、「日月は四州をめぐり、六合を照すと云ども正直の頂を照すべし。」

書き下し

其故にや行教和尚には弥陀三尊の形にてみえさせ給けり。光明袈裟の上にうつらせましましけるを頂戴して、男山には安置し申けりとぞ。神明の本地を云ことはたしかならぬたぐひおほけれど、大菩薩の応迹は昔よりあきらかなる証拠おはしますにや。或は又、「昔於霊鷲山説妙法華経。」とも、或は弥勒なりとも、大自在王菩薩なりとも託宣し給。中にも八正の幡をたてゝ、八方の衆生を済度し給本誓を、能々思入てつかうまつるべきにや。天照太神もたゞ正直をのみ御心とし給へる。神鏡を伝へましまししことの起は、さきにもしるし侍ぬ。又雄略天皇二十二年の冬十一月に、伊勢の神宮の新嘗のまつり、夜ふけてかたへの人々罷出て後、神主物忌等ばかり留たりしに、皇太神・豊受の太神、倭姫命にかゝりて託宣し給しに、「人はすなはち天下の神物なり。心神をやぶることなかれ。神はたるゝに祈祷を以て先とし、冥はくはふるに正直を以て本とす。」とあり。同二十三年二月、かさねて託宣し給しに、「日月は四州をめぐり、六合を照すと云ども正直の頂を照すべし。」

現代語訳

そのためであろうか、行教和尚には弥陀三尊の姿で現れなさった。その光明が袈裟の上に映られたのを頂いて、男山に安置申しあげたという。神明の本地をいうことは確かでない類が多いけれども、大菩薩(八幡)の応迹は昔から明らかな証拠がおありなのであろうか。あるいはまた「昔、霊鷲山において妙法華経を説いた」とも、あるいは弥勒であるとも、大自在王菩薩であるとも託宣された。中でも八正の幡を立てて八方の衆生を救われる本誓を、よくよく心に入れてお仕えすべきであろう。天照大神もただ正直だけを御心とされている。神鏡を伝えられたことの起こりは、先にも記した。また雄略天皇の二十二年冬十一月に、伊勢の神宮の新嘗の祭りで、夜が更けて傍らの人々が退出した後、神主・物忌らだけが留まっていたところ、皇大神と豊受大神が倭姫命に憑いて託宣されたことに、「人はすなわち天下の神物である。心神を破ってはならない。神が恵みを垂れるには祈祷を先とし、見えない加護を加えるには正直を本とする」とあった。同じく二十三年二月、重ねて託宣されたことには、「日月は四州をめぐり、六合を照らすといっても、正直の者の頭上をこそ照らすのである」

解説

八幡神の本地をめぐる説を紹介したあと、親房は話を天照大神の「正直」へとつなぐ。神の本地が何であるかは確かでない話が多いと断りつつ、大切なのは八正の幡を立てて人々を救うという神の誓いを心に入れて仕えることだ、と焦点を絞る。そして引かれるのが伊勢の託宣である。神が恵みを垂れるには祈りを先とし、見えない加護を加えるには正直を本とする。日月は世界を照らすが、正直な者の頭上をこそ照らす。これらの言葉は『倭姫命世記』など伊勢神道の書に見えるもので、親房が伊勢で学んだ思想の中心にあたる。祈れば加護が得られるのではなく、加護を受ける条件は正直であることだという。「人はすなはち天下の神物なり。心神をやぶることなかれ」という一句も重い。人を神から預かったものと見るなら、人の心を損なうことは神への背きになる。

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