孟子 / 盡心章句上
孟子曰:「莫非命也,順受其正。是故知命者,不立乎巖牆之下。盡其道而死者,正命也。桎梏死者,非正命也。」
新字:孟子曰:「莫非命也,順受其正。是故知命者,不立乎巖牆之下。尽其道而死者,正命也。桎梏死者,非正命也。」
書き下し
孟子曰く、「命に非ざる莫きなり。其の正を順受す。是の故に命を知る者は、巖牆の下に立たず。其の道を盡くして死する者は、正命なり。桎梏して死する者は、正命に非ざるなり。」
現代語訳
孟子は言った。 「凡そ人の寿命は皆天から与えられたものであるから、それを正しく受け入れて従うことが大事である。だからそれを知っている者は、岩石が崩れ落ちそうな所や壊れそうな垣根の側には近寄らない。天から与えられた善の道を尽くして死ぬのは、正命であるが、罪を犯して刑罰で死ぬのは正命ではないのである。」
解説
自分の力ではどうにもならない運命を受け入れることは大切ですが、それは自暴自棄になったり、無謀な行動をとったりすることとは違います。本当に運命の重みを理解している人は、避けられる危険(崩れそうな壁の下など)には自ら近づきません。ビジネスでも、無謀なリスクを取って失敗するのは運命ではなく、単なる無責任です。最善を尽くした結果を受け入れる潔さと、無用なトラブルを回避する賢明な判断力を持つことが、責任ある社会人の態度です。
この章句が説くこと
運命の受容リスク回避自己責任
関連する章句
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「其の心を盡くせば、其の性を知るなり。其の性を知れば、則ち天を知る。其の心を存し、其の性を養うは、天に事うる所以なり。殀壽貳せず、身を修めて以て之を俟つは、命を立つる所以なり。」
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『講孟余話』盡心上 第二章「命に非ざる莫きなり。其の道を尽くして死する者は、正命に非ざるなり。桎梏して死する者は、正命に非ざるなり」。是れ上章立命の説を承けて、正命・非正命の説を発す。命を論ずる尤も詳なり。命は即ち天命なり。俗人の心得にては、天命と云へば、天に心ありて吉凶禍福を人の善悪に因りて夫々に降し賜ふことの様に思ふは、大いに誤りなり。此の章の命と云ふは、萬章篇第六章、「之れを致すこと莫くして至る者は命なり」の命にて、都て人力に叶はぬことを云ふなり。吉凶禍福の類、皆吾が心底に任せぬ者故に、是れを命と云ふ。扨て「命に非ざる莫きなり」と云ふ内に、正命と非正命との差別あり。前章疾病の譬へを以て、其の他皆推して知るべし。頑父・嚚母・傲弟・不肖子及び洪水・阻饑の類、皆命なり。然れども是れ命なりと云ひて安坐して、初めより手を下さざるは非正命なり、其の道を尽くさざればなり。聖人の心力を尽くし玉ふ上にて、丹朱・商均の如きの不肖、終に如何ともすべからざるに至りては正命とも云ふべし。桎梏して死する者は、皆自ら取るの禍なれば、非正命なり。自ら窃盗・博奕の諸悪さへ為さざれば、桎梏に繋がるべき理断じてなし。然れども成湯・文王の聖人も、夏台・羑里の囚人となり、竜逢・比干の忠にして、誅死を免れざるは、是れ正命か非正命なるか思ふべし。朱子語類に此の事を論じて云く、「孟子の『桎梏して死する者は正命に非ず』と説くが如き、須らく是れ孟子の意如何を看得べし。且つ公冶長の縲紲に在りと雖も、其の罪に非ざるが如き、若し当時公冶長縲紲に死せば、他を是れ正命ならずと説くを成さず。罪有ると罪無きとは我に在るのみ。古人の身を殺して以て仁を成す所以なり」と。余因りて思ふに、道義に従ひて禍罪に遇ふは其の道を尽くすの極にして、凡そ人は道義の外に行くべき処はなし。道義を踏みて禍罪に遇ふは心底に任せぬことにて、亦是れを「之れを致すこと莫くして至る者」と云ひて何ぞ不可ならん。此の義細思すべし。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「堯・舜は性のままなる者なり。湯・武は之に反るなり。動容周旋、禮に中る者は、盛德の至りなり。死を哭して哀しむは、生者の為に非ざるなり。經德回ならざるは、以て禄を干むるに非ざるなり。言語必ず信なるは、以て行いを正すに非ざるなり。君子は法を行いて、以て命を俟つのみ。」
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『慎思録』巻之四人の命を天に禀くるや、其の資各厚薄崇卑有り。故に富貴貧賤吉凶禍福は、皆天に繋る。其の禀受するや、自ら定分有りて、遷し移すべからず。唯だ須らく法を行ひ安静にして、以て天命を俟つべきのみ。昧き者は此の理に達せず、以為へらく人力移し奪ふべし、と。故に常に自ら僥倖し、富貴を貪り求め、貧賤を厭ひ悪む。此れ命を知らずして義を失ふに繇るなり。然れども之を求めて得ること能はず、之を避けて免るること能はず。徒らに心力を費やすのみ。故に孔子曰く、命を知らざれば、以て君子為ること無きなり、と。
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『呻吟語』内篇・性命・正命とは正理を完くし初氣を全くする正命とは、正理を完くし、初氣を全くし、未だ嘗て我を以て之を害せざるなり。桎梏して死すと雖も、其の正命為るを害せず。若し初氣鑿ち喪はれ、正理完からずんば、即ち正寢に終はりを告ぐるとも、恐らくは正命に非ざるなり。
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『講孟余話』盡心上 第三章是れ上章正命・非正命の説を承け、我に在る者と外に在る者との差別を明かす。我に在る者とは仁義礼智の類、外に在る者とは富貴利達の類なり。註已に悉くせり。我に在る者は求むる時は得べし。然るに求めず得ずして諉して云く、是れ命なりと。是れ非正命なり。外に在る者は求むとも得べからず。夫れを種々術智を加へて是れを求め、遂に得ざれば或いは放曠に至り、或いは悲愁に沈むは、正命を知らざるなり。唐の李泌曰く、「天命は、他人は皆以て之れを言ふべし、惟君相は言ふべからず。蓋し君相は命を造る所以なり」。韓愈曰く、「所謂時なる者は、固より上位に在る者の為すのみ」。二語誠に妙なり。国家の衰乱も夷狄の猖獗も、下民にては天命と云ひても、時運と云ひても、或いは済むべし。在上の人に在りては、衰乱猖獗を以て時運天命に諉するは大いに誤りなり。是れを以て推すに、幕府・大名は幕府・大名の職あり、大夫・士は大夫・士の職あり、農・工・商は農・工・商の職あり。各其の職の上に於て、天命時運と云ふことは決して言はれぬなり。太平に鼓腹したる士の常言に、今の士は昔の士の様に勇猛なることは出来ぬなり、是れも時運なりなど云ふ者あり。余甚だ其の言を悪む。己が職を自ら廃し、是れを時運天命に附せば、不忠不孝不仁不義、皆時運天命になるなり。何ぞ是れを悪まざることを得んや。余が意を以て是れを言へば、国家夷狄の事、固より君相の職にはあれども、神州に生れたらん者は、普天率土の万民、皆自ら職とせずんばあるべからず。故に李・韓の二説も、君相に説くの言ゆゑ、偏に重きを帰する所あり。吾幽囚の罪人と雖も、悪んぞ国家の衰乱・夷狄の猖獗を度外に置くに忍びんや。諸君に於ては如何。
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