盲安杖 / 第二条・己を顧て己を知るべき事・前半
己を顧て己を知れ。假令學文廣くして如何ほど物を知りたりとも。己を知らずは物知りたるに非ず。されば己を知らずして余所を知ることあるべからず。己を更に知らざる人は。愚ある己が心を本として。他を譏り心に適ふを嘉し。溫にして從はざるを嗔り。万事に憤り深く。みづから己を苦めて心を惱すことは。偏に己が僻事ある故あり。万人我に適はざるを知らば。我も亦万人の心に適ふまじと知れ。我に僻事なき人は万人を捨ず。万人を捨ざれば万人も亦此人を嫌はず。其故如何と云ふに。誠の人は心溫にして正しく。万事に誠ありて情深き故あり。己を知て僻事なきを德ある人とす。己僻事なる時は苦み絶はず。されば僻事は己が仇なることを慥に知て。二六時中をこたる事なく。顧て慎むべし。世に人多しと雖。己を知る人稀なるべし。人々身の上を知りたりとは思へども。必ず死ずる身を持て。死有ることを忘れて万年の思をなす故に。年月を惜む人なし。然る間だ貪嗔邪僞の心を事として。忠孝の道に反き。仁義を辨へずして諂誑諂曲の心を用ひ。家職を余所にして無益の事を好み。身の僻事を知らずして。他人の是非を說き。我執強くして人を憐む心なく。好む方に貪着し嫌ふ方に疎く。一度は悅び一度は憂ひ。分別みだりにして物に逆ひ。偶道を聞ては人を謀る定規となし。身の上を忘れては。余所を謀るもいかで當らんや。
新字:己を顧て己を知れ。仮令学文広くして如何ほど物を知りたりとも。己を知らずは物知りたるに非ず。されば己を知らずして余所を知ることあるべからず。己を更に知らざる人は。愚ある己が心を本として。他を譏り心に適ふを嘉し。温にして従はざるを嗔り。万事に憤り深く。みづから己を苦めて心を悩すことは。偏に己が僻事ある故あり。万人我に適はざるを知らば。我も亦万人の心に適ふまじと知れ。我に僻事なき人は万人を捨ず。万人を捨ざれば万人も亦此人を嫌はず。其故如何と云ふに。誠の人は心温にして正しく。万事に誠ありて情深き故あり。己を知て僻事なきを徳ある人とす。己僻事なる時は苦み絶はず。されば僻事は己が仇なることを慥に知て。二六時中をこたる事なく。顧て慎むべし。世に人多しと雖。己を知る人稀なるべし。人々身の上を知りたりとは思へども。必ず死ずる身を持て。死有ることを忘れて万年の思をなす故に。年月を惜む人なし。然る間だ貪嗔邪偽の心を事として。忠孝の道に反き。仁義を弁へずして諂誑諂曲の心を用ひ。家職を余所にして無益の事を好み。身の僻事を知らずして。他人の是非を説き。我執強くして人を憐む心なく。好む方に貪着し嫌ふ方に疎く。一度は悦び一度は憂ひ。分別みだりにして物に逆ひ。偶道を聞ては人を謀る定規となし。身の上を忘れては。余所を謀るもいかで当らんや。
書き下し
己を顧て己を知れ。仮令学文広くして如何ほど物を知りたりとも。己を知らずは物知りたるに非ず。されば己を知らずして余所を知ることあるべからず。己を更に知らざる人は。愚ある己が心を本として。他を譏り心に適ふを嘉し。温にして従はざるを嗔り。万事に憤り深く。みづから己を苦めて心を悩すことは。偏に己が僻事ある故あり。万人我に適はざるを知らば。我も亦万人の心に適ふまじと知れ。我に僻事なき人は万人を捨ず。万人を捨ざれば万人も亦此人を嫌はず。其故如何と云ふに。誠の人は心温にして正しく。万事に誠ありて情深き故あり。己を知て僻事なきを徳ある人とす。己僻事なる時は苦み絶はず。されば僻事は己が仇なることを慥に知て。二六時中をこたる事なく。顧て慎むべし。世に人多しと雖。己を知る人稀なるべし。人々身の上を知りたりとは思へども。必ず死ずる身を持て。死有ることを忘れて万年の思をなす故に。年月を惜む人なし。然る間だ貪嗔邪偽の心を事として。忠孝の道に反き。仁義を弁へずして諂誑諂曲の心を用ひ。家職を余所にして無益の事を好み。身の僻事を知らずして。他人の是非を説き。我執強くして人を憐む心なく。好む方に貪着し嫌ふ方に疎く。一度は悦び一度は憂ひ。分別みだりにして物に逆ひ。偶道を聞ては人を謀る定規となし。身の上を忘れては。余所を謀るもいかで当らんや。
現代語訳
己を振り返って、己を知りなさい。たとえ学問が広く、どれほど物を知っていても、己を知らなければ、物を知っているとはいえません。ですから己を知らずに、よそのことを知ることはあり得ません。まったく己を知らない人は、愚かな己の心を基準にして他人をそしり、心に適うものをよしとし、穏やかでも従わなければ怒り、万事に憤りが深く、自分で自分を苦しめて心を悩ませます。それはひとえに、自分に間違いがあるからです。万人が自分の心に適わないと知るなら、自分もまた万人の心に適わないだろうと知りなさい。自分に間違いがない人は、万人を見捨てません。万人を見捨てなければ、万人もまたこの人を嫌いません。なぜかといえば、誠の人は心が穏やかで正しく、万事に誠があって情が深いからです。己を知って間違いがない人を、徳のある人とします。己に間違いがあるときは、苦しみが絶えません。ですから、間違いは己の仇であることを確かに知って、一日中怠ることなく、振り返って慎むべきです。世に人は多いけれども、己を知る人は稀でしょう。人々は身の上を知っているつもりでも、必ず死ぬ身でありながら死があることを忘れ、万年も生きるつもりでいるので、年月を惜しむ人がいません。そうしているうちに、貪り・怒り・よこしまな偽りの心を事とし、忠孝の道にそむき、仁義をわきまえず、へつらいや欺きの心を用い、家職をよそにして無益なことを好み、自分の間違いを知らずに他人の是非を説き、我執が強くて人を憐れむ心がなく、好むほうに貪り着き、嫌うほうを疎んじ、一度は喜び一度は憂い、分別が乱れて物事に逆らい、たまたま道を聞いては人を責める物差しにし、自分の身の上を忘れてよその人を責めても、どうして的を射ることができるでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之二造化の人に於けるや、富貴爵禄を靳しまずして、独り徳を靳しむ。此れ造化靳惜に心有るに非ず、自然にして然り。故に富貴なる者は、古今常に多く、賢哲なる者は、古今常に少なし。蓋し徳は是れ天地神秀の気、純粋精美の理にして、鍾会して人身に附与する者なり。夫れ陰陽の気は、霄壌の間に充塞すと雖も、然れども清明粋美なる者は少なし。故に人の生まるる、其の清粋の気を禀受する者甚だ寡し。亦た宜ならずや。此れ君子の常に寡く、小人の常に衆き所以なり。天の命を降すや、人をして徳有りて道を知らしむる者は、是れ天の独り君子を寵異する所にして、富貴爵禄の其の生を厚くする者に百倍す。此れ君子の以て至楽と為して、富貴爵禄を願はざる所以なり。然らば則ち学者は当に貧賤不遇を憂へずして、特に学の講ぜざる、徳の修まらざるを憂ふべきのみ。
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呂氏春秋・精通③德なる者は、萬民の宰なり。月なる者は、群陰の本なり。月望なれば則ち蚌蛤實ち、群陰盈つ。月晦なれば則ち蚌蛤虚しく、群陰虧く。夫れ月、天に形われて、群陰、淵に化す。聖人、德を己に行いて、四方咸仁に飭し。
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『翁問答』上卷之末体充曰、儒門の心学をきはめずして、軍法に達し軍法をたてゝ、その名たかき大将、倭漢ともに古来多く候へば、心学のみがきなくても、軍法のまなびはなり申べく候、しかるにまづ儒門の心学をきはめてのちに軍法をまなびたるがよしと仰せられ候は不審に存候。師の曰、よきうたがひにて候、大将の才を逞じく生れたる人は、心学のみがきなくても、軍法に達し軍功をば立るといへども、その徳なきゆへに才のたくまじきに迷ひ、必ず人を殺す事を好み、不義無道のふるまひあれば、万民その毒にあたりなげき悲むによつて、終には天罰をかうぶり、其身もほろび国も必ず絶滅するものなり、その証拠はもろこしにても我朝にても、其徳なくて才のみ逞しき大将に、其身難なく子孫繁昌したる人まれなり倭漢の史書にて考へ見るべし、
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『山鹿語類』士道・勵忠孝出て君に仕ふるに徳を不以、入て父兄に仕へて其孝弟に誠あらざらんには、養気存心の用更にあらはれず。抑徳と云は、内に養ひ存する処を、外に用ひて其誠を尽して無不究理、是をなづけて徳とす。養気存心すと云とも、君父にをいて其誠たらずんば、何ぞ其下に及ばん。然れば所養所存、唯空談にして実なし。凡そ聖人の道は普く天下に施し、大小精粗ともに其用足りて、四海其化に及ぶにをいて、初めて道々たり。わづかに一己にてらし一身を清くせんことは、碌々たる小人、言必信じ行必果すの輩也。されば君父につかへ、其可致のつとめ聊不怠して、しかも其理にかなひ、四海安寧に、家内無事にして、常に変に更に滞る処なきときは、天地の覆て無外、のせて無棄にことならず。是大徳に非ずや。故に徳を練る事は、先づ忠孝を励まして其誠を尽し、君父に事る間、天性にしたがひ守て、更に不違を以て本とすべきなり。
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『春秋左氏伝』閔公二年 慶父、自ら縊る二年春、虢公犬戎を渭汭に敗る。舟之僑曰く、「德無くして祿あるは、殃なり。殃將に至らんとす」と。遂に晉に奔る。夏、莊公に吉禘す、速やかなるなり。初め、公の傅卜齮の田を奪ふ。公禁ぜず。秋八月辛丑、共仲卜齮をして公を武闈に賊せしむ。成季僖公を以って邾に適く。共仲莒に奔る。乃ち入りて、之を立つ。賂を以って共仲を莒に求む。莒人之を歸す。密に及び、公子魚をして請はしむ。許さず。哭して往く。共仲曰く、「奚斯の聲なり」と。乃ち縊る。閔公は、哀姜の娣叔姜の子なり。故に齊人之を立つ。共仲哀姜に通ず。哀姜之を立てんと欲す。閔公の死するや、哀姜與り知る。故に邾に孫る。齊人取りて之を夷に殺し、其の尸を以って歸る。僖公請ひて之を葬る。成季の將に生まれんとするや、桓公卜楚丘の父をして之を卜せしむ。曰く、「男なり。其の名を友と曰ひ、公の右に在らん。兩社に間はり、公室の輔と爲らん。季氏亡びなば、則ち魯昌えず」と。又之を筮し、《大有》の《乾》に之くに遇ふ。曰く、「同じく父に復り、敬すること君の所の如し」と。生まるるに及び、文の其の手に在る有りて「友」と曰ふ。遂に以って之に命く。
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『童子問』卷中問ふ、唯だ心学の名は、害無きに似たり。知らず以て如何と為す。曰く、心学の称も、亦禅学より来たる。禅家自ら其の法を以て心宗と名づく。性学の号も亦然り。蓋し理学者流、其の記誦詞章の学に非ざるを以て、斯の名を創建し、以て世に標榜す。然れども実は聖人の意に非ざるなり。禅者は本本然の徳を知らず、硬く己が心上に就いて功を用ふ。後世の儒者は本然の徳に由ることを知ると雖も、其の工夫は却つて亦一心上に就いて道を見る。遂に心学を以て之を称す。殊に知らず、人斯の形を具ふれば、則ち必ず斯の心有り、聖人より愚夫愚婦に至るまで、一なり。本貴きに非ず、亦賤しきに非ず。故に聖人は徳を言ひて心を言はず。其の千言万語、皆人をして本然の徳に由らしむる所以に非ざる莫きなり。孟子屡々心を言ふと雖も、亦皆仁義の良心を指して言ふ。所謂本心・恒心、是れなり。蓋し聖人は天下の上より道を見、仏者は一身の上より道を見る。天下の上より道を見る、故に天下の同じく然る所の理を見る。徳を貴びて心を貴ばざる所以なり。一身の上より道を見る、心を知りて徳を知らざる所以なり。故に其の学自ら霄壌にして、卒に人倫を離るるに至る。察せざるべけんや。
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