盲安杖 / 第二条・己を顧て己を知るべき事・後半
實に理をこそ知らずとも。己が僻事を辨へずは有るべからず。箇樣の理を聞て。身の上を知らぬにはあらねども。年來習慣し業なれば。今更改め難しと云ふ人あり。實に己が僻事なりと知らば。改め難しとは云べからず。若し我が力に及ばぬ程ならば。佛神に祈誓して心を清むべし。清淨無碍の心を祈らん人を。などか佛神納受し玉はざらんや。世の常の人の祈る事は。欲に欲を重ね愚痴に愚痴を重ぬる祈なり。佛神は此理を戒めて諸經を說ぎ置き玉へば。結句此經を讀み。欲心愚痴を祈る如何にして。佛神これを受け玉はんや。却て罰を蒙るべし。佛神は廣大の慈悲を以て。貪嗔痴の三毒に醉て。苦海に沈む衆生を憐み玉ひ。諸の敎を以て救ひ取り。無比安樂の處に至らしめん爲の御誓なり。憐なるかな此理を辨へず。自ら好て貪欲に迫られ。嗔恚に焚かれ愚痴に暗されて。更に己を知らずして。闇きより闇きに入りて。苦患を受くる事あさましきに非ずや。万事は皆非なり。心を靜めて己を知れ。至人は物に任せて己に任せず。愚人は己に任せて物に任せず。されば己に任する時は。苦樂順逆共に苦なり。物に任する時は。苦樂順逆共に樂なり。古人曰く悟の前の是非は。是非共に是なり。迷の前の是非は。是非共に非なりと云へり。此語に眼をつけてかへす〱己を盡すべし。古語に曰く。聖人に己なし己ならざる所なし
新字:実に理をこそ知らずとも。己が僻事を弁へずは有るべからず。箇様の理を聞て。身の上を知らぬにはあらねども。年来習慣し業なれば。今更改め難しと云ふ人あり。実に己が僻事なりと知らば。改め難しとは云べからず。若し我が力に及ばぬ程ならば。仏神に祈誓して心を清むべし。清浄無碍の心を祈らん人を。などか仏神納受し玉はざらんや。世の常の人の祈る事は。欲に欲を重ね愚痴に愚痴を重ぬる祈なり。仏神は此理を戒めて諸経を説ぎ置き玉へば。結句此経を読み。欲心愚痴を祈る如何にして。仏神これを受け玉はんや。却て罰を蒙るべし。仏神は広大の慈悲を以て。貪嗔痴の三毒に酔て。苦海に沈む衆生を憐み玉ひ。諸の教を以て救ひ取り。無比安楽の処に至らしめん為の御誓なり。憐なるかな此理を弁へず。自ら好て貪欲に迫られ。嗔恚に焚かれ愚痴に暗されて。更に己を知らずして。闇きより闇きに入りて。苦患を受くる事あさましきに非ずや。万事は皆非なり。心を静めて己を知れ。至人は物に任せて己に任せず。愚人は己に任せて物に任せず。されば己に任する時は。苦楽順逆共に苦なり。物に任する時は。苦楽順逆共に楽なり。古人曰く悟の前の是非は。是非共に是なり。迷の前の是非は。是非共に非なりと云へり。此語に眼をつけてかへす〱己を尽すべし。古語に曰く。聖人に己なし己ならざる所なし
書き下し
実に理をこそ知らずとも。己が僻事を弁へずは有るべからず。箇様の理を聞て。身の上を知らぬにはあらねども。年来習慣し業なれば。今更改め難しと云ふ人あり。実に己が僻事なりと知らば。改め難しとは云べからず。若し我が力に及ばぬ程ならば。仏神に祈誓して心を清むべし。清浄無碍の心を祈らん人を。などか仏神納受し玉はざらんや。世の常の人の祈る事は。欲に欲を重ね愚痴に愚痴を重ぬる祈なり。仏神は此理を戒めて諸経を説ぎ置き玉へば。結句此経を読み。欲心愚痴を祈る如何にして。仏神これを受け玉はんや。却て罰を蒙るべし。仏神は広大の慈悲を以て。貪嗔痴の三毒に酔て。苦海に沈む衆生を憐み玉ひ。諸の教を以て救ひ取り。無比安楽の処に至らしめん為の御誓なり。憐なるかな此理を弁へず。自ら好て貪欲に迫られ。嗔恚に焚かれ愚痴に暗されて。更に己を知らずして。闇きより闇きに入りて。苦患を受くる事あさましきに非ずや。万事は皆非なり。心を静めて己を知れ。至人は物に任せて己に任せず。愚人は己に任せて物に任せず。されば己に任する時は。苦楽順逆共に苦なり。物に任する時は。苦楽順逆共に楽なり。古人曰く悟の前の是非は。是非共に是なり。迷の前の是非は。是非共に非なりと云へり。此語に眼をつけてかへす〱己を尽すべし。古語に曰く。聖人に己なし己ならざる所なし
現代語訳
本当に、道理を知らなくても、自分の間違いをわきまえないではあり得ません。このような道理を聞いて、身の上を知らないわけではないけれども、長年の習慣になっている行いなので、今さら改めがたいと言う人がいます。本当に自分の間違いだと知っているなら、改めがたいとは言えないはずです。もし自分の力が及ばないほどなら、仏や神に祈り誓って、心を清めなさい。清らかでさえぎりのない心を祈る人を、どうして仏や神がお受けにならないことがありましょうか。世の常の人が祈ることは、欲に欲を重ね、愚かさに愚かさを重ねる祈りです。仏や神はこの道理を戒めて、さまざまな経を説き置かれたのに、かえってその経を読みながら、欲心や愚かさを祈る。どうして仏や神がそれをお受けになるでしょう。かえって罰を受けるでしょう。仏や神は広大な慈悲によって、貪り・怒り・愚かさの三毒に酔って苦しみの海に沈む衆生を憐れみ、さまざまな教えで救い取り、比べるもののない安楽の境地に至らせようという御誓いなのです。哀れなことに、この道理をわきまえず、自分から好んで貪欲に迫られ、怒りに焼かれ、愚かさに暗まされ、まったく己を知らずに、闇から闇へ入って苦しみを受けるのは、あさましいことではないでしょうか。万事はみな非です。心を静めて己を知りなさい。至人は物に任せて己に任せず、愚人は己に任せて物に任せません。ですから己に任せるときは、苦楽も順逆もみな苦であり、物に任せるときは、苦楽も順逆もみな楽です。古人は言いました。「悟りの前の是非は、是非ともに是である。迷いの前の是非は、是非ともに非である。」この言葉に眼をつけて、くれぐれも己を尽くしなさい。古語に言います。「聖人に己なし、己ならざる所なし。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
盲安杖・第二条・己を顧て己を知るべき事・前半己を顧て己を知れ。仮令学文広くして如何ほど物を知りたりとも。己を知らずは物知りたるに非ず。されば己を知らずして余所を知ることあるべからず。己を更に知らざる人は。愚ある己が心を本として。他を譏り心に適ふを嘉し。温にして従はざるを嗔り。万事に憤り深く。みづから己を苦めて心を悩すことは。偏に己が僻事ある故あり。万人我に適はざるを知らば。我も亦万人の心に適ふまじと知れ。我に僻事なき人は万人を捨ず。万人を捨ざれば万人も亦此人を嫌はず。其故如何と云ふに。誠の人は心温にして正しく。万事に誠ありて情深き故あり。己を知て僻事なきを徳ある人とす。己僻事なる時は苦み絶はず。されば僻事は己が仇なることを慥に知て。二六時中をこたる事なく。顧て慎むべし。世に人多しと雖。己を知る人稀なるべし。人々身の上を知りたりとは思へども。必ず死ずる身を持て。死有ることを忘れて万年の思をなす故に。年月を惜む人なし。然る間だ貪嗔邪偽の心を事として。忠孝の道に反き。仁義を弁へずして諂誑諂曲の心を用ひ。家職を余所にして無益の事を好み。身の僻事を知らずして。他人の是非を説き。我執強くして人を憐む心なく。好む方に貪着し嫌ふ方に疎く。一度は悦び一度は憂ひ。分別みだりにして物に逆ひ。偶道を聞ては人を謀る定規となし。身の上を忘れては。余所を謀るもいかで当らんや。
-
盲安杖・第七条・己を忘て己を守るべき事己を忘て己を忘れざれ。先づ生を貪り利を思ふ時ハ。親子兄弟を忘れて我が身を専とす。亦好む所に従ひてハ。己を忘れて恥をも顧ず。前後の事をも弁へず。身命の亡びん事をも知らず。浅ましき有様多し。かへす〲も己を忘るゝ事なかれ。仁の教に曰く。自を忘れ他を恵ミ。危きを救ひ窮るを助け。情けを先として憐む心有るを仁とすと云へり。然るに愚者ハ己と楽て人を忘るゝ故に。嗔貪邪見の心を専として悪業煩悩を離れず。日夜苦患休む時なし。心を着て守るべし。一心の中に仏あり。一心の中に鬼あり。一心の中に地獄。餓鬼。畜生。修羅。人天あり。経に曰く三界唯一心、心外無別法。心仏及衆生。是三無差別。と説き玉へり。されは此心を戒め善根を勤むる時ハ。仏果に至るなり。亦心を恣にする時ハ。三毒の心增長して三途地獄に落入るなり。たゞ心に従ふべからず。勤めて心を従ゆべし。必ず心の師となるべし。心を師とする事なかれ。心の鬼悪道に誘て入るべし。戒めても猶戒むべきハ心なり。恐れても猶恐るべし。某物語に曰く。人の数多大船おうちのりて大海を渡る時。海上に赤面の鬼額に眼一つ。日輪の如く光り輝ぎ。口ハ耳の根まで切れ。角三つ生て牙かミちがへて。其形云ふべき様なきもの。波の上を歩ミ来て。汝等我より恐しき物を見たりや〱と云ふ。是を見て船中の者ども。皆肝を消し船底に倒れ伏そ。其中に一人の道心者あり。進出て曰く。汝ハ愚なる者かな。汝等百千合せたるよりも恐しきれ。大地獄に我を誘てゆかんとそる我心の鬼あり。汝是を知るや〱と云へは。彼の化物消て失せにけりと云へり。実に身を思ふ心の中に。悪業の鬼あり。一切の苦患あり。八万四千の煩悩あり。拙きかなや。愚闇の我等が心の形を造出さんにれ。如何様の形なるべきや。早く万事を打捨て身を思ハぬ身と成るべし。歌に身を思ふ心ぞ身をは苦しむる身を思ハねは身こそ安けれ。又燃へ出る嗔恚のほむら消ゑやらで我と引けん火の車哉
-
万民徳用・武士日用・答その二後半二、遊山活計観楽の心。三、義理をしらざる心。四、因果の理をしらざる心。五、無常幻化をしらざる心。六、名聞利養を思ふ心。七、花美奢心。八、狐疑不信の心。九、物にすき好む一切着の心。十、怯弱にして勇のなき心。十一、慳貪無慈悲の心。十二、他の是非を思ふ心。十三、我執自慢の心。十四、愛念嫉妬の心。十五、恩をしらざる心。十六、諂証諂曲の心。十七、生死を忘るゝ心。又喜怒憂思悲恐驚の七情あり。此の七情より万病発るといへり。如此の心は、黒闇の中より出る心にして、品々限なしといへども、右の旨を以て察すべし、唯是れ執着を体として出るが故に、念々に発るに随て、其念に負て本心を失ひ、苦悩して沈む心也。此の沈む心に住する時、忽ち出て死せよといは、苦患強かるへし。去れは己に勝つを賢とし、己か心に負てなやむを愚とす。己か心に勝ち得る時は、万事に勝ちて、物の上と成て自由なり。己か心に負くる時は、万事に負て物の下と成て、うかふ事あたはす。心に心を着けて、強く守るへし。「心こそ心まとはす心なれ心に心こゝろゆるすな。」此の歌尤も至極せり。心を恣にする時は、着相の念增長して、三途に落入るなり。心を殺し得る時は、直に仏果に至るなり。古語に殺生せよ殺生せよ、刹那も殺生せざれは、地獄に入ると矢のごとし。如此の語に眼を着くへし。正法念経に、智者常懐憂。如似獄中囚。愚者常歓楽。猶如光音天。仏説如此、先賢の用心皆以て猶疎なるべからす。一大事といふ事を能くしるべし。何ぞ夢幻の此の身を愛楽して、泥犂に沈みはてんや。時々に心を改むへし。我心面にあらはれいでんには、人中に交りかたかるへし。偏に慚愧の心強くして、正直の旨に住し、離相離名の大願力を発し、一切を放下して、勇猛精進の信力を以て身命を捨て、切に急に無上の道にすゝむへし。此の心昼夜閒断なく、通身堅固に夢中ともに守て、久々に純熟せは、自然に内外打成一片と成て、忽然として大夢さめて、仏法世法共に成就して、竪窮三際横亙十方へし。
-
盲安杖・第三条・物毎に他の心に至るべき事・後半わづかの身命を助くると雖。食物乏くして憂強し。年貢借物不足して妻子を売り。生きながら別れて遠国に趣き。其悲と思ひやるべし。亦世に零落たる人妻子を育ゑかね。望々深く諂ふを見て。賤む事有べからず。其人に成て見よ。亦非人乞食飢寒の憂ひに苦々。野山に伏し一生を送る有様。不便なるに非ずや。亦幼者の科なき心を能受べし。彼を嚇し痛む事有べからず。哀む心則ち身心衰へ病ひと成と云へり。温しき者の病も七情より起るとなり。されば鳥獣を籠に入れ。繋ぎ苦めて目を悦ばすこと。彼が心を知らざる故なり。野山を思ふ憂ひ切なるべし。心ある人是を憐まざらんや。亦殺生を好むこと仁の心なき故なり。短命は殺生より来ると云へり。我命のをしきを知ば。小き虫より至る迄心を止めて見よ。子を思ひ夫婦をねたみ。命と惜むこと偏に愚痴なれば。人間よりも優りて甚しかるべし。賢聖の教を受けて道理を知り。常に修し行する人間さへ。我執強く命を惜むこと限なし。況や愚痴一偏の畜類に於てをや。顧みずは有るべからず。惣じて人の憂を知れ。万物隔たると雖。本来の心は一なり。何れを自他と云はんや。愚人の前にては人我の隔あり。聖人の前にては自他の差別なし。さる程に誠の人は情を先として憐深し。釈尊は三界の衆生を一子の如く憐み玉ふなり。かたゞけなきに非ずや。一如の水流れて万波と分る。仮令は天上の一月万水に移るが如く。人々の性亦是に異らず。されば賤むべき物もなく。隔つべき物もなし。一切衆生悉有仏性の理を悟るべし。歌に庭より生ふちり〱草の露までも影をほそめて宿る月かな
-
盲安杖・第五条・分限を見分て其性々を知るべき事・後半物云ふ度に非を顕はし。情を知らぬを見目として人を過ち身を害なひ。科なき人に怨みを成し。異見をすれは腹を立て。面に賢と顕はして人の為と思はず。惣じて其性々一様に非ず。箇様の見分け叶はずして。下々の人をも上々の人に競て批判し。或は人の僻事に我が心を乱して惑ふ。是皆な分限を見分けざる故なり。譬へは碁将棋の上手下手其位定りたり。人々の分別も何ぞ是に異らんや。人の僻事を憎まんならば。碁将棋の下手悪き手遣するを僻事なりと憎まんや。是を以て知るべし。何れの人も行ひ悪くせんとは有らねども。心たらずして我が身をも亡すなり。譬へは貧き人の過分のふるまひ適はざるが如し。されは己の分限より上の働らき成るべからず。兎角心の至らざる故と心得て。結句憐む心あるべし。己れ温なる時は浮世に悪き人なし。己れ僻事ある時は悪き人世に多し。歌に我がよきに人のわるきか有らばこそ人のわるきは我がわるきなり。此歌心の鏡なるべし。斯く云ふとて科を免せとには非ず。慈悲を以て法を正し科を改めよとなり。畜類の上にも見よ馬は馬牛は牛。鳥は鳥夫々の働きあり。非情草木も亦同じ麻はおのづから直く。蓬はおのづから出れり。薬とある草もあり毒となる草もあり。是何れの所より分れたるにか。天地の恵みは変らねども。夫々の差別有り。何れを是とし何れを非とか成さん。誠に万物一体なる事を知べし。歌に春雨のわきてそれとはふらねども受くる草木はおのが色々柳は緑り花は紅る
-
二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、心狭く局(かぎ)りては、真の道理を見る事能(あた)はざる物なり。夫(そ)れ世界は広し、故に心をば広く持つべし。されども其の広き世界も己(おのれ)と云ひ、我と云ふ私物(しぶつ)を一つ中に置きて見る時は、世界の道理は其の己に隔てられて、其の見る所は皆半(なかば)になるなり。己と云ふ物にて半分を見る時は、借りたる者は返さぬ方が都合よく、人の物を盗むは尤(もっと)も都合よかるべけれど、此隔てなる己と云ふ物を取り捨て、広く見る時は、借りたる物は返さねばならぬと云ふ道理が明らかに見え、盗むと云ふ事は悪事なる事も明らかに分るなり。故に此己と云ふ私物を取り捨るの工夫が専一(せんいつ)なり、儒も仏も此取捨方(とりすてかた)を教ふるを専一とす。論語に己に克ちて礼に復(かえ)れと教へたるも、仏にては見性(けんしょう)といひ、悟道(ごどう)といひ、転迷(てんめい)と云ふ、皆此私を取り捨るの修行なり。此私の一物を取捨る時は、万物不生不滅不増不滅の道理も又明かに見ゆるなり。此(かく)の如く明白なる世界なれども、此己を中間(ちゅうかん)に置きて彼と是とを隔つる時は、直(す)ぐ其座に得失損益増減生滅等の種々無量の境界(きょうがい)現出するなり、恐るべし。然れど是又是非無き次第なり、其は豆の艸(くさ)になる時は、豆の実を見る事能はず、豆の実になる時は豆の草は出来ざる世界なる故に、万物の霊なる人といへども免れ難きなり。此免れ難きを免るゝを悟といひ、免れざるを迷と云ふなり。予が戯(たわむ)れに詠める歌に「穀物の夫食(ふじき)となるも味も香も、草より出でゝ艸になるまで」「百艸(ひゃくそう)の根も葉も枝も花も実も、種より出でゝ種になるまで」此理(このことわり)を見るの一つのみ、呵々(かか)。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る