名将言行録 / 『名将言行録』眞田幸村 出丸を守り抜く
○此役、幸村天王寺口の出丸を守る。前田利常の軍之を攻ること甚だ急なり。士卒勇みて突出んと請へども、幸村制して許さず、門を閉ぢ柱に倚て默然として睡るが如くして居たりしが、前田勢既に乘入らんとするに及びて、幸村大に呼びて、士卒を勵し、敵を鏖にして、武夫の名を爲すば、此の一擧にあるぞとて、弓銃齊しく放て鎗刀共に撃しむ。前田勢死傷千餘に及べり、幸村僅の出丸に在りて、敵を四方に受けながら恐るゝ色なし、是より敵漫に攻めざりしとぞ。眞田隱岐守信尹は、幸村が叔父なり、家康の内意を以て、幸村が方に來り申様は、其方こと軍慮他に越ゆ、其聞え天下に憚りなし、何卒秀頼公を迯り謀り申されなば、信濃國にて三萬石申下して得さすべし、此旨如何にとなりければ、幸村先以て一族の好め忝く存ずるなり、然れども、某事去る慶長五年に御敵と相成り、其後落魄して高野山に登り、一僕の情に依て露命を繋ぎ罷在候、然るを秀頼公より召出され領知とては賜はらざれども、過分の人を預り、持口を請取り、大將の號を許さるゝこと、知行よりも有り難し、然らば、約を變じ御味方にはえこそ參られじと申ければ、信尹、兎角武士は議を以て立てり、約を變ずるは人倫にあらず、然れども、我も斯ることを申て、其方を御方に入るゝは、又我忠なりと言て立歸り、其旨を申ければ、家康去りとては惜しき士、何卒命を助け度く思ふ上の了簡なり、重ねて參り、信濃一國を宛行はん間、味方に參る間敷や尋ね參れとの命を蒙り、信尹再び幸村に對面し、右の通を述べければ、幸村之を承はり、偖々有り難き仰せ哉、我等如き不肖の士に一國を賜はらんとや、生前の面目言語に絶したり。
新字:○此役、幸村天王寺口の出丸を守る。前田利常の軍之を攻ること甚だ急なり。士卒勇みて突出んと請へども、幸村制して許さず、門を閉ぢ柱に倚て黙然として睡るが如くして居たりしが、前田勢既に乗入らんとするに及びて、幸村大に呼びて、士卒を励し、敵を鏖にして、武夫の名を為すば、此の一挙にあるぞとて、弓銃斉しく放て鎗刀共に撃しむ。前田勢死傷千余に及べり、幸村僅の出丸に在りて、敵を四方に受けながら恐るゝ色なし、是より敵漫に攻めざりしとぞ。真田隠岐守信尹は、幸村が叔父なり、家康の内意を以て、幸村が方に来り申様は、其方こと軍慮他に越ゆ、其聞え天下に憚りなし、何卒秀頼公を迯り謀り申されなば、信濃国にて三万石申下して得さすべし、此旨如何にとなりければ、幸村先以て一族の好め忝く存ずるなり、然れども、某事去る慶長五年に御敵と相成り、其後落魄して高野山に登り、一僕の情に依て露命を繋ぎ罷在候、然るを秀頼公より召出され領知とては賜はらざれども、過分の人を預り、持口を請取り、大将の号を許さるゝこと、知行よりも有り難し、然らば、約を変じ御味方にはえこそ参られじと申ければ、信尹、兎角武士は議を以て立てり、約を変ずるは人倫にあらず、然れども、我も斯ることを申て、其方を御方に入るゝは、又我忠なりと言て立帰り、其旨を申ければ、家康去りとては惜しき士、何卒命を助け度く思ふ上の了簡なり、重ねて参り、信濃一国を宛行はん間、味方に参る間敷や尋ね参れとの命を蒙り、信尹再び幸村に対面し、右の通を述べければ、幸村之を承はり、偖々有り難き仰せ哉、我等如き不肖の士に一国を賜はらんとや、生前の面目言語に絶したり。
書き下し
○此役、幸村天王寺口の出丸を守る。前田利常の軍之を攻ること甚だ急なり。士卒勇みて突出んと請へども、幸村制して許さず、門を閉ぢ柱に倚て默然として睡るが如くして居たりしが、前田勢既に乘入らんとするに及びて、幸村大に呼びて、士卒を勵し、敵を鏖にして、武夫の名を爲すば、此の一擧にあるぞとて、弓銃齊しく放て鎗刀共に撃しむ。前田勢死傷千餘に及べり、幸村僅の出丸に在りて、敵を四方に受けながら恐るゝ色なし、是より敵漫に攻めざりしとぞ。眞田隱岐守信尹は、幸村が叔父なり、家康の内意を以て、幸村が方に來り申様は、其方こと軍慮他に越ゆ、其聞え天下に憚りなし、何卒秀頼公を迯り謀り申されなば、信濃國にて三萬石申下して得さすべし、此旨如何にとなりければ、幸村先以て一族の好め忝く存ずるなり、然れども、某事去る慶長五年に御敵と相成り、其後落魄して高野山に登り、一僕の情に依て露命を繋ぎ罷在候、然るを秀頼公より召出され領知とては賜はらざれども、過分の人を預り、持口を請取り、大將の號を許さるゝこと、知行よりも有り難し、然らば、約を變じ御味方にはえこそ參られじと申ければ、信尹、兎角武士は議を以て立てり、約を變ずるは人倫にあらず、然れども、我も斯ることを申て、其方を御方に入るゝは、又我忠なりと言て立歸り、其旨を申ければ、家康去りとては惜しき士、何卒命を助け度く思ふ上の了簡なり、重ねて參り、信濃一國を宛行はん間、味方に參る間敷や尋ね參れとの命を蒙り、信尹再び幸村に對面し、右の通を述べければ、幸村之を承はり、偖々有り難き仰せ哉、我等如き不肖の士に一國を賜はらんとや、生前の面目言語に絶したり。
現代語訳
この戦で、幸村は天王寺口の出丸を守りました。前田利常の軍がこれを激しく攻めました。士卒は勇んで突き出ようと請いましたが、幸村は制して許さず、門を閉じ、柱に寄りかかって、黙って眠るようにしていましたが、前田勢がすでに乗り入ろうとする時に及んで、幸村は大声で呼びかけ、士卒を励まし、敵を皆殺しにして武士の名を立てるのは、この一挙にあるぞ、と弓と鉄砲を一斉に放たせ、槍や刀で共に撃たせました。前田勢の死傷は千人余りに及びました。幸村はわずかな出丸にいて、敵を四方に受けながら恐れる色もありませんでした。これより敵はみだりに攻めなくなったということです。真田隠岐守信尹は、幸村の叔父ですが、家康の内意を受けて、幸村のもとに来て言いました。そなたの軍略は他に越えている。その評判は天下に隠れもない。どうか秀頼公を謀り退けてくれるならば、信濃国で三万石を与えよう。この件はどうか、と。幸村は、まず一族のお心遣い、かたじけなく存じます、しかし私は、去る慶長五年に御敵となり、その後落ちぶれて高野山に登り、一人の下僕の情によって露命をつないでおりました。それを秀頼公に召し出され、領地は賜りませんでしたが、分に過ぎた人数を預かり、持ち場を受け取り、大将の称号を許されたことは、知行よりありがたいのです。それならば、約束を変えて御味方に参ることはできますまい、と言いました。信尹は、ともかく武士は義によって立つもの、約束を変えるのは人倫ではない。しかし私もこのように申して、そなたを味方に入れるのは、また私の忠である、と言って帰り、その旨を申し上げたところ、家康は、そうは言っても惜しい士だ、何とか命を助けたく思う上の考えである、重ねて行って、信濃一国を与えるから味方に来ないかと尋ねてまいれ、との命を受け、信尹は再び幸村に対面して、右の通りを述べました。幸村はこれを聞き、なんとありがたい仰せよ、我ら如き不肖の士に一国を賜ろうとは、生前の面目は言葉に絶します、
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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論語・憲問篇子曰く、『詐を逆(むか)えず、不信を億(はか)らず。抑も亦た先覚なる者、是れ賢か。』
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