名将言行録 / 『名将言行録』藤堂高虎 妻と家臣と食への心
○高虎、近臣と倫理を論じ、語て曰く、人或は其妻を疎んず、去るべきの理あらば則ち去らんのみ、然らずんば、宜しく睦じくすべし、夫身を委し我に頼り、共に甘苦を同うす、乞丐たりと雖も、相從つて離れず、其情義の重き、豈に愛憐せざるべけんや、故に妻に薄き者恐くは薄からざる所なし、以て侍みと爲すに足らず、況や骨肉に不孝、不友なるをや。高虎話に依り、人を敎ふる斯の如し、聞く者感悅せざるはなし。嘗て諸老臣を諭して曰く、凡そ臣僕を使ふに、祿のみを以てせば、人未だ必ず深く感戴せず、夫祿仕する者、固より當に受くべき所のみ、故に人を使ふに必ず情を以てす、人生意氣に感ず、義是に於てか合し、命を棄て以て恩に酬ゆ、此にあらざれば致すなし、苟くも情を以てせずんば、則ち祿亦徒らに損るのみ、又毎に左右に語て曰く、人食を以て天と爲し、朝夕膳に臨む、或は忤ふ所あるも、愼み輙く怒ること勿れ、口腹を以て人を責める、鄙俗尤も甚し、夫盤中の粒々は皆農民の辛苦血汗を滴らして、以て耕作し、我が命を續ぐの祿を爲せり、豈敬せざるべけんやと、平昔燕間の談往々訓を後世に垂ること率ね是類なり。
新字:○高虎、近臣と倫理を論じ、語て曰く、人或は其妻を疎んず、去るべきの理あらば則ち去らんのみ、然らずんば、宜しく睦じくすべし、夫身を委し我に頼り、共に甘苦を同うす、乞丐たりと雖も、相従つて離れず、其情義の重き、豈に愛憐せざるべけんや、故に妻に薄き者恐くは薄からざる所なし、以て侍みと為すに足らず、況や骨肉に不孝、不友なるをや。高虎話に依り、人を教ふる斯の如し、聞く者感悦せざるはなし。嘗て諸老臣を諭して曰く、凡そ臣僕を使ふに、禄のみを以てせば、人未だ必ず深く感戴せず、夫禄仕する者、固より当に受くべき所のみ、故に人を使ふに必ず情を以てす、人生意気に感ず、義是に於てか合し、命を棄て以て恩に酬ゆ、此にあらざれば致すなし、苟くも情を以てせずんば、則ち禄亦徒らに損るのみ、又毎に左右に語て曰く、人食を以て天と為し、朝夕膳に臨む、或は忤ふ所あるも、慎み輙く怒ること勿れ、口腹を以て人を責める、鄙俗尤も甚し、夫盤中の粒々は皆農民の辛苦血汗を滴らして、以て耕作し、我が命を続ぐの禄を為せり、豈敬せざるべけんやと、平昔燕間の談往々訓を後世に垂ること率ね是類なり。
書き下し
○高虎、近臣と倫理を論じ、語て曰く、人或は其妻を疎んず、去るべきの理あらば則ち去らんのみ、然らずんば、宜しく睦じくすべし、夫身を委し我に頼り、共に甘苦を同うす、乞丐たりと雖も、相從つて離れず、其情義の重き、豈に愛憐せざるべけんや、故に妻に薄き者恐くは薄からざる所なし、以て侍みと爲すに足らず、況や骨肉に不孝、不友なるをや。高虎話に依り、人を敎ふる斯の如し、聞く者感悅せざるはなし。嘗て諸老臣を諭して曰く、凡そ臣僕を使ふに、祿のみを以てせば、人未だ必ず深く感戴せず、夫祿仕する者、固より當に受くべき所のみ、故に人を使ふに必ず情を以てす、人生意氣に感ず、義是に於てか合し、命を棄て以て恩に酬ゆ、此にあらざれば致すなし、苟くも情を以てせずんば、則ち祿亦徒らに損るのみ、又毎に左右に語て曰く、人食を以て天と爲し、朝夕膳に臨む、或は忤ふ所あるも、愼み輙く怒ること勿れ、口腹を以て人を責める、鄙俗尤も甚し、夫盤中の粒々は皆農民の辛苦血汗を滴らして、以て耕作し、我が命を續ぐの祿を爲せり、豈敬せざるべけんやと、平昔燕間の談往々訓を後世に垂ること率ね是類なり。
現代語訳
○高虎は近臣と倫理を論じ、語って言いました。人はときに自分の妻を疎んじる。去らせるべき理由があるなら去らせればよい。そうでないなら、むつまじくすべきである。妻は身をゆだねて私に頼り、共に苦楽を分かち合い、乞食になったとしても従って離れない。その情義の重さを思えば、どうして愛しみ憐れまずにおれようか。だから、妻に薄情な者は、薄情でない所はないであろう。頼みとするには足りない。まして肉親に不孝で不友愛な者はなおさらである、と。高虎は話にことよせて人を教えることがこのようであり、聞く者で感じ入らない者はいませんでした。かつて老臣たちを諭して言いました。およそ家臣を使うのに、禄だけで使えば、人は必ずしも深く恩に感じない。そもそも禄を受けて仕える者は、もとより受けるべきものを受けているにすぎない。だから人を使うには必ず情をもってする。人は意気に感ずる。義はここで合い、命を捨ててまで恩に報いる。これでなければ得られない。もし情をもってしなければ、禄もまたむなしく損なうだけである。またいつも側近に語って言いました。人は食を天とし、朝夕の膳に向かう。あるいは気に入らないことがあっても、慎んで、軽々しく怒ってはならない。口腹のことで人を責めるのは、卑しくて最もひどい。そもそも盆の中の粒々は、みな農民が辛苦して血と汗を滴らせて耕作し、私たちの命をつなぐ禄としたものである。どうして敬わずにいられようか、と。平生のくつろいだ席の談話が、往々にして後世に教えを垂れることは、おおむねこのようなものでした。
解説

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