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名将言行録 / 『名将言行録』藤堂高虎 私怨を捨てた推挙

○寬永四年正月、蒲生下野守忠鄕卒し嗣なく、國除せらる。家光誰にか若松城を預けんとて、宿老耆舊の輩を召して會議ありしに、高虎一人進出でゝ、當時誰彼れと申さんより、加藤左馬助に若く者候べしとも思はず、彼は幼きより豐臣家に仕へ、賤ヶ嶽七本鎗の一人、其後關ヶ原に當家へ志を運び、大阪にも其心を翻さず、究めて律義者に候へば、如何様なる要地を委任し給ふとも、御心安かるべく候と申す。家光聞て、嘗て足下と嘉明と不和なりと聞く、然るに今能く私怨を棄て以て公忠を盡さる。何ぞ其義に篤きやと言はれて敷稱せらる。是に於て嘉明、會津四十萬石に倍封せらろ、即日嘉明來り、高虎を見て曰く、竊かに今日のことを聞くに、辱く貴殿の推擧を蒙れり、僕頑愚朝鮮にて功を爭しより、交りを絶つこと久し、貴殿則ち國の爲めに私を忘れ、恩を以て怨に報いらる。感悔慙愧惜く所を知らず、故に特に來り謝す、願くは舊惡を棄られなば、何の幸か之に若んと。高虎曰く、幕府明鑒妙遷、抑々亦貴殿の福なり、僕何ぞ與らん、但し憾を釋き好を修むること固より願ふ所なりと。嘉明大に喜び、盟を結び盃酒款洽歡を盡して歸れり。初め家光の西丸に在るや、屢々召して咨詢せり、高虎亦心を傾け輔翼す、賜書を閲するに、率ね諫疏に報謝せらゝものなり。蓋し獻賛する所多しと云ふ、故に嗣立せらるゝに及びて、大事決し難きことあれば、輙ち召して之を問はる。但是擧のみにあらず。

新字:○寛永四年正月、蒲生下野守忠郷卒し嗣なく、国除せらる。家光誰にか若松城を預けんとて、宿老耆旧の輩を召して会議ありしに、高虎一人進出でゝ、当時誰彼れと申さんより、加藤左馬助に若く者候べしとも思はず、彼は幼きより豊臣家に仕へ、賤ヶ嶽七本鎗の一人、其後関ヶ原に当家へ志を運び、大阪にも其心を翻さず、究めて律義者に候へば、如何様なる要地を委任し給ふとも、御心安かるべく候と申す。家光聞て、嘗て足下と嘉明と不和なりと聞く、然るに今能く私怨を棄て以て公忠を尽さる。何ぞ其義に篤きやと言はれて敷称せらる。是に於て嘉明、会津四十万石に倍封せらろ、即日嘉明来り、高虎を見て曰く、窃かに今日のことを聞くに、辱く貴殿の推挙を蒙れり、僕頑愚朝鮮にて功を争しより、交りを絶つこと久し、貴殿則ち国の為めに私を忘れ、恩を以て怨に報いらる。感悔慚愧惜く所を知らず、故に特に来り謝す、願くは旧悪を棄られなば、何の幸か之に若んと。高虎曰く、幕府明鑒妙遷、抑々亦貴殿の福なり、僕何ぞ与らん、但し憾を釈き好を修むること固より願ふ所なりと。嘉明大に喜び、盟を結び盃酒款洽歓を尽して帰れり。初め家光の西丸に在るや、屡々召して咨詢せり、高虎亦心を傾け輔翼す、賜書を閲するに、率ね諫疏に報謝せらゝものなり。蓋し献賛する所多しと云ふ、故に嗣立せらるゝに及びて、大事決し難きことあれば、輙ち召して之を問はる。但是挙のみにあらず。

書き下し

○寬永四年正月、蒲生下野守忠鄕卒し嗣なく、國除せらる。家光誰にか若松城を預けんとて、宿老耆舊の輩を召して會議ありしに、高虎一人進出でゝ、當時誰彼れと申さんより、加藤左馬助に若く者候べしとも思はず、彼は幼きより豐臣家に仕へ、賤ヶ嶽七本鎗の一人、其後關ヶ原に當家へ志を運び、大阪にも其心を翻さず、究めて律義者に候へば、如何様なる要地を委任し給ふとも、御心安かるべく候と申す。家光聞て、嘗て足下と嘉明と不和なりと聞く、然るに今能く私怨を棄て以て公忠を盡さる。何ぞ其義に篤きやと言はれて敷稱せらる。是に於て嘉明、會津四十萬石に倍封せらろ、即日嘉明來り、高虎を見て曰く、竊かに今日のことを聞くに、辱く貴殿の推擧を蒙れり、僕頑愚朝鮮にて功を爭しより、交りを絶つこと久し、貴殿則ち國の爲めに私を忘れ、恩を以て怨に報いらる。感悔慙愧惜く所を知らず、故に特に來り謝す、願くは舊惡を棄られなば、何の幸か之に若んと。高虎曰く、幕府明鑒妙遷、抑々亦貴殿の福なり、僕何ぞ與らん、但し憾を釋き好を修むること固より願ふ所なりと。嘉明大に喜び、盟を結び盃酒款洽歡を盡して歸れり。初め家光の西丸に在るや、屢々召して咨詢せり、高虎亦心を傾け輔翼す、賜書を閲するに、率ね諫疏に報謝せらゝものなり。蓋し獻賛する所多しと云ふ、故に嗣立せらるゝに及びて、大事決し難きことあれば、輙ち召して之を問はる。但是擧のみにあらず。

現代語訳

○寛永四年正月、蒲生下野守忠郷が亡くなり、跡継ぎがなく、国が取り上げられました。家光は誰に若松城を預けようかと、宿老や古老の人々を召して会議を開きました。そのとき高虎一人が進み出て、今、誰彼と申すより、加藤左馬助に及ぶ者がいるとは思えません。彼は幼いときから豊臣家に仕え、賤ヶ岳の七本鎗の一人で、その後関ヶ原では当家に志を寄せ、大坂でもその心を変えませんでした。きわめて律儀な者ですから、どのような要地を任せられても、お心安くいられましょうと申しました。家光はそれを聞いて、かつて足下と嘉明は不和だと聞いている。それなのに今、よく私怨を捨てて公への忠を尽くされた。なんと義に厚いことか、と言われ、ほめられました。こうして嘉明は会津四十万石に倍増して封じられました。その日のうちに嘉明が来て高虎に会い、ひそかに今日のことを聞くと、恐れ多くも貴殿の推挙を受けたとのこと。私は頑固で愚かで、朝鮮で功を争って以来、交わりを絶つこと久しかった。貴殿は国のために私情を忘れ、恩をもって怨みに報いられた。感謝と恥じ入る気持ちは言いようもなく、特にお礼に参りました。どうか旧悪をお捨てくださるなら、これ以上の幸いはありません、と言いました。高虎は、幕府の聡明な見識で決められたことで、貴殿の福です、私が何をしたでしょうか。ただ、わだかまりを解き、好を結び直すことはもとより願うところです、と言いました。嘉明は大いに喜び、盟約を結び、酒を酌み交わして十分に楽しんで帰りました。初め家光が西の丸にいたとき、しばしば高虎を召して意見を聞き、高虎も心を傾けて補佐しました。賜った書状を見ると、おおむね高虎の諫言に感謝するものでした。思うに、献言が多かったのでしょう。そのため家光が将軍の座を継いでからも、大事で決めにくいことがあるときは、そのつど召して尋ねられました。ただこの一件だけではありません。

解説

仲の悪かった加藤嘉明を、高虎が会津の後任として推挙したという有名な逸話です。家光はその無私を称え、嘉明も恩を感じて二人は和解したと語られます。次の評で菊池寛は、これを私怨を忘れた美挙とのみ見ない読みも示しており、この逸話は読み方が分かれる点に価値があります。私情を超えて適任者を挙げる姿勢は、人事の原則として明快です。一方で、推挙の裏に自分の利害があったのではと疑う見方もまた、組織を見る目として有益です。立派な行為を美談で終えず、動機も含めて眺める習慣を考えさせます。
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この章句が説くこと

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