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名将言行録 / 『名将言行録』加藤清正 評・朝鮮出兵の武功

小田原征伐の時も、從軍しなかつたから、國内戰ではたいした武功はないのである。たゞ、肥後の殘り半國を領してゐた小西行長の一揆退治に加勢して、天草島の猛將木山彈正を十文字槍でかけ倒した位である。この時、十文字槍が折れて、片鎌槍になつたと云ひ、いな最初から、片鎌槍であつたと云ふ兩說である。が、後說が正しい、のであつて、十文字槍が折れたとしても、十文字槍が便利だと思へば、代品はいくらでもあるのだから、折れた槍をそのまゝ片鎌槍で使ふなんて、そんな馬鹿な話はあるわけはない。ことに、折れるやうな槍は、そのまゝ捨てるのが常識である。 清正の武功は、主として朝鮮出兵の時に、立てられたものである。會寧府で、兩王子を擒にして、しかもこれを優遇して、日本武將の襟度を見せたり、蔚山籠城で、頑張つて遂に明軍を擊退して、日本の武威を輝してゐる。 然し、明や朝鮮で清正のことを鬼上官と、云つたなどと云ふのは、怪しいのであつて、日本では鬼は怖しいものになつてゐるが、支那では鬼は幽鬼のことで、鬼と云ふことは、武將の武勇を現はす言葉ではないからである。 清正が、秀頼守護に相當忠實であつたことは事實であり、清正在世中は、家康が大阪城に手を着けなかつたのも、清正を憚つたものと考へられるが、しかし清正が爾後二三十年生きてゐたとしても、豐家の命脈が、續いたかどうかは疑問である。

新字:小田原征伐の時も、従軍しなかつたから、国内戦ではたいした武功はないのである。たゞ、肥後の残り半国を領してゐた小西行長の一揆退治に加勢して、天草島の猛将木山弾正を十文字槍でかけ倒した位である。この時、十文字槍が折れて、片鎌槍になつたと云ひ、いな最初から、片鎌槍であつたと云ふ両説である。が、後説が正しい、のであつて、十文字槍が折れたとしても、十文字槍が便利だと思へば、代品はいくらでもあるのだから、折れた槍をそのまゝ片鎌槍で使ふなんて、そんな馬鹿な話はあるわけはない。ことに、折れるやうな槍は、そのまゝ捨てるのが常識である。 清正の武功は、主として朝鮮出兵の時に、立てられたものである。会寧府で、両王子を擒にして、しかもこれを優遇して、日本武将の襟度を見せたり、蔚山籠城で、頑張つて遂に明軍を撃退して、日本の武威を輝してゐる。 然し、明や朝鮮で清正のことを鬼上官と、云つたなどと云ふのは、怪しいのであつて、日本では鬼は怖しいものになつてゐるが、支那では鬼は幽鬼のことで、鬼と云ふことは、武将の武勇を現はす言葉ではないからである。 清正が、秀頼守護に相当忠実であつたことは事実であり、清正在世中は、家康が大阪城に手を着けなかつたのも、清正を憚つたものと考へられるが、しかし清正が爾後二三十年生きてゐたとしても、豊家の命脈が、続いたかどうかは疑問である。

書き下し

小田原征伐の時も、從軍しなかつたから、國内戰ではたいした武功はないのである。たゞ、肥後の殘り半國を領してゐた小西行長の一揆退治に加勢して、天草島の猛將木山彈正を十文字槍でかけ倒した位である。この時、十文字槍が折れて、片鎌槍になつたと云ひ、いな最初から、片鎌槍であつたと云ふ兩說である。が、後說が正しい、のであつて、十文字槍が折れたとしても、十文字槍が便利だと思へば、代品はいくらでもあるのだから、折れた槍をそのまゝ片鎌槍で使ふなんて、そんな馬鹿な話はあるわけはない。ことに、折れるやうな槍は、そのまゝ捨てるのが常識である。 清正の武功は、主として朝鮮出兵の時に、立てられたものである。會寧府で、兩王子を擒にして、しかもこれを優遇して、日本武將の襟度を見せたり、蔚山籠城で、頑張つて遂に明軍を擊退して、日本の武威を輝してゐる。 然し、明や朝鮮で清正のことを鬼上官と、云つたなどと云ふのは、怪しいのであつて、日本では鬼は怖しいものになつてゐるが、支那では鬼は幽鬼のことで、鬼と云ふことは、武將の武勇を現はす言葉ではないからである。 清正が、秀頼守護に相當忠實であつたことは事實であり、清正在世中は、家康が大阪城に手を着けなかつたのも、清正を憚つたものと考へられるが、しかし清正が爾後二三十年生きてゐたとしても、豐家の命脈が、續いたかどうかは疑問である。

現代語訳

小田原征伐の時も、従軍しなかったから、国内戦ではたいした武功はないのである。ただ、肥後の残り半国を領していた小西行長の一揆退治に加勢して、天草島の猛将木山弾正を十文字槍でかけ倒したくらいである。この時、十文字槍が折れて片鎌槍になったと言い、いや最初から片鎌槍であったと言う両説がある。が、後説が正しいのであって、十文字槍が折れたとしても、十文字槍が便利だと思えば代品はいくらでもあるのだから、折れた槍をそのまま片鎌槍で使うなんて、そんな馬鹿な話があるわけはない。ことに、折れるような槍は、そのまま捨てるのが常識である。 清正の武功は、主として朝鮮出兵の時に立てられたものである。会寧府で両王子を擒にして、しかもこれを優遇して、日本武将の襟度を見せたり、蔚山籠城で頑張って遂に明軍を撃退して、日本の武威を輝かせている。 しかし、明や朝鮮で清正のことを鬼上官と言ったなどというのは怪しいのであって、日本では鬼は恐ろしいものになっているが、中国では鬼は幽鬼のことで、鬼ということは武将の武勇を表す言葉ではないからである。 清正が、秀頼守護にかなり忠実であったことは事実であり、清正在世中は、家康が大坂城に手を着けなかったのも、清正を憚ったものと考えられるが、しかし、清正がその後二三十年生きていたとしても、豊家の命脈が続いたかどうかは疑問である。

解説

菊池寛は評で、清正の武功は国内戦にはあまりなく、朝鮮出兵で立てたものだと見ます。槍が折れた話には常識から疑問を示し、明や朝鮮で鬼上官と呼ばれたという話も、鬼の意味の違いから怪しいと退けます。一方、両王子を優遇した点や蔚山籠城は評価します。逸話を事実に照らして検証する姿勢は、勝者の英雄譚をそのまま信じないという意味で、現代の読み手にも参考になります。戦時下の作家の見解である点には留意が必要です。
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この章句が説くこと

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