古典を学びたいすべての人に 法人向けワークシート法人向けワークシート

名将言行録 / 『名将言行録』可兒吉長 年寄っても人による

○吉長は隱れなき覺の者にて、篠の指物せし故、世に篠の才藏と曰はれたり、廣島に在りし時、若士共集まり、語つて曰く、何程の覺の者も、老衰してはなるべからず。心こそ猛くとも、若年とは違はめと。吉長聞て、年寄ても人に寄るべしと言ふ。若士曰く、何程剛の者にても、足手弱くして叶ふべからずと。吉長聞て、否々人に寄るべしと言たり。吉長老年まで甲冑兵仗を帶し、馬に乘り走り廻はるに、若士にも越えたり、少年より愛宕を信仰して、常々我は愛宕の緣日に死なんと語りしが、果して六月二十四日、身を清め、物具して長刀を持ち、床几に腰を掛けながら息絶えたり。遺言にて、廣島矢賀に葬る。銘に曰く、尾州羽黑郡住人、可兒才藏吉長と書付けたり。往來の人、心あるは墓前にて馬より下りしとぞ。

新字:○吉長は隠れなき覚の者にて、篠の指物せし故、世に篠の才蔵と曰はれたり、広島に在りし時、若士共集まり、語つて曰く、何程の覚の者も、老衰してはなるべからず。心こそ猛くとも、若年とは違はめと。吉長聞て、年寄ても人に寄るべしと言ふ。若士曰く、何程剛の者にても、足手弱くして叶ふべからずと。吉長聞て、否々人に寄るべしと言たり。吉長老年まで甲冑兵仗を帯し、馬に乗り走り廻はるに、若士にも越えたり、少年より愛宕を信仰して、常々我は愛宕の縁日に死なんと語りしが、果して六月二十四日、身を清め、物具して長刀を持ち、床几に腰を掛けながら息絶えたり。遺言にて、広島矢賀に葬る。銘に曰く、尾州羽黒郡住人、可児才蔵吉長と書付けたり。往来の人、心あるは墓前にて馬より下りしとぞ。

書き下し

○吉長は隱れなき覺の者にて、篠の指物せし故、世に篠の才藏と曰はれたり、廣島に在りし時、若士共集まり、語つて曰く、何程の覺の者も、老衰してはなるべからず。心こそ猛くとも、若年とは違はめと。吉長聞て、年寄ても人に寄るべしと言ふ。若士曰く、何程剛の者にても、足手弱くして叶ふべからずと。吉長聞て、否々人に寄るべしと言たり。吉長老年まで甲冑兵仗を帶し、馬に乘り走り廻はるに、若士にも越えたり、少年より愛宕を信仰して、常々我は愛宕の緣日に死なんと語りしが、果して六月二十四日、身を清め、物具して長刀を持ち、床几に腰を掛けながら息絶えたり。遺言にて、廣島矢賀に葬る。銘に曰く、尾州羽黑郡住人、可兒才藏吉長と書付けたり。往來の人、心あるは墓前にて馬より下りしとぞ。

現代語訳

吉長は隠れなき武功の者で、篠の指物を差していたので、世に「篠の才蔵」と呼ばれました。広島にいたとき、若侍たちが集まって語りました。「どれほどの武功の者も、老いて衰えてはどうにもならない。心は猛くても、若いころとは違うだろう」。吉長は聞いて、「年寄っても人によるものだ」と言います。若侍が「どれほど剛の者でも、足や手が弱くなっては叶うまい」と言うと、吉長は聞いて、「いやいや、人によるのだ」と言いました。吉長は老年まで甲冑や武器を身に着け、馬に乗って走り回り、若者にも勝るほどでした。少年のころから愛宕を信仰し、常々「私は愛宕の縁日に死にたい」と語っていましたが、はたして六月二十四日、身を清め、武具を着け、長刀を持ち、床几に腰を掛けたまま息絶えました。遺言によって広島の矢賀に葬りました。銘に「尾州羽黒郡住人、可兒才蔵吉長」と書き付けてありました。往来の人で心ある者は、墓前で馬から下りたということです。

解説

年を取れば衰えるという若者たちの決めつけに、吉長が「人による」と答え、晩年まで鍛錬を続けて自ら示したと伝わる逸話です。愛宕の縁日に身を清めて亡くなったという最期は伝承色が濃く、史実としては断定できません。ここで確かに読み取れるのは、年齢で人を括る見方への反論です。成立当時は老いと武勇の衰えを結びつける通念が強い時代でした。現代の職場でも、年齢や経歴で伸びしろを決めつけず、日々の備えを続ける人を見て評価する視点は、育成と配置の場面に通じます。
『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。

本の中身を見る

この章句が説くこと

可児吉長篠の才蔵老い鍛錬愛宕人による

関連する章句

本2冊(人生の方程式・人生の教科書)+師導1か月=700円本を見る