名将言行録 / 『名将言行録』可兒吉長 自賛自刺と門を押す槍
○吉長、福島家へ呼出されし時、正則何の藝あるぞと尋ねし時、吉長愼みて、自賛自刺を年月手練致し、上手に罷成候と申す。近臣の者之を聞て、如何にも才藏は虛氣者か、强者なるべし抔と呼きけるを、正則聞て否々後ろに眼なければ、自讚自刺は習練し難し、夫を上手にすると言ふは、目に見えぬことをさへするなれば目前のことは何事も容易かるべしとて、呼出さる、案の如く武功比類なき者なり。正則の目利流石功者なりと言ひしとぞ。 ○小田原の役、吉長、正則に從ひ、韮山を攻めし時、首二つ打取りしを、傍らに投げ捨て、鎗の柄を取り、延べて門內へ突入りたれば、螻姑首より折れたりしが、扉に鎗を挾み門を立てることならず、吉長鎗を捨て、左右の手を揚げ、曳々聲を出して門を押す、續き進む者四人、又同く門を押す、城兵弓銃を連發す。城將北條氏規其武勇を感じ、弓銃を制して放たしめず、其姓名を問ふ。何れも名乘て而て退けり。
新字:○吉長、福島家へ呼出されし時、正則何の芸あるぞと尋ねし時、吉長慎みて、自賛自刺を年月手練致し、上手に罷成候と申す。近臣の者之を聞て、如何にも才蔵は虚気者か、強者なるべし抔と呼きけるを、正則聞て否々後ろに眼なければ、自讃自刺は習練し難し、夫を上手にすると言ふは、目に見えぬことをさへするなれば目前のことは何事も容易かるべしとて、呼出さる、案の如く武功比類なき者なり。正則の目利流石功者なりと言ひしとぞ。 ○小田原の役、吉長、正則に従ひ、韮山を攻めし時、首二つ打取りしを、傍らに投げ捨て、鎗の柄を取り、延べて門内へ突入りたれば、螻姑首より折れたりしが、扉に鎗を挟み門を立てることならず、吉長鎗を捨て、左右の手を揚げ、曳々声を出して門を押す、続き進む者四人、又同く門を押す、城兵弓銃を連発す。城将北条氏規其武勇を感じ、弓銃を制して放たしめず、其姓名を問ふ。何れも名乗て而て退けり。
書き下し
○吉長、福島家へ呼出されし時、正則何の藝あるぞと尋ねし時、吉長愼みて、自賛自刺を年月手練致し、上手に罷成候と申す。近臣の者之を聞て、如何にも才藏は虛氣者か、强者なるべし抔と呼きけるを、正則聞て否々後ろに眼なければ、自讚自刺は習練し難し、夫を上手にすると言ふは、目に見えぬことをさへするなれば目前のことは何事も容易かるべしとて、呼出さる、案の如く武功比類なき者なり。正則の目利流石功者なりと言ひしとぞ。 ○小田原の役、吉長、正則に從ひ、韮山を攻めし時、首二つ打取りしを、傍らに投げ捨て、鎗の柄を取り、延べて門內へ突入りたれば、螻姑首より折れたりしが、扉に鎗を挾み門を立てることならず、吉長鎗を捨て、左右の手を揚げ、曳々聲を出して門を押す、續き進む者四人、又同く門を押す、城兵弓銃を連發す。城將北條氏規其武勇を感じ、弓銃を制して放たしめず、其姓名を問ふ。何れも名乘て而て退けり。
現代語訳
吉長が福島家へ呼び出されたとき、正則が、何の芸があるか、と尋ねると、吉長は慎んで、自賛自刺を年月を重ねて手練し、上手になりました、と申した。近臣の者がこれを聞いて、いかにも才蔵は虚気者か、強者であろうなどと言ってはやした。正則はこれを聞いて、いやいや、後ろに目がなければ、自賛自刺は習練しがたい。それを上手にするというのは、目に見えぬことさえするのだから、目前のことは何事も容易だろうと言って、呼び出された。案の定、武功は比類のない者であった。正則の目利きはさすがに功者だと言ったという。 小田原の役で、吉長は正則に従って韮山を攻めたとき、首二つを討ち取ったのを、傍らに投げ捨て、槍の柄を取って延ばし、門の内へ突き入れたところ、槍の石突きが首の方から折れたが、扉に槍を挟んで門を立てることができなかった。吉長は槍を捨て、左右の手を挙げて、えいえいと声を出して門を押した。続いて進む者が四人、同じく門を押した。城兵が弓や鉄砲を連発した。城将の北条氏規はその武勇に感じ、弓鉄砲を制して放たせず、その姓名を問うた。いずれも名乗って退いたという。
解説

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名将言行録・『名将言行録』可兒吉長 飯の食べ方で人を見る○福島家へ、或軍法者來り奉公を望みける、折節喫飯の時分なりければ、吉長相伴して飯を喫しけるが、彼軍法者の飯を喫する樣子を見て、頗て見限り、召抱られんことは然るべからずと言ふ。正則如何にと問へば、去ることにて候、某相伴して飯を喫し候時見限て候、人は幼少より箸を執て此方、一日に三度は食せずとも、二度食せざる日はなし、彼者一杯の飯に、汁二度掛て食して候、是程の計らひのなき男兩陣數萬のこと如何計ひ申べきやと言ければ、正則深く感心せり。 ○家康、正則に逢はるゝ度に、才藏と、祖父鄕法齋は息災にて罷在り候やと尋ねらしとぞ。 ○吉長若き時、長太刀の業名を得たり。年老い力衰ての後は、腰に差すことを厭ひ、他行の時は從者に持たせ歩行しける。福島の一族に何の加兵衞と曰ふ者あり、一日物語の時、吉長に向ひ、貴殿若き時は格別のことなり、今は年老られ帶びらるゝこと叶はず、從者に持たせて歩行せらる、御手業一見申度と言ふ。吉長聞て、仰尤も恥入候、若き時此刀にて仕合たることゞもに候、今更昔の食著にて歩行の時も身に副て持たせ候、但し武藝に限りて、餘所目にては、批判當らぬものにて候、此刀見參に入れ御會釋申さんとて、腰を押へ立ち、側に置きたる刀を取り長刀の業是なりとて、すはと拔く、加兵衞案に相違して立上らんとする處を、細首打落したりとぞ。
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名将言行録・『名将言行録』可兒吉長 笹の葉の首と先陣才藏と稱し、福島正則に仕ふ、慶長十八年六月二十四日卒、年六十。 ○吉長、初め森長一に仕ふ。長一諏訪山の城及び、大森上惠等の塞を拔き、梶田に屯し、首級を檢し、四百六十餘級を獲たり。吉長僅に三首を提げ來りて言ふ、十六級を獲たりと、長一其故を問ふ。對て曰く、獲る所多く之を棄つと、長一曰く、四百六十餘盡く獲主あり、子が獲る所證あるか。曰く、臣獲る所皆篠の葉を啣ませたりと。是に於て長一命じて點檢せしむるに、首十三級を得たり。是より世に篠才藏と稱すと云ふ。 ○長湫の役、秀次味方敗れし由を聞て、急に旗本を進めらる。此時吉長は秀次の近習にて遙に先きに掛りしが、其儘馬を乘返し來るに付、秀次見て、才藏日頃の口に違ひ還なし返せと言はる。吉長此敵は鎗のなる敵にて之なし、御馬を返され候へと申せども、夫にも構はず三度まで返せと言はる。吉長、勝てば勝つ程、備固まり、段々後勢次第に續き來り候、是に達ては鎗を致すべき樣なしと申せども、猶承引なし、吉長腹を立、屎食はしめせと言て引退きたり。果して其言の如く、秀次の勢一溜りもせず、敗軍し、池田信輝を始め、戰死せり。 ○吉長の臣に、竹內久右衞門と曰ふ者あり。覺の士なり、何つにても吉長地行の半を分ち與ふ。長湫の役、秀次敗軍せしを、秀吉怒て吉長を咎む、之に依り、吉長日陰者になりて居けるを、正則七百石にて召抱へり、吉長卽ち三百五十石を分けて久右衞門に與へり。
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名将言行録・『名将言行録』可兒吉長 殿の意向はまず礼を尽くす○吉長、廣島の城內、黑金門を預り、一日一夜詰切の番所を勤むるに其身年老ければ、休息の間寢轉び居たる所へ、正則の側に召使ふ小坊主、鷹の鶉を持參し、是は殿樣の御拳の鳥なれば遣はされ候との御意の旨申述る。吉長之を聞き、其儘起上り、傍はらに脫ぎ置たる袴を著し、本丸の方へ向ひ、是を戴き、御禮の儀は、只今罷上りて申上ぐべきなり。儕己め如何に悴なればとて、大なる空氣なる奴哉、殿の御意ならば、先づ殿の御意あるぞと申聞かせ、身共が其用意したる上にて、達すべきを、左はなくして身共に瘦ながら殿の御意を能くも聞かせたり。己悴にてなくば、仕形もあれども、小僧の儀なれば免るすぞと言て、大に叱りければ、小僧肝を潰し、急ぎ立歸りて小姓共の中にて、右の次第を語りけるを、正則聞て、件の小僧を呼出し、尋ねければ、吉長が申分殘らず申に付、夫は己が不調法なれば、才藏が腹立は尤もなり、藝備兩國の士共を、殘らず才藏が心の如く致して欲しきもの哉、夫にては、何事も成るにと言はれけり。
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名将言行録・『名将言行録』可兒吉長 年寄っても人による○吉長は隱れなき覺の者にて、篠の指物せし故、世に篠の才藏と曰はれたり、廣島に在りし時、若士共集まり、語つて曰く、何程の覺の者も、老衰してはなるべからず。心こそ猛くとも、若年とは違はめと。吉長聞て、年寄ても人に寄るべしと言ふ。若士曰く、何程剛の者にても、足手弱くして叶ふべからずと。吉長聞て、否々人に寄るべしと言たり。吉長老年まで甲冑兵仗を帶し、馬に乘り走り廻はるに、若士にも越えたり、少年より愛宕を信仰して、常々我は愛宕の緣日に死なんと語りしが、果して六月二十四日、身を清め、物具して長刀を持ち、床几に腰を掛けながら息絶えたり。遺言にて、廣島矢賀に葬る。銘に曰く、尾州羽黑郡住人、可兒才藏吉長と書付けたり。往來の人、心あるは墓前にて馬より下りしとぞ。
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名将言行録・『名将言行録』福島正則 槍の錆と鞘の中○正則の士、夫銀取過ぎたりとて、廣島の百姓六人江戸へ來り、目安を以て訴へたり。正則之を聞き、臺所役人に、遠方罷越せしことなれば、隨分馳走せよと申付ける、百姓共は大に喜び居たりしが、士は肩唾を呑みて居たりけり。四五日過ぎしかば、彼百姓六人を白洲に呼出し、悉く首を剿たり。正則曰く、銀五百目や、六百目のことにて、正則が先途を見屆けんとて、不便なる妻子を捨る士共へ迷惑させんこと思ひも寄らず、愕々懼き百姓共哉と言はれければ、諸士皆感涙を流せり。 ○正則、或日城を出る時、門外の石垣に鎗立掛けあるを見て、あれは誰が鎗なるぞ、日當りに立置きては、汗をかくものなれば、置き直せと申けるを、歩行者狼狽へ、尚ほ日當りに持行きたり。正則腹立し、自身取て置直すとて、鞘を拔て見るに、赤く鏽たり。正則皆拔くに及ばず、士の一本道具を鏽さする腰拔奴、誰が鎗なるぞと罵りて投捨る、其鎗は可兒才藏吉長の鎗なり、吉長憤怒し、先を見給へと言ふ。正則叉取つて先を見るに、鎗先三寸程氷の如く研立たり。吉長憤り、鎗は先にて突くものにて候と言ふ。正則大に驚き、其儘鞘に納め、押戴て自身立掛け置しとぞ。