名将言行録 / 『名将言行録』福島正則 狭間潜りに散った家臣
○安藝、備後兩國收公の由、廣島へ聞えければ、老臣福島丹波守治重家中の士共へ、今度兩國受取りとして數輩下向之ある由聞えけれども、主君の生死不分明に依り、何れも籠城して主君の生死を糾すべし、面々妻子引具して、申の下刻までに籠城あるべし、右の刻限延引せば狹間潜りの帳に記すべしと相觸る。諸士七つ時前に悉く城に籠る。其内馬廻の士二人、遠方へ出て知らず。此觸を下人走り行て告ぐ、二人驚き馳せ歸ると雖も、刻限過ぎたる故、門を閉ぢて入れざるに付、一人は力なくして歸る。今一人は種々詫ると雖も、用ひざる時に、高聲に呼で申様、吾遠方に行き心ならず延引す、然るに理不盡に門に入れず、入らざらんと欲せば、狹間潜りの數なり、豈勇士たる者、名に於て生きらるべきやと言て、自害す。番人驚き出で之を差留むと雖も、忽ち死す。治重聞て甚だ之を惜む。其士は林龜之丞と曰ふ者なり。正則の士を養ふの厚きの致す所、率ね斯の如し。去ればにや、福島家の浪人餘多ありしと雖も、諸藩爭て召抱し故、一人も殘りし者なかりしとぞ。
新字:○安芸、備後両国収公の由、広島へ聞えければ、老臣福島丹波守治重家中の士共へ、今度両国受取りとして数輩下向之ある由聞えけれども、主君の生死不分明に依り、何れも籠城して主君の生死を糾すべし、面々妻子引具して、申の下刻までに籠城あるべし、右の刻限延引せば狭間潜りの帳に記すべしと相触る。諸士七つ時前に悉く城に籠る。其内馬廻の士二人、遠方へ出て知らず。此触を下人走り行て告ぐ、二人驚き馳せ帰ると雖も、刻限過ぎたる故、門を閉ぢて入れざるに付、一人は力なくして帰る。今一人は種々詫ると雖も、用ひざる時に、高声に呼で申様、吾遠方に行き心ならず延引す、然るに理不尽に門に入れず、入らざらんと欲せば、狭間潜りの数なり、豈勇士たる者、名に於て生きらるべきやと言て、自害す。番人驚き出で之を差留むと雖も、忽ち死す。治重聞て甚だ之を惜む。其士は林亀之丞と曰ふ者なり。正則の士を養ふの厚きの致す所、率ね斯の如し。去ればにや、福島家の浪人余多ありしと雖も、諸藩争て召抱し故、一人も残りし者なかりしとぞ。
書き下し
○安藝、備後兩國收公の由、廣島へ聞えければ、老臣福島丹波守治重家中の士共へ、今度兩國受取りとして數輩下向之ある由聞えけれども、主君の生死不分明に依り、何れも籠城して主君の生死を糾すべし、面々妻子引具して、申の下刻までに籠城あるべし、右の刻限延引せば狹間潜りの帳に記すべしと相觸る。諸士七つ時前に悉く城に籠る。其内馬廻の士二人、遠方へ出て知らず。此觸を下人走り行て告ぐ、二人驚き馳せ歸ると雖も、刻限過ぎたる故、門を閉ぢて入れざるに付、一人は力なくして歸る。今一人は種々詫ると雖も、用ひざる時に、高聲に呼で申様、吾遠方に行き心ならず延引す、然るに理不盡に門に入れず、入らざらんと欲せば、狹間潜りの數なり、豈勇士たる者、名に於て生きらるべきやと言て、自害す。番人驚き出で之を差留むと雖も、忽ち死す。治重聞て甚だ之を惜む。其士は林龜之丞と曰ふ者なり。正則の士を養ふの厚きの致す所、率ね斯の如し。去ればにや、福島家の浪人餘多ありしと雖も、諸藩爭て召抱し故、一人も殘りし者なかりしとぞ。
現代語訳
安芸、備後の両国が没収されたとの知らせが広島に届くと、老臣の福島丹波守治重は家中の士どもに、今度、両国受け取りとして数人が下向すると聞こえるが、主君の生死が分明でないので、みな籠城して主君の生死を問いただそう。面々は妻子を連れて、申の下刻までに籠城せよ。この刻限に遅れる者は、狭間潜りの帳に記すであろう、と触れ回った。諸士は七つ時の前にことごとく城に籠った。その中の馬廻の士二人は、遠方へ出ていて知らなかった。この触れを下人が走って行って告げた。二人は驚いて馳せ帰ったが、刻限が過ぎていたので、門を閉じて入れず、一人は力なく帰った。もう一人はさまざまに詫びたが、用いられないとき、高声に呼んで、私は遠方へ行き、心ならずも遅れた。それなのに理不尽に門に入れない。入れないのなら、狭間潜りの数に入る。勇士たる者が、名に於いて生きられようか、と言って自害した。番人は驚いて出てこれを差し止めたが、たちまち死んだ。治重はこれを聞いて、甚だ惜しんだ。その士は林亀之丞という者であった。正則が士を養うことの厚さが招いたところは、おおよそこのようであった。そのためだろうか、福島家の浪人は大勢いたが、諸藩が争って召し抱えたので、一人も残る者はなかったという。
解説

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名将言行録・『名将言行録』福島正則 二つに一つの出陣星野成政の子、福島新右衞門正光の嗣と爲り、市松と稱す。後從三位に敍し、參議兼左衞門太夫に任す。安藝備後兩國四十九萬八千二百石に封ぜられ、廣島城に住す。後罪ありて配流せらる。薙髮して馬齋と號す。寛永元年七月十三日卒す、年六十四。 ○正則清洲二十萬石を領せり。慶長五年、會津の役、家康に從ひ關東に赴くに、大惡日に出陣す。其言に曰く、出て二度歸らずと、之に依りて家臣事の急なるにあらざれば、御出陣今日に限り申まじと諫めければ、正則、我本意實に二度歸ることを欲せず、何にとなれば、我所領少なければ、兵又多からず、徒らに人の尾に付、鬱々として日を送らんよりは、今度關東に於て、武功を拔て大國を賜はるか、然らずんば、剛敵堅陣を擊取り、目を驚かす戰死を遂げん。此二つのもの天運に任せりと言て、打立しが果して軍功他に異なるを以て、安藝、備後、兩國に封ぜられたり。
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名将言行録・『名将言行録』福島正則 大坂の使者を追い返す○此時、大阪より秀吉恩顧の諸大名に使ありける、中にも、正則へは別けての使、林伊兵衞を下さる。伊兵衞關東に着し、正則□兵部少輔を以て、書を正則に渡す。正則之を承はり、定めて今度のこと御頼み遊ばされ度とのことなるべし、我等こと爰許に罷在り候ては心に叶はず御返事申べき樣もなければ、御書見するに及ばず、伊兵衞遠方の所罷趣大儀に候へ共、逢て詞もあらざれば對面に及ばず、早々罷上り申上ぐべし、三年遲し、三年早し、詮なき思召立ち是非もなし、此上は早や返らぬことに候聞、太閤御遺言の如く、自然のことあらば、大阪の城枕と仰置れし通、御城にて御果て候より外なし、又家康、野合の一戰は上手なれども、城攻のことは左程にあらず、是一つ。又太閤御用意の御城無雙の要害是一つ。左すれば、城を御頼み成さるゝ計りなり、此由宜しく申上ぐべしとて、伊兵衞を返しけり。 ○此時、正則は江戸に在り、子備後守正勝は安藝に留守す。正則老臣福島丹波、尾關石見方に使を以て、我太閤の御厚恩を受けしこと、世に隱れなし、汝等兩人覺悟に依て、備後守が武將の譽あるべくは、吾を捨て殺せ、是本望なり、必ず□を残さゞれと、自筆の書を贈られぬ。
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名将言行録・『名将言行録』福島正則 家老が選んだ家の存続○之に依り丹波石見、正勝の前に出て、丹波曰く、今度大阪に與力せられなば、其勢を以て大阪に服歸する者多からん、大阪方勝利ならんには、福島家の繁榮は勿論なり、又大阪方打負け自害すとも、武名後昆に傳はらん、關東に一味したりとも、定めて本意とは思はれじ、且つ世間の誹も口惜かるべし、石見は如何思はれしやとありければ、石見之を聞き、尤もなり、去れども、目前に父公を捨殺し給はんこと、天命の絶する所、人情の惡む所なり、天下の大軍を引受け、大阪方の勝利ならんこと、主の道、將の能を比するに千に一利もあるべからず、然らば即ち時勢を慮り家を立、身を存せんこそ宜しかるべけれ、と言ければ、石見が議に任せて、關東にぞ興しける。 ○太阪參役、正則江戸に在り、城堅固にて落難しと注進ありければ、正則聞き、要害宜き城に、名ある浪人共籠りし故と言ふ。又頓て落去に及ぶべしとありければ、正則城は持手貴手に寄れば、覺悟の前よと言ふ、又扱に成り、無事に濟むと申すとの注進を聞や否や、氣を打ち南無三寶、去ればこそして、城は取られたると言はれけり。 ○正則曰く、馬上にて鎗を以て人を突く時は、不圖落馬することあり、馬に突せたるが宜しと。又曰く、馬は小なるが宜し、具足著て大馬に乘り惡きものなり。又鎗を短くすべからず、廣場足入船軍杯には、一寸も長くしたきものなりと。
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名将言行録・『名将言行録』福島正則 囚人に飯を運ぶ茶道○正則近習の士、某、少しの咎ありければ、廣島城の櫓に押籠め食物を與へず、餓死せしめんとせしに、某其士の恩を受けたりし茶道坊主、罪なくして斯る囚となるを痛み、潛に夜、燒飯を携へ行きたり。彼士我は罪ある故に、斯くなりたり、汝が只今の振廻殿聞召れなば、我よりも罪重からん、又飯を喰ひたりとて、命助るべきにあらざれば、疾く歸れと言ひしに、茶道、同罪に行はるゝとも、後悔なし、我先に既に殺さるべきことのありしに、君の救にて一度助かり候ひぬ。恩を受て報ぜざるは人にあらず、其許にも、又弱氣なる心おはして、吾志を空くし給ふことこそ口惜けれと言へば、彼士喜びて、去らばとて、是を食す。夜毎に斯の如くしたりけり。程歷て死したるならんとて、正則櫓に行きしに、顏色少しも衰へず、正則偖は飯を贈りたる者あらんと怒りしに、茶道來り、某こそ贈りたれと申す、正則はつたと睨て己何故に斯くしたるや、頭二ッに切り割りなんと、膝立直せしに、茶道少しも、騷がず、某昔罪を得て、既に水攻に逢て殺さるべかりしに、彼人の申開きたりし故、今日まで思ひ掛けず命存へ候ひき、其恩を報ぜん爲め、毎夜忍びて飯を運び候と言ふ。正則、怒れる眼に涙を流し、汝が志感ずるに餘れり、斯くこそあるべけれ、彼をも赦すべしとて、其儘櫓の戸を開きて罪を宥め、茶道をも深く賞せられけり。
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名将言行録・『名将言行録』福島正則 槍の錆と鞘の中○正則の士、夫銀取過ぎたりとて、廣島の百姓六人江戸へ來り、目安を以て訴へたり。正則之を聞き、臺所役人に、遠方罷越せしことなれば、隨分馳走せよと申付ける、百姓共は大に喜び居たりしが、士は肩唾を呑みて居たりけり。四五日過ぎしかば、彼百姓六人を白洲に呼出し、悉く首を剿たり。正則曰く、銀五百目や、六百目のことにて、正則が先途を見屆けんとて、不便なる妻子を捨る士共へ迷惑させんこと思ひも寄らず、愕々懼き百姓共哉と言はれければ、諸士皆感涙を流せり。 ○正則、或日城を出る時、門外の石垣に鎗立掛けあるを見て、あれは誰が鎗なるぞ、日當りに立置きては、汗をかくものなれば、置き直せと申けるを、歩行者狼狽へ、尚ほ日當りに持行きたり。正則腹立し、自身取て置直すとて、鞘を拔て見るに、赤く鏽たり。正則皆拔くに及ばず、士の一本道具を鏽さする腰拔奴、誰が鎗なるぞと罵りて投捨る、其鎗は可兒才藏吉長の鎗なり、吉長憤怒し、先を見給へと言ふ。正則叉取つて先を見るに、鎗先三寸程氷の如く研立たり。吉長憤り、鎗は先にて突くものにて候と言ふ。正則大に驚き、其儘鞘に納め、押戴て自身立掛け置しとぞ。
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名将言行録・『名将言行録』福島正則 弓は袋に入る○元和五年六月、正則罪ありて、安藝、備後兩國悉く收公せられて、津輕の地に移さるゝの命あり。正則其旨を承はり、漸々ありて後、大御所世に座ます時ならば、正則申すべきことありなん、當代に向ひ參らせて、何事をか申すべき、兎も角にも仰にこそ從ふべけれと申しければ、聞く人感涙をぞ催しける、秀忠も此由を聞き、哀れにや思はれけん、同七月三日津輕のことは餘りに遠境なればとて、信濃國河中島に安置せられ、越後、信濃の國々にて、七萬石の所領を賜はりける。 ○此時正則の家臣、正則に向ひ、去りとは是程までの御武功にて渡らせ給ふを、如何なることにやと申しければ、正則聞て、弓を見よ、敵ある時は重寶言ふべからず、治國なれば袋に入れて土藏に入るなり、我は弓なり、亂世の用なり、今治世なれば、川中島の土藏に入れらるゝなりと言ひしとぞ。