名将言行録 / 『名将言行録』加藤嘉明 評・典型的な武将
○典型的な武將である。政治家的才能や野心がなく、と云つて福島正則などに比べて、思慮もあり分別もあつた人である。その武將としての剛膽さに於ては、當時の武將中傑出してゐる。 一徹者だけに、藤堂高虎と喧嘩したり、家臣の河村權七や塙團右衞門などと、不和になつたのであらう。 藤堂高虎との喧嘩は、たしかに嘉明の方が勝である。しかし、後に高虎は舊怨を忘れて、嘉明を會津四十萬石に推擧してゐる。これは、教科書などにも載つてゐる美談である。
新字:○典型的な武将である。政治家的才能や野心がなく、と云つて福島正則などに比べて、思慮もあり分別もあつた人である。その武将としての剛胆さに於ては、当時の武将中傑出してゐる。 一徹者だけに、藤堂高虎と喧嘩したり、家臣の河村権七や塙団右衛門などと、不和になつたのであらう。 藤堂高虎との喧嘩は、たしかに嘉明の方が勝である。しかし、後に高虎は旧怨を忘れて、嘉明を会津四十万石に推挙してゐる。これは、教科書などにも載つてゐる美談である。
書き下し
○典型的な武將である。政治家的才能や野心がなく、と云つて福島正則などに比べて、思慮もあり分別もあつた人である。その武將としての剛膽さに於ては、當時の武將中傑出してゐる。 一徹者だけに、藤堂高虎と喧嘩したり、家臣の河村權七や塙團右衞門などと、不和になつたのであらう。 藤堂高虎との喧嘩は、たしかに嘉明の方が勝である。しかし、後に高虎は舊怨を忘れて、嘉明を會津四十萬石に推擧してゐる。これは、教科書などにも載つてゐる美談である。
現代語訳
典型的な武将である。政治家的才能や野心がなく、といって福島正則などに比べて、思慮もあり分別もあった人である。その武将としての剛胆さにおいては、当時の武将中傑出している。 一徹者だけに、藤堂高虎と喧嘩したり、家臣の河村権七や塙団右衛門などと、不和になったのであろう。 藤堂高虎との喧嘩は、たしかに嘉明の方が勝ちである。しかし、後に高虎は旧怨を忘れて、嘉明を会津四十万石に推挙している。これは、教科書などにも載っている美談である。
解説

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名将言行録・『名将言行録』藤堂高虎 私怨を捨てた推挙○寬永四年正月、蒲生下野守忠鄕卒し嗣なく、國除せらる。家光誰にか若松城を預けんとて、宿老耆舊の輩を召して會議ありしに、高虎一人進出でゝ、當時誰彼れと申さんより、加藤左馬助に若く者候べしとも思はず、彼は幼きより豐臣家に仕へ、賤ヶ嶽七本鎗の一人、其後關ヶ原に當家へ志を運び、大阪にも其心を翻さず、究めて律義者に候へば、如何様なる要地を委任し給ふとも、御心安かるべく候と申す。家光聞て、嘗て足下と嘉明と不和なりと聞く、然るに今能く私怨を棄て以て公忠を盡さる。何ぞ其義に篤きやと言はれて敷稱せらる。是に於て嘉明、會津四十萬石に倍封せらろ、即日嘉明來り、高虎を見て曰く、竊かに今日のことを聞くに、辱く貴殿の推擧を蒙れり、僕頑愚朝鮮にて功を爭しより、交りを絶つこと久し、貴殿則ち國の爲めに私を忘れ、恩を以て怨に報いらる。感悔慙愧惜く所を知らず、故に特に來り謝す、願くは舊惡を棄られなば、何の幸か之に若んと。高虎曰く、幕府明鑒妙遷、抑々亦貴殿の福なり、僕何ぞ與らん、但し憾を釋き好を修むること固より願ふ所なりと。嘉明大に喜び、盟を結び盃酒款洽歡を盡して歸れり。初め家光の西丸に在るや、屢々召して咨詢せり、高虎亦心を傾け輔翼す、賜書を閲するに、率ね諫疏に報謝せらゝものなり。蓋し獻賛する所多しと云ふ、故に嗣立せらるゝに及びて、大事決し難きことあれば、輙ち召して之を問はる。但是擧のみにあらず。
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