名将言行録 / 『名将言行録』鍋島直茂 三つの器と法の運用
○秀吉伽の者、或時秀吉に向ひ、當時天下を取り申す器量の大名之あり候やと問ければ、秀吉、天下を取ることは大氣勇氣智惠なければならず、此三つを兼ねたる大名一人もなし、又小者には二つづゝ兼ねたる者三人あり、上杉が直江山城、是は大氣勇氣あれども、智惠掛合はず、毛利が小早川左衞門、是は大氣智惠あれども、勇氣掛合はず、龍造寺が鍋島飛驒守、是は勇氣智惠あれども、大氣がなし、大名には是程の者もなしと言はれたり。 ○直茂曰く、義理程感深きものはなし、從弟抔の死たる時、涙を流さぬこともあるに、緣りもなく、見も知りもせぬ、五十年も百年も以上の人の上を聞て、義理なることには、落淚するものなりと。 ○又曰く、上下によらず時節到來すれば、家が崩るゝものなり、其時崩す間敷とすれば、きたな崩しするなり、時節到來と思はゞ、崩したるが能きなり、其時は抱留ることもあるものなりと。 ○又曰く、我氣に入らぬことが、我爲めに成るものなりと。 ○又曰く、家々の掟は種々あるべし、其内に火あぶりは磔、磔は切腹、切腹は浪人、浪人は只叱りて置くべし、叱る者は只やわらかにすべし、叱るべき者を浪人、浪人さすべき者を切腹、切腹さすべき者を磔、磔に掛くべき者を火あぶりと、箇樣にせば、其過分の積る所、勝茂の身の上たるべし、返す〱罰は輕くし、少しの忠も重くせば、家は連續すべしと。故に勝茂より法に背きたる者を罰すべくと言はれし毎に、何角と言直され、助けられし者寡なからずとぞ。
新字:○秀吉伽の者、或時秀吉に向ひ、当時天下を取り申す器量の大名之あり候やと問ければ、秀吉、天下を取ることは大気勇気智恵なければならず、此三つを兼ねたる大名一人もなし、又小者には二つづゝ兼ねたる者三人あり、上杉が直江山城、是は大気勇気あれども、智恵掛合はず、毛利が小早川左衛門、是は大気智恵あれども、勇気掛合はず、竜造寺が鍋島飛驒守、是は勇気智恵あれども、大気がなし、大名には是程の者もなしと言はれたり。 ○直茂曰く、義理程感深きものはなし、従弟抔の死たる時、涙を流さぬこともあるに、縁りもなく、見も知りもせぬ、五十年も百年も以上の人の上を聞て、義理なることには、落涙するものなりと。 ○又曰く、上下によらず時節到来すれば、家が崩るゝものなり、其時崩す間敷とすれば、きたな崩しするなり、時節到来と思はゞ、崩したるが能きなり、其時は抱留ることもあるものなりと。 ○又曰く、我気に入らぬことが、我為めに成るものなりと。 ○又曰く、家々の掟は種々あるべし、其内に火あぶりは磔、磔は切腹、切腹は浪人、浪人は只叱りて置くべし、叱る者は只やわらかにすべし、叱るべき者を浪人、浪人さすべき者を切腹、切腹さすべき者を磔、磔に掛くべき者を火あぶりと、箇様にせば、其過分の積る所、勝茂の身の上たるべし、返す〱罰は軽くし、少しの忠も重くせば、家は連続すべしと。故に勝茂より法に背きたる者を罰すべくと言はれし毎に、何角と言直され、助けられし者寡なからずとぞ。
書き下し
○秀吉伽の者、或時秀吉に向ひ、當時天下を取り申す器量の大名之あり候やと問ければ、秀吉、天下を取ることは大氣勇氣智惠なければならず、此三つを兼ねたる大名一人もなし、又小者には二つづゝ兼ねたる者三人あり、上杉が直江山城、是は大氣勇氣あれども、智惠掛合はず、毛利が小早川左衞門、是は大氣智惠あれども、勇氣掛合はず、龍造寺が鍋島飛驒守、是は勇氣智惠あれども、大氣がなし、大名には是程の者もなしと言はれたり。 ○直茂曰く、義理程感深きものはなし、從弟抔の死たる時、涙を流さぬこともあるに、緣りもなく、見も知りもせぬ、五十年も百年も以上の人の上を聞て、義理なることには、落淚するものなりと。 ○又曰く、上下によらず時節到來すれば、家が崩るゝものなり、其時崩す間敷とすれば、きたな崩しするなり、時節到來と思はゞ、崩したるが能きなり、其時は抱留ることもあるものなりと。 ○又曰く、我氣に入らぬことが、我爲めに成るものなりと。 ○又曰く、家々の掟は種々あるべし、其内に火あぶりは磔、磔は切腹、切腹は浪人、浪人は只叱りて置くべし、叱る者は只やわらかにすべし、叱るべき者を浪人、浪人さすべき者を切腹、切腹さすべき者を磔、磔に掛くべき者を火あぶりと、箇樣にせば、其過分の積る所、勝茂の身の上たるべし、返す〱罰は輕くし、少しの忠も重くせば、家は連續すべしと。故に勝茂より法に背きたる者を罰すべくと言はれし毎に、何角と言直され、助けられし者寡なからずとぞ。
現代語訳
秀吉のお伽衆が、あるとき秀吉に「今、天下を取るだけの器量を持つ大名はいますか」と尋ねた。秀吉は言った。「天下を取るには、大気、勇気、智恵がなければならない。この三つを兼ねた大名は一人もいない。ただ小者の中には、二つずつ兼ねた者が三人いる。上杉の直江山城は、大気と勇気はあるが智恵がかけている。毛利の小早川左衛門は、大気と智恵はあるが勇気が足りない。龍造寺の鍋島飛騨守は、勇気と智恵はあるが大気がない。大名にはこれほどの者もいない」。 直茂は言った。「義理ほど深く心に響くものはない。従弟などが死んだ時には涙を流さないこともあるのに、縁もなく、見も知りもしない、五十年も百年も昔の人の上のことを聞いて、義理にかなったことであれば、涙を落とすものだ」。 また言った。「身分の上下を問わず、時節が到来すれば、家は崩れるものだ。その時、崩すまいとすれば、汚い崩れ方になる。時節が来たと思うなら、潔く崩した方がよい。その時には、抱え止められることもあるものだ」。 また言った。「自分の気に入らないことが、自分のためになるものだ」。 また言った。「家々の掟は様々あるだろうが、その中で火あぶりは磔、磔は切腹、切腹は浪人、浪人はただ叱って済ませよ、叱る者はただ穏やかにせよ、というように一段ずつ軽くせよ。叱るべき者を浪人にし、浪人にすべき者を切腹させ、切腹させるべき者を磔にし、磔にすべき者を火あぶりにするというふうにすれば、その過分の積み重ねは勝茂の身の上に返ってくる。くれぐれも罰は軽くし、わずかな忠も重んじれば、家は続く」と。だから勝茂が法に背いた者を罰しようと言うたびに、直茂は何かと言い直して助けた者が少なくなかった、という。
解説

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『墨子』尚同中今、王公大人の刑政を為すは則ち此を舉ぐ。政、以て便辟を屬し、父兄故舊に宗りて、以て左右と為し、置きて以て正長と為す。民、上の正長を置くの、正しく以て民を治むるに非ざるを知る。是を以て皆な比周隠匿して、肯えて其の上に尚同すること莫し。是の故に上下、義を同じくせず。若し茍くも上下、義を同じくせざれば、賞譽も以て善を勸むるに足らずして、刑罰も以て暴を沮むるに足らず。
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