名将言行録 / 『名将言行録』黒田長政 負けた若者を励ます
偖彼者の額見る内に少し腫れ上り、血もにじみけり、上は邊には去らぬ體にて居たれども、内心には、餘程面目なく、無念にも思ひけれども、すべき樣なくて、其座を立てり。右の次第長政夜話の節聞て、早々彼者を呼出し、汝は此間左門と木刀仕合致し、負けたりと聞く、其通りなるやと尋ねしに、御意の如くなりと言ふ。若き者には成程似合ひて能き心操なり、左門とも打つべしと思ふは勇氣の勝れたる所にて、若年にて、其志なくては物の用に立難し、偖又汝が仕合に負けたりとて、少しも恥にはならず、其故は彼林田ことは兵法の名人にて世に免されたる者なり、其方は素人なり、何にと働くとも勝つべからず、負けたるは道理なり、然りとて、左門に武邊は負くべからず、劒術上手なればとて、合戰の時必ず勝つべきにもあらず、兵法不得手にても、高名をば致すべきなれば、此段は格別の詮議なり、去りながら、武藝を修業せざれば、武士の家に生れたる道理に背けり、其方左門に負けたりとて、必ず心に掛くべからず、上手は勝ち、下手は負けるは定りたることなり、我も昔柳生但馬守、匹田又五郎等に兵法を習ひし時、我意を立て、打れしこと度々ありしなり。然し汝も以來は、左門が弟子になりて、兵法を學ぶべし、習ひ得るに於ては、必ず人に勝さるべし、勤めて稽古怠ることなかれと申聞けられしかば、彼者有り難き旨答へ、落淚しける。夫より直ぐに左門方に參り、右の次第を述べて、師弟の契約を爲し、晝夜出精しける故、後には上手に成りたり。人皆長政が人主の器あることを稱せり。
新字:偖彼者の額見る内に少し腫れ上り、血もにじみけり、上は辺には去らぬ体にて居たれども、内心には、余程面目なく、無念にも思ひけれども、すべき様なくて、其座を立てり。右の次第長政夜話の節聞て、早々彼者を呼出し、汝は此間左門と木刀仕合致し、負けたりと聞く、其通りなるやと尋ねしに、御意の如くなりと言ふ。若き者には成程似合ひて能き心操なり、左門とも打つべしと思ふは勇気の勝れたる所にて、若年にて、其志なくては物の用に立難し、偖又汝が仕合に負けたりとて、少しも恥にはならず、其故は彼林田ことは兵法の名人にて世に免されたる者なり、其方は素人なり、何にと働くとも勝つべからず、負けたるは道理なり、然りとて、左門に武辺は負くべからず、劒術上手なればとて、合戦の時必ず勝つべきにもあらず、兵法不得手にても、高名をば致すべきなれば、此段は格別の詮議なり、去りながら、武芸を修業せざれば、武士の家に生れたる道理に背けり、其方左門に負けたりとて、必ず心に掛くべからず、上手は勝ち、下手は負けるは定りたることなり、我も昔柳生但馬守、匹田又五郎等に兵法を習ひし時、我意を立て、打れしこと度々ありしなり。然し汝も以来は、左門が弟子になりて、兵法を学ぶべし、習ひ得るに於ては、必ず人に勝さるべし、勤めて稽古怠ることなかれと申聞けられしかば、彼者有り難き旨答へ、落涙しける。夫より直ぐに左門方に参り、右の次第を述べて、師弟の契約を為し、昼夜出精しける故、後には上手に成りたり。人皆長政が人主の器あることを称せり。
書き下し
偖彼者の額見る内に少し腫れ上り、血もにじみけり、上は邊には去らぬ體にて居たれども、内心には、餘程面目なく、無念にも思ひけれども、すべき樣なくて、其座を立てり。右の次第長政夜話の節聞て、早々彼者を呼出し、汝は此間左門と木刀仕合致し、負けたりと聞く、其通りなるやと尋ねしに、御意の如くなりと言ふ。若き者には成程似合ひて能き心操なり、左門とも打つべしと思ふは勇氣の勝れたる所にて、若年にて、其志なくては物の用に立難し、偖又汝が仕合に負けたりとて、少しも恥にはならず、其故は彼林田ことは兵法の名人にて世に免されたる者なり、其方は素人なり、何にと働くとも勝つべからず、負けたるは道理なり、然りとて、左門に武邊は負くべからず、劒術上手なればとて、合戰の時必ず勝つべきにもあらず、兵法不得手にても、高名をば致すべきなれば、此段は格別の詮議なり、去りながら、武藝を修業せざれば、武士の家に生れたる道理に背けり、其方左門に負けたりとて、必ず心に掛くべからず、上手は勝ち、下手は負けるは定りたることなり、我も昔柳生但馬守、匹田又五郎等に兵法を習ひし時、我意を立て、打れしこと度々ありしなり。然し汝も以來は、左門が弟子になりて、兵法を學ぶべし、習ひ得るに於ては、必ず人に勝さるべし、勤めて稽古怠ることなかれと申聞けられしかば、彼者有り難き旨答へ、落淚しける。夫より直ぐに左門方に參り、右の次第を述べて、師弟の契約を爲し、晝夜出精しける故、後には上手に成りたり。人皆長政が人主の器あることを稱せり。
現代語訳
さて、その者の額は、見る間に少し腫れ上がり、血もにじみました。表向きは何でもない様子でいましたが、内心は余程面目なく、無念にも思いながら、すべき手もなく、その座を立ちました。この次第を、長政は夜話のときに聞き、早々にその者を呼び出して、「お前はこの間、左門と木刀仕合をして負けたと聞く。その通りか」と尋ねました。「仰せのとおりです」と言います。長政は「若い者には、なるほど似合いの良い心がけだ。左門とも打とうと思うのは、勇気が優れているところで、若いうちにその志がなくては、物の役に立たない。さてまた、お前が仕合に負けたからといって、少しも恥にはならない。そのわけは、あの林田は兵法の名人で、世に許された者である。お前は素人だ。どう働いても勝てるはずがない。負けたのは道理である。かといって、左門に武辺で負けるとは限らない。剣術が上手だからといって、合戦のとき必ず勝つともいえない。兵法が不得手でも、高名はするものだから、この点は別の詮議である。しかしながら、武芸を修業しなければ、武士の家に生まれた道理に背く。お前は左門に負けたからといって、決して心に掛けてはならない。上手は勝ち、下手は負けるのは決まったことだ。我も昔、柳生但馬守、匹田又五郎らに兵法を習ったとき、我意を立てて打たれたことが度々あった。しかし、お前も今後は、左門の弟子になって、兵法を学べ。習い得たなら、必ず人に勝るだろう。勤めて稽古を怠るな」と申し聞かせました。その者はありがたいと答え、涙を落としました。それからすぐに左門のもとへ行き、この次第を述べて師弟の契りを結び、昼夜励んだので、後には上手になりました。人は皆、長政に人の主たる器があると称えた、ということです。
解説

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